日米映画批評 from Hollywood -8ページ目

ゼロ・グラビティ / GRAVITY (7点)

採点:★★★★★★★☆☆☆
2016年06月10日(TV)
主演:サントラ・ブロック
監督:アルフォンソ・キュアロン


 アカデミー賞7部門を受賞した宇宙サバイバル映画。地上波初放送ということで鑑賞。

【一口コメント】
 感動や興奮ではなく、ドキュメンタリー的要素を追求した宇宙空間の映像美と二重の意味で"重さ"を味わえる作品です。

【ストーリー】
 ハッブル望遠鏡の修理を行っていたライアン達は、ロシアの衛星が破壊され、宇宙ゴミが猛スピードで迫ってきているという通信を受ける。数分後には宇宙ゴミがライアン達を襲い、ライアンは1人で宇宙空間に放り出されてしまう。近くにいたマットに何とか助けられたものの、スペース・シャトルは大破し、残された酸素量も残りわずか・・・。そんな絶望的な環境から地球へと帰還できるのか?

【感想】
 今年の2月に劇場で鑑賞したマット・デイモン主演の「オデッセイ」を思い出した。どちらの作品も宇宙にたった一人残され、どうやって地球に帰還するのか?をテーマにした作品。
 時系列的には今作の方が先に公開されていて、舞台も「オデッセイ」の火星よりも地球に近い宇宙空間となっていて、類似していると言えば類似しているが、異なると言えば異なる・・・という見方をする人がいるかもしれない。
 個人的にはSFというジャンルこそ一緒だが、全く別物という見方になる。「オデッセイ」がいわゆるハリウッド映画の王道ともいうべきエンターテインメント(観客をワクワクさせて楽しませる)の要素が一杯詰まっているのに対し、この作品はどちらかというとドキュメンタリーに近い。
 カメラワークがそれを象徴している。監督の個性が表れていると言っても良いが、今作は非常に長回しが多い。1カット、1カットが非常に長い。さらに宇宙空間ということで1カットながらも固定の角度からずっと見ているのではなく、360度ありとあらