日米映画批評 from Hollywood -9ページ目

オデッセイ / THE MARTIAN (9点)

採点:★★★★★★★★★☆
2016年2月21日(映画館)
主演:マット・デイモン、ジェシカ・チャステイン
監督:リドリー・スコット


 「グッド・ウィル・ハンティング」以来、個人的に好きな俳優であるマット・デイモン。そんな彼の最新作ということで見に行った作品。

【一口コメント】
 今までにない物凄くポジティブな主人公の織りなす宇宙サバイバル映画です。

【ストーリー】
 火星への有人探査計画に参加した宇宙飛行士マーク。火星での任務中、嵐に襲われたメンバーは火星からの脱出を決意し、ロケットへ向かうが、マークが事故に巻き込まれてしまう。マークが死んだと思った他の乗組員たちはマークを残し、火星を離脱する・・・。
 しかしマークはかろうじて生きていた。火星に一人ぼっちの状態で、計画通りなら4年後に訪れるはずの次のミッション・メンバーに一縷の望みを託し、残されたわずかな物資と植物学者としての知恵を使い、サバイバルを始める―――。

【感想】
 久々にハリウッド映画らしい、ハリウッド映画を見た!
 まずは火星という人類が未だ降り立ったことのない(無人探査機は既に降り立ったが・・・)場所を、地球上で撮影したにもかかわらず、それっぽく見せることのできる映像美、そして宇宙空間そのものの映像美、自宅のテレビではなく、映画館の大きなスクリーンで見ることの意義、楽しさを改めて教えてくれる。
 そして映像美ということで言えば、火星で独りぼっち感を増幅させる演出もうまい。NASAが死んでいたと思っていたマークの生存に気づくシーン。NASAの司令室の前方にあるスクリーンに映し出される火星基地の俯瞰ショット。俯瞰ショットから基地へとズームインしていくことで、火星という遠い宇宙の星の広大な荒野の中にポツンとある小さな小さな基地にたった一人取り残されたマーク=とてつもない孤独感を言葉による説明なく、映像のみで伝えるこのシーン。何気なく見える少しのショットの中にさりげなく見せる極上の演出だった。

 地球人史上、未だ誰も訪れたことがない場所でありながら、ものすごくリアリティがあるのもこの映画の凄いところ。SF映画の多くは多分に観客の想像力を掻き立てる要素が含まれていることが多い。誰も見たことがないものを映像で見せる必要があるのだから、それは当然で、例えば、地球外生命体と闘ったりなんてことは今のところ想像や噂の域を出ないし、実際に地球外生命体と闘うことになったとしても観客が自力で彼らに勝てるとは思わないだろう。
 そういう意味で、この作品が上手いところは地球上で同じことが起きた時に観客1人1人がこの作品を見たことによって、自分が同じ状況に陥っても、この作品で描かれた対処法を実行できるかもしれない・・・と感じるギリギリの絶妙なラインでのサバイバル術が随所にちりばめられている点。
 食料問題については、不潔だったり、プライドの問題などはあるかもしれないが、実際に同じ状況になって、この作品の中で描かれている知識を知っていれば多くの人が同じことをするのではないだろうか?また水=H2Oが水素と酸素の複合物だということも通常の教育を受けている人間であれば、知っているだろうから、あの機械されあれば、多くの人が同じ手段で水を作ることもできるだろう。自分も同じことができそうだ!という感覚を持てるからこそ、観客として主人公に感情移入もしやすいし、この作品が面白く感じる。
 デジタルではなく、アナログの力がどれだけ必要なのかということが分かる。「ジェイソン・ボーン」シリーズでマット自身が演じた、その場にある小道具を武器に変えたCIA捜査官を思い出させる。
 さらにこの作品が上手いところは火星に残された主人公だけでなく、地球上でも多くの人が彼を救うために、ロケットを打ち上げるのに苦労する点も描かれていて、すべてが単純に物事が進んでいくのではなく、一度は打ち上げに失敗するシーンもあり、ロケットを打ち上げるのがいかに大変か?という点に関してもものすごくリアリティがある。
 もちろん16進法を使って地球とのやり取りをしたり、火星脱出ロケットのてっぺんの壁を外してビニールシートのみで宇宙へと脱出するなど、さすがに無理だなと思うシーンもあるが、上述のような自分でもできそうだ!の積み重ねがあった後での描写ということもあり、そこまで違和感なく見ることができる。

 そして何より大きかったのが主人公マークのキャラ設定。基本的に宇宙飛行士になれる人間というのはものすごく優秀で、知力も体力も最高峰の人間がなる職業だと思っているのだが、そこに常にポジティブという性格が加わったことで、この映画も全体として明るいトーンで見れる。遠い遠い宇宙の惑星に1人取り残され、過酷な環境の中で生き残りをかけた、とても暗いはずのテーマなのだが、マークのキャラ設定のおかげで笑いあり、涙ありのストーリー展開になっている。
 次々に起こる問題に対して、それを1つ1つ的確な判断力と問題解決能力を駆使して、乗り越えていくあたりはさすが宇宙飛行士!って感じで安心して見ていられる一方で、船長が残した70年代のディスコ曲を使って、笑いを振りまきながら物語が進んでいくあたりは、本来なら元気をなくしても仕方がないはずの主人公が、観客に元気を与えるという素晴らしい構図になっている。
 今までにも多くの宇宙映画はあったが、この作品が他の宇宙映画と大きく異なるのは、この主人公のポジティブさと言っても過言ではない。状況的には爆発あり、窒息あり、食糧難あり、氷点下の過酷な環境あり、と常に生命の危機にさらされる危険性と隣合わせの状況が続いているのだが、冷静沈着な判断力、それを実行に移す行動力、そして何事もポジティブの捉えられる考え方。そのどれが欠けても魅力的な主人公マークは在り得なかったし、このマークなくしてこの作品もあり得なかっただろう。
 宇宙飛行士でありながら植物学者という主人公マーク。考えてみればこんなポジティブな学者って今まで見たことがない。自虐的に「宇宙飛行士が宇宙海賊になるんだ!」的なことを言うシーンがそれを象徴している。そしてそれを現実世界でも象徴したのが、アカデミー賞の前哨戦と呼ばれるゴールデン・グローブ賞。映画がドラマ部門とミュージカル/コメディ部門に分けられる映画賞で、コメディ部門の作品賞と主演男優賞を受賞したのだ。日本だったらこの作品がコメディに分類されることはまずないだろうと考えると、やはりハリウッドは凄いところだと思わざるを得ない。
 そしてアカデミー賞本体でも最優秀主演男優賞にも見事にノミネートされている(このレビューを書いている時点ではまだ受賞かどうかは発表されていない・・・)。
 おまけというわけではないが、地球上でも「ロード・オブ・ザ・リング」のネタで笑いを取るシーンもあり、地上で宇宙で、両方で上手く笑いを取っているのも、この作品の上手いところだ。

 そしてよくある、恋人や家族との描写を入れることで過剰な感傷的演出をすることがないにも関わらず、涙を誘う演出が非常に良かった。わかりやすく言うなら恋人や家族との別れを予感させるような"悲しみの涙"ではなく、数々の苦労や失敗の後でようやくたどり着いたロケット打ち上げ成功を仲間と共に喜ぶことで流す"嬉し涙"といったところ。実際、コントロール・ルームで両手を挙げて、歓声を上げる関係者たちが歓喜するシーンでは自分も一緒に歓喜して、うれし涙がこぼしていた。

 そんな主人公マークを演じたマット・デイモン。上述のようにゴールデン・グローブを受賞し、アカデミー賞主演男優賞にもノミネートされているのだが、彼の役作りも凄かった。
 いろいろな危機を乗り越えて、数か月の時間が経過した描写でのマット・デイモンの痩せた姿は2、30kgは落ちているのではないだろうか?役作りで痩せるというのは過去に何度もあったが、同一作品の中でここまでの変化を見たのは初めてかもしれない・・・。撮影期間がどれだけあったのか?にもよるが、マット・デイモン恐るべしだ。

 とにもかくにも久々に「ザ・ハリウッド」を満喫できた作品でした。

ビリギャル (8点)

採点:★★★★★★★★☆☆
2016年1月5日(飛行機)
監督:土井 裕泰
主演:有村 架純、伊藤 淳史

ラスベガス出張の行きの飛行機の中で見た作品。

[一口コメント】

 "When there is a will, there is a way."、このフレーズが物語のすべてを語っています。

【ストーリー】
 名古屋の中高大一貫教育の私立校に通う女子高生のさやか。彼女は小学校時代はいじめられっこで、その鬱憤を晴らすかのように毎日友人たちと遊んで暮らしていて、勉強はまったくしていなかった。ある日、喫煙の疑いをかけられ、大学への内部進学すら怪しくなった状況で、母はさやかに塾に通うように言う。彼女は入塾面接に行き、講師の坪田と出会う。この出会いが彼女の運命を変えることに―――。

【感想】
 想像以上に良かった。
 ギャルが猛勉強して有名大学に合格する話―――と言えば、そうなのだが、予想していたのは「ドラゴン桜」のような勉強のノウハウを伝える内容だと思っていたが、家族崩壊の物語あり、友情物語あり、師弟愛あり・・・と盛りだくさんの内容。だからといってシリアスな展開ではなく、ギャルという見た目を活かして、笑いと涙をバランス良くうまく混ぜ込んでいる。
 聖徳太子を"せいとくたこ"と呼んだり、東西南北がわからなかったり、あまりの無知ぶりに笑わせてもらったかと思えば、伊藤敦演じる塾講師が「ダメは人間はいない。ダメな指導者がいるだけです」との台詞にウルッと来たり・・・。
 笑いの部分がさやかのいかにもギャルっぽい天真爛漫な明るさに依存しているとするなら、家族崩壊とその後の再生を描いた部分が涙を誘う一番大きな要素となっていると言える。自分の叶えられなかった夢を子供に託す親の気持ち、その期待に応えて努力をするが自分の限界を知ってしまい、親の期待がプレッシャーに変わってしまった子供の気持ち。このすれ違いがきっかけとなり、家族が崩壊してしまう過程が観客の涙を誘う。
 脚本の妙と言えば良いのだろうか?日本独特の受験戦争をメインテーマに家族愛、師弟愛、友情などが絶妙のバランスで成り立っていて、最初から最後まで飽きることがない。

 キャスティングも非常に良い。
 まずは主役の有村架純。映画前半の金髪ギャルで天真爛漫な姿と後半のスッピンっぽい顔で受検に真剣に打ち込む姿のギャップは非常に大きく、物語り全体にも良い意味でのギャップを与えている。
 もう1人の主役とも言える講師・坪田役の伊藤敦。生徒1人1人のポテンシャルに合わせて、アメとムチを使い分けることでどんな生徒であっても心を通わせあい、荒れた家庭環境に育っていて何かしらの寂しさを感じている生徒たちの居場所を作ってあげている。
 そんな坪田が"善"だとするなら、対峙する"悪"が学校の先生。生徒に対して「お前らは最低のクズだ!」なんて台詞を見事なまでに吐き、見事な悪役を演じている。特に喫茶店で坪田と担任が話す場面は悪役として最高の見せ場で、このシーンがキッカケとなり、さやかのやる気を引き出した=物語の核であり、脚本の秀逸さが垣間見える瞬間でもある。そしてもう1人の"悪"が父親だろう。息子だけを可愛がり、娘には冷たく当たる、こちらも見事な悪役っぷりだった。
 自分の理論で、"良い映画には良い悪役が必要"という理論がある。この作品においてはその"悪役"が2人もいる。しかも1人は家庭内、もう1人は学校という、高校生にとっては2大拠点とも言える場所。そんな2大拠点に"悪"がいる環境で健気に頑張る主人公という設定がストーリーに良いスパイスを効かせている。

 ロケーションも名古屋育ちの自分にとっては印象的な場所が多かった。
 名古屋の二大繁華街である名駅と栄地区で、高校生は名駅ではなく栄で遊ぶという設定がリアルだったり、TV塔やセントラル・パークといった自分が高校時代に遊んでいた懐かしい場所や渡米中にできたサンシャイン栄やオアシス21といった新しい場所も何度もスクリーンに映し出され、非常に親近感が沸いた。
 名古屋弁も豊富で「たわけ!」と怒鳴る父親が印象的だが、全国的に意味が通じるのだろうか?ただし女子高生の「デラ」がないのは残念。
 また母校である名大もストーリーに絡んでいるだけでなく、実際に合格発表のシーンがスクリーンに映り、自分の受検時代を強烈に思い出し、主人公の気持ちに感情移入する度合いもより高まった。

 とまぁ、良いとこだらけなのだが、一箇所だけどうしても納得できないシーンがある。
 さやかのことを常に大切に思い続け、彼女のためにパートを始めさえした母親"あーちゃん"。どんな状況でも子供の味方になる親としての姿勢は見方によっては素晴らしいし、その姿勢があったからこそ、さやかも受検に真剣に取り組むことができたのは間違いない。それでも学校を訪れ、担任に向かって、「さやかは受験勉強を徹夜でしているのだから授業中は寝させてあげてください」というシーンがある。このシーンも制作陣の狙いは、娘をかばう母親を描くという目的なのかもしれないが、どう見てもモンスター・ペアレントにしか見えない。
 このシーンが原作にあるのだとしても、映画化するにあたってはこのシーンは削除しても良いのでは?と感じた。実際、このシーンがなくなったとしても、特に他に影響が及ぶようなシーンでもない・・・。このシーンがあることによって、逆に"努力して受験戦争に勝った"という話が"母親のわがままを通して、無理やり娘を合格させた"という印象を与えかねない。このシーンだけは蛇足だったと言わざるを得ない。

 さやか自身は名門私立中学に合格しているので、もともと勉強の才能がない人間が頑張って名門大学に合格したわけではないとか、慶應といっても学部がね・・・とかって粗探しをする人もいるようだが、映画のポイントはそこじゃない。
 高2の時点で全国偏差値30というのは事実だったわけで、そこからの1年ちょっとの期間で偏差値を大幅に上げたという事実が重要。この作品のキャッチ・コピーでもある"When there is a will, there is a way."こそが、すべてと言っても良いのではないだろうか?


スター・ウォーズ -エピソード7・フォースの覚醒- (6点)

採点:★★★★★★☆☆☆☆
2012年12月29日(映画館)
主演:デイジー・リドリー、ジョン・ボイエガ、ハリソン・フォード、キャリー・フィッシャー
監督:J・J・エイブラムス


 2015年最大の目玉作品として世界中で注目された「スター・ウォーズ」第7弾。
 世界的視点で見ると、この作品はものすごく評価が高く、各国で記録を塗り替えているのだが、日本は他国と比べるとものすごく評価が低い。過去の6作品にしても、歴代TOP10にすら名を連ねていないし、この最新作にしても「妖怪ウォッチ」という強力なアニメ作品に興行収入では勝ったものの、動員数では負けてしまい、収入ではなく、動員数で発表される日本国内の映画ランキングでは初登場2位。良い意味でも悪い意味でも世界的にも日本的にも注目されていた作品をようやく見ることができた。

【一口コメント】
 映画史に名を残す作品の最新、かつ最終3部作の序章としてはイマイチ。

【ストーリー】
 遠い昔、はるか彼方の銀河系で・・・。
 エンドアの戦いから約30年後、最後のジェダイ、ルーク・スカイウォーカーが姿を消して以降、帝国軍の残党ファースト・オーダーにより、再び銀河に脅威が訪れようとしていた。ルークの双子の妹、レイアはレジスタンスと呼ばれる組織を結成し、新共和国の支援の下、ファースト・オーダーに立ち向かうためにルークを探していた。
 ルークの居場所が記された地図を手に入れたレジスタンスのパイロット、ポーは自分のドロイドのBB-8に託した後、ファースト・オーダーによって捉えられてしまう。一方、BB-8はジャクーでレイという少女に出会う―――。

【感想】
 まずはとにかく、「お帰りなさい」という言葉だろうか?
 エピソード3が終わった時点で生みの親であるジョージ・ルーカスがもう作らないと言っていたこのシリーズだったが、ディズニーがルーカス・フィルムを買収したことでルーカス以外の監督が指揮を執るということで急遽続編が作られることになり、世界的に期待されていた作品がこうして現実になったわけだから・・・。

 正直自分はそこまでスター・ウォーズのことが好きなわけではない。自分が最も好きなシリーズ作品である「バック・トゥ・ザ・フューチャー」は3部作のDVDだけでなく、VHSやデロリアンのプラモなど多数のグッズを持っていて、本編は数十回と見ているが、スター・ウォーズ関連のグッズは何も持っていないし、見た回数も10回も行ってない。
 そんな自分としての感想は、この作品は「スター・ウォーズ」の正当な続編と言える内容だったのではないだろうか?という感じ。何よりも驚いたのが、ディズニー制作作品でありながら、ディズニーのオープニング・ロゴがなかったこと。映画史上最も愛されてきた作品ということもあってか、ディズニー側も作品に対して敬意を払ったのだろうか?さすがに20世紀FOXのロゴはなかったが、ルーカス・フィルムのロゴもあったし、オープニングの宇宙空間に文字が浮かび、奥へと消えていく、いつものパターンだったし、デジャブか?と思えるほど前6作で見たことあるようなシーンも随所に見られた。(基地の細い空間に入り込んで、最終的にデス・スターを爆破をするシーンは何度見たことだろう?)

 そして旧シリーズのキャラクター達の登場。エピソード6の30年後という設定で、実際にエピソード6が公開されたのが、1983年ということで、2015年公開の今作は公開年度で見ても32年後ということもあり、年齢の取り方もリンクしている。レイア姫を演じたキャリー・フィッシャーは他の作品で見ることがほとんどなく、「あぁレイア姫だ!」と感動。そしてチューバッカは人間ではないため、当時と変わらない姿でそのまま登場するし、活躍の場面も多い。またR2-D2とC-3POのドロイドコンビも登場する。
 しかし何といってもハン・ソロだろう。ハリソン・フォードはこのシリーズをきっかけに「インディ・ジョーンズ」などハリウッドを代表するスターとなった。そんな彼が再びこのシリーズに戻ってくるだけでもすごいことなのに、チョイ役としての出演ではなく、愛機のミレニアム・ファルコンと共にこのエピソード7の実質的な主役ともいえる活躍を見せてくれる。

 脚本自体はシリーズ全体を通してそうなのだが、そこまで複雑なストーリーではなく、善と悪が戦うと設定を軸に、フォースやらライトセーバーやらドロイドやら、ファンが好みそうな要素が散りばめられている。その点に関しても今作もシンプルかつファンが好む要素を各所に盛り込んでいて、かつ旧6作へのオマージュもそこかしこに散りばめられていて、ファンが喜ぶこと間違いなしの奥深い演出と共に初見のファンにとっても解りやすい世界観を描いている。

 ただし逆に言えば、新鮮さというか新しい"スター・ウォーズ"感は全くない。唯一今まで明白に違ったのが、場面転換の際のエフェクトがなくなった点だろうか?
 監督のJ・J・エイブラムスは「ミッション・インポッシブル3」、「スター・トレック/STAR TREK」、「SUPER8/スーパーエイト」といった過去作品を見てもわかるが、有名監督や有名シリーズの続編やリメイクなどは非常に上手い。各作品や監督が持つ色や感性といったものを再現することに関しては、世界屈指の監督と言える。しかしオリジナルとなると「LOST」などのTVドラマは例外として、劇場作品になるとオリジナリティが薄れる。"コピーさせたら右に出るものはいない"というのがオリジナリティなのかもしれないが、一度彼の本当のオリジナル作品を見てみたい。
 だからかどうかわからないが、今作はよく言えば「懐かしい!」シーンがたくさんあるのだが、「おぉ、これ格好良い!」とか「今までに見たことない!」的なシーンはなかったように感じた。エピソード1~3ではポッドレースという新しい世界観だけでなく、イグアスの滝を思わせるようなシーンを見せるなど惑星1つ1つの描き方にも新鮮さがあったが、この作品に関してはそういった新鮮な驚きがなかった・・・。

 キャスティングに関して言うと、今シリーズの主役と思われるデイジー・リドリーは非常に良い。エピソード1~3のナタリー・ポートマンとその影武者役のキーラ・ナイトレイとどことなく似ている(どっちかというとキーラ似?)。同じ「スター・ウォーズ」シリーズということでキャスティングの際に意識したのだろうか?凛とした顔立ち、美人でありながら儚さも強さも両方を表現できるタイプの顔立ち。今後の活躍が非常に楽しみだ。
 そしてエピソード4のルークと同じ廃品回収で生計を立てているというキャラ設定もナイス。彼女の生い立ちは今作でははっきり明かされてはいないが、ナタリー・ポートマン演じたパドメ・アミダラを彷彿とさせる風貌に、王族の気品と強い意志が瞳に宿っているし、修行もしていないのに、フォースを操れる強さは恐らく彼女の遺伝子がどこかに入っているのだろう(エピソード8か9で明らかにされるだろうか?)。しかし旧6作で描かれていたジェダイの修行はいったい何だったんだ?という風にも取れてしまうため、"フォースの覚醒"という副題にもなっているその過程はもう少し丁寧に描くべきだったかもしれない。

 一方、今シリーズの敵役と思われるカイロ・レン。このキャスティングはイマイチ。そもそもキャラ設定が残念すぎる。このシリーズがここまで世界的にヒットした理由の1つとしてダース・ベイダーという稀代の悪役の存在がある。そのダース・ベイダーに憧れているという設定は良いのだが、あまりにも弱い。もしかしたら今回の敗北と某人物殺害を糧にエピソード8以降でとてつもない活躍を見せてくれるのかもしれないが、今作を見る限りでは期待薄。
 そもそもそれっぽい仮面を装着して登場し、フォースを使ってビームをも停止させ、「おぉこれが今シリーズの敵役か?」と思わせておきながら、すぐに仮面を取ってしまうとは・・・。仮面キャラと言えば、仮面を取らないからこその美学があるはずなのに、仮面の奥にどんな人物が?・・・と想像を掻き立てる暇もないし、仮面を取ったら取ったで敵役っぽさの薄い顔立ちだし、失敗を部下に当たり散らすような情けない男でありながら、ファースト・オーダーの軍においてはトップ2の1人というキャラ設定。またせっかく某人物とのとても重大な関係性を出しておきながら、その人物がいなくなってしまったことで、次作以降でそこを深堀していくという展開も望めない。
 良い作品には必ず良い敵役がいるという今までの映画の歴史からすると、その点においてこの新3部作は不安で仕方がない。今回は敢えて情けない男として描き、次作以降で主人公だけでなく、敵役も成長していく過程を描くための壮大な伏線だと思いたい・・・。

 レイにしてもカイロ・レンにしても、3部作の1作目ということでそこまでキャラが立っておらず、旧シリーズのハン・ソロが実質の主人公的振る舞いをしていて、キャラの描き方に満足を感じることが難しい今作で唯一新キャラとして明確な足跡を残したのがドロイドのBB-8だろう。
 R2-D2を彷彿とさせる愛嬌たっぷりのドロイド。敵をやっつけて、とある人物がガッツポーズの代わりに思わず親指を立てた動作を真似て、BB8もライターっぽいものを体内から取り出し、さらにそれを使って火をつけて親指を立てる動作を真似るシーンは本当に愛嬌たっぷり。そしてストーリー展開の上でもルークの所在を示す地図を保管するという重要な役割にを担っており、最後に実際にR2-D2と共演するシーンも用意されている。

 時代的にはSW前とSW後といって良いほど、SF映画の質が変わった。「ジュラシック・パーク」前とジュラパ後でCGの歴史が変わったように・・・。そんな歴史的作品の最新、かつ最終3部作の第1作としては正直、物足りないというのが今作の感想だが、残り2作を見終わった後には3部作の1作目としてはあれで良かったとなるかもしれない。残り2作に期待したい。

バクマン。(8点)

採点:★★★★★★★★☆☆
2015年11月21日(映画館)
監督:大根 仁
主演:佐藤 健、神木 隆之介


 「モテキ」の大根仁監督が「DEATH NOTE」の原作コンビによる、週刊少年ジャンプで連載されていたジャンプの裏側を描いた作品を実写化ということで楽しみにしていた作品。

【一口コメント】
 世界各国での反応が楽しみな作品です。

【ストーリー】
 ストーリーを考えるのが得意で漫画家になりたいが、画力のない高校生・高木秋人は同級生で絵の上手い真城最高に、一緒に漫画家になろうと声をかける。乗り気ではなかった真城だったが、恋心を抱いていたクラスメートの亜豆美保が声優を目指していることを知り、二人が描いた漫画がアニメ化された際に亜豆が声優を務めるという約束を交わし、2人で作品を描き始める。
 2人は週刊少年ジャンプで連載するという目標を叶えるため、編集部に読み切り漫画を持ち込み、そこで服部という編集者に出会う。この出会いがきかっけとなり、手塚賞に作品を応募することに―――!

【感想】
 漫画原作の実写化というのは賛否両論、いろんな意見が出てくるが、この作品は「GANTZ」、「寄生獣」といった最近の漫画原作とは大きく異なる。漫画を描くことをストーリーのど真ん中に据え、登場人物たちの成長を描くという人間ドラマの物語であり、CG処理や特撮が必要な内容ではない・・・という漫画原作とは思えない、地味な内容なのだ。CG処理や特撮という要素を除けば「宇宙兄弟」に近い感覚と言えるかもしれない。
 インクで手や顔を汚し、スクリーントーンの削りカスで服を汚し・・・といった地味な作業であっても映画である以上エンタメとして楽しめるビジュアルが必要。そこでこの作品は地味なはずの作業をCGと3Dマッピング技術を駆使して、少年ジャンプの王道であるバトル風のビジュアルに上手く変更している。はっきり言ってこうした最新技術などなくても、この作品を作ることはできるはずだが、それを映画ということで敢えて派手にするための演出の1手段として、CGと3Dマッピングを使う制作陣の思い切りとセンスの良さに感動させられた。
 またそれらを補うようなペン入れの"カリッカリッ"という音や線を引くときの"スーッ"という音のリアルさもあり、視覚と聴覚で楽しむことができる。

 また途中、手塚賞の同期受賞関係者が「スラムダンク」などの名台詞を使って漫画について語り合う場面があり、登場人物たちがどれだけ漫画を好きなのか?伝えるシーンがある。このシーンは見ていて「そうそう!」といった感じで、自分がその同期メンバーの1人になったかのような錯覚を覚えさせる。感情移入という意味では、これ以上ないシーン。
 そして上記のスラダン談義の流れを踏まえた上で、主人公2人がコンビを結成した際に作った握手に関する約束。何度かの条件変更を乗り越え、ようやくその瞬間がやってきた際の演出もスラムダンクのラスト、桜木と流川のあのシーンとかぶせてあり、ジャンプ好き(特にスラダン好き)にはたまらない演出となっている。
 またジャンプ原作でありながら、ドラえもんをはじめとする他誌の連載漫画のコミックやフィギアなどが並べられているあたり、漫画へのこだわりが感じられる(著作権のクリアなどに対する裏の作業量も半端ではないだろう・・・)。

 エンドロールも本棚に並ぶ漫画の背表紙のタイトル(=美術などの肩書)と作者(=担当者)といった面白い演出を施していて、しかもその漫画のタイトルも過去の有名作品をパロディ化したものとなっていて、とても面白い。その本棚の中にDEATH NOTEやバクマン。の実在するコミックが並んでいるのも面白い。そして本当に最後の最後で、作品冒頭に提示され、途中で回収されたと思っていた伏線がもう一度別の展開で締められているところも絶妙だ!

 キャスティングも良い!神木隆之介は子役出身だが、本当に良い役者になった。原作を知っていると佐藤健と神木隆之介のキャスティングは逆じゃないか?と作品を見るまでは思ってしまうかもしれないが、作品を見終わるとこのキャスティングで良かったと思える。その一因は佐藤健の少し抑えた演技であることは疑いの余地がない。しかし一番大きな要因は神木のひたすらな漫画に対する情熱の演技だと思う。親父が漫画家だったパートナーの作業部屋に初めて入った時のはしゃぎ振り、かと思いきや編集部での真摯な姿勢、そのふり幅はさすがの安定感!
 また編集の服部を演じた山田孝之も良かった。タミヤのTシャツを着て、雑誌が高く積まれたデスクに埋もれた初登場シーンに始まり、主人公2人を熱く支える演技。「編集部と作家が対立した時には作家側につくのが本当の編集だ!」の名台詞もあり、助演男優賞間違いなしの演技だった。
ただし、アシスタントも付けさせず、病気で倒れるまで漫画を描かせ続けるというキャラの設定自体に問題はあるが、そこは彼の演技力とは関係ない・・・。

 演出、キャスティングなどに関しては素晴らしかったのだが、脚本に関してはイマイチな点が多かったのも事実。その最たるものが、上述の服部のキャラ設定というか、原作では丁寧に描かれていたアシスタントの描写をバッサリ切ってしまったこと。
 原作を読んでいなくても漫画を描くにはアシスタントが必要不可欠という事実を知っている人からすれば、連載作家でありながら、アシスタントがいないという描写はあまりにも非現実的すぎる設定ではないだろうか?しかも連載を抱えている同期の作家が主人公作家のアシスタントをするというのはひどい。ジャンプのテーマでもある"友情"を描きたかったのだろうが、このやり方はどうだろう?
 20冊もの原作を2時間に収めるために時間が足りないというのもあるかもしれないが、アシスタントの描写をカットするなら、亜豆とのあまり意味のない恋愛描写を削って、ラブコメ要素をなくし、漫画愛を一筋に描いても面白かったかもしれない。

 そして、人気が落ちたら女性キャラを出すだけで人気が復活するくだりや一つ一つのコマ割りなどの理由付けをもっと深く描くべきだった。実写版「DEATH NOTE」のLの推理の裏側が描写されてないのと同じミスで、残念。
 せっかく漫画に対する熱い思いを持ったキャラが複数登場するのに、スラダン討議以外に漫画に対する深い愛情を感じられるシーンが少なかったのも残念。これも亜豆との恋愛描写に時間を割いてしまった弊害か?

 また演出は素晴らしいと言ったが、演出がくどいシーンも2つあった。1つは主人公コンビがライバル新妻とランキング1位をかけてバトルするシーン。ペンを武器にして、漫画を描きながら背景がCG合成されて、互いの漫画をぶつけあうというシーン。演出自体は今までに見たことがなく(そもそも漫画を書く映画の実写が今までなかった・・・はず?)、非常に斬新で面白かったのだが、長い・・・。
 そしてもう1つが巻頭カラーとなった号をたくさんの人が手にしているのを見せるシーン。通勤途中の電車の中、食堂でご飯を食べる労働者・・・、学校帰りの小学生・・・、コインランドリーで待機中のカップル・・・などなど、いろんなシチュエーションでいろんな年代の人間がジャンプを手にするのを描くのだが、これまた長い・・・。

 なにはともあれ、こんな作品を作れるのは日本人しかいないだろう。そもそも漫画の週刊誌が無数にあり、それが毎週1000万部近い数売れている国が日本以外には存在しないのだから・・・。
 そういう意味ではこの作品が海外の映画祭でどういう評価を受けるのか、とても興味がある。
 COOL JAPANという政府主導の日本文化輸出の先方とも言うべき漫画とアニメのリアルな制作現場を描いた原作をベースに、少しファンタジー色を増した実写版。なんだかんだ悪い点も書いたが、全体としては素晴らしい仕上がりで、続編があるなら見てみたい作品です。

ピクセル/PIXELS (7点)

採点:★★★★★★★☆☆☆
2015年9月22日(映画館)
主演:アダム・サンドラー、ケビン・ジェームズ、ミシェル・モナハン
監督:クリス・コロンバス



 予告編を見た時から楽しみにしていた作品。劇場に行った時間にやっていたのが、3D字幕版のみということで、久々に3D、そして久々に吹き替え版を見ることになった本作。しかし3Dはさておき、吹き替えは楽しむことができた・・・。

【一口コメント】
 見終わった後、ゲーム・ウォッチが手元にあれば間違いなくプレイしてしまう映画です!

【ストーリー】
 1982年、NASAは宇宙人に向けて当時流行していたゲームを収録した映像などを宇宙へ送った。30数年後、宇宙人たちはその映像を基にゲームのキャラクターを再現し、地球に侵略を仕掛けてくる!
 グアムの米軍基地にギャラガが・・・、インドのタージマハルにはアルカノイドが・・・、ロンドンにはセンチピードが・・・、そしてニューヨークにはパックマンが襲い掛かる―――。これらのゲームのキャラクターは触れた物質をすべてピクセルに変える特殊能力を持っている。
 そこでNASAが宇宙に送った80年代当時のアーケード・ゲームのチャンピオンたちがアメリカ大統領のもとに集う!

【感想】
 予想通りの展開で予想通りに楽しめた。
 自分が思う制作陣の狙いは、100人が100人楽しめる映画ではなく、100人中50人がそれなりに笑える映画・・・といったところ。そういった意味ではパーフェクトな作品だと言える。数年に1本、必ずこういった作品を世に送り出すハリウッドはやはりすごい。
 制作費150億円を超えるような超大作でもなく、かといって低予算作品でもなく、60~80億円規模の予算で同額程度の売上を目指す(日本で置き換えれば5億円の予算で5億円の売上を狙う)というのは他の作品でカバーできる、もしくは他国の売上でカバーできるという計算が成り立つハリウッドのスタジオだからこそできる贅沢な"遊び"だ。
 「メリーに首ったけ」を日本で見た時にも同じことを思ったが、日本では絶対に作られないし、仮にそういった作品があったとしても狙って作っているわけではなく、結果そうなったパターンだと思う。なぜならそんな中途半端な映画を作るだけの予算があれば、他の大作に予算を回すか、もっと低予算で芸術志向の作品を複数制作するというのが日本の映画製作として根付いているからだ。

 ちょっと作品の感想からは話が逸れてしまったので、本題に戻したい。
 予告編を見て思っていた80年代のアーケード・ゲームとピクセルという相性の良い組み合わせ、それがこの作品の随所に感じられる。敵が攻めてきて触れたものがすべてピクセル化するという演出。敵自体がピクセル化しているので、違和感もないし、3D映像として見る分にも違和感がないどころかより3D感が際立つ。CG全盛で恐竜やドラゴンといった想像上の生物でさえ描けるこの時代に敢えてカクカクした時代遅れのピクセル化した映像を・・・、しかもそれを3Dで見せるというこのコンセプト。この時代にこの企画を考えた人間は素晴らしい発想の持ち主だと思う。
 その一方で、ある登場人物が恋するゲームの中の女性キャラがピクセルからリアルな女性になる描写も差し込んであり、そのあたりのメリハリというか対比がまた上手い!さらにその逆で、現実のものがピクセル化していく描写も非常に斬新で、今までありそうでなかった面白い映像を楽しめる。またテトリスで一列そろうごとに高層ビルの高さが減っていくという描写も面白い。

 ストーリーはもちろん突っ込みどころ満載なのだが、それを突っ込んでしまってはルール違反。なぜならこの作品はストーリーの整合性や人間ドラマといった要素を求める作品ではないからだ。でなければかつてのゲーマーがあんなにもお笑いっ気たっぷりに世界を救うなんて設定になるはずがないし、しかもアメリカ大統領の友人だなんて設定はもっと在り得ない。
 言い換えればこれはB級映画の中のB級、キング・オブ・B級映画なのだ!というか、監督が「ホーム・アローン」、「ハリー・ポッター」シリーズのクリス・コロンバスで主演が新コメディの帝王アダム・サンドラーという時点でこれはそういう作品なのだ!ということに気付けるかどうか?がこの作品を楽しめるかどうか?の分かれ道なのかもしれない・・・。
 B級映画とは深く考えることなく、映像や台詞の駆け引きによる笑いを単純に楽しむための作品なのだ。

 ところで今作は映画館で鑑賞した久しぶりの吹き替え作品だったわけだが、結果、吹き替えもキャスティングと内容によってはありだなと思える作品だった。
 吹き替えがありだと思えたのはある役者の吹き替えを担当したのが、神谷明氏であったから。彼は日本のアニメ界では「キン肉マン」、「北斗の拳」のケンシロウ、「シティーハンター」の冴羽リョウ、「名探偵コナン」の毛利小五郎など名だたる作品の名だたるキャラクターを演じている。そのキャラの名台詞がこの作品の中でも使われていて「お前はもう死んでいる・・・」とか「モッコリちゃん!」とか、逆に字幕版はどういう字幕になっているのか?滅茶苦茶気になった。
一方で主演のアダム・サンドラーの吹き替えをした柳沢慎吾はイマイチしっくりこなかった・・・。バラエティー番組で見る彼の弾丸トークは面白いのだが、この作品においては何か空回ってる感がすごかった。アダム・サンドラーと言えばアメリカの劇場では抱腹絶倒系のコメディ俳優なのだが、吹き替えになったせいか、あるいは字幕でもそうなのかもしれないが、この作品においては滑ってる感がところどこと垣間見えた。
 全体としてはコメディ系の作品で声優自体が持ちネタとも言える台詞を持った声優であれば、吹き替えはありだが、ドラマなどのように明らかに作品の質と声優の質が合っていない場合はやはり字幕が良いと再認識させられた作品となった。

 エンド・ロールの文字というのは普通、黒い背景に白い文字が下から上へと流れていくのが一般的だが、この作品はエンド・ロールまで80年代のゲーム化されていて、書体や表示の仕方など、スタッフのゲーム愛が感じられる仕上がりとなっている。
 1つ気になったのが、作品の冒頭と最後で非常に目立っていたSONYの文字。今や完全にハリウッドのメジャー・スタジオの仲間入りをしたSONY PICTURESだが、"PICTURES"ではなく、"SONY"をここまで打ち出してきたのは初めてではないだろうか?この作品に登場する多くのキャラやゲームは任天堂やコナミといった他社のものだったが、2015年現在ハリウッドに残る唯一の日系スタジオということで、日本連合を組んでその陣頭指揮を執ったのがSONYということだろうか?などと少し変な見方をしてしまったりもした・・・。しかし実際、各ゲーム会社はよくキャラクターの版権許可を出したと思うし、それを取得したSONYもすごいと思う。一瞬だけではあるが、任天堂の象徴ともいえるスーパーマリオも登場していたし・・・。

 ゲーム・ウォッチから遊んでいた自分としては非常に楽しい作品だった。しいて要求があるとすれば、2つ。1つはせっかく版権許可を得たのだから、ゲームのキャラが登場するシーンは、各ゲームのBGMを流して欲しかった。そして2つ目はハリウッド映画ということでアメリカ人向けのゲーム・キャラが多かったが、クッパや竜王といった日本人になじみの深いキャラクターも出演させてほしかった。というか、高橋名人が登場する日本版を、誰か作ってくれないか?と半分くらい本気で思ってみたりもする・・・くらい楽しい作品でした。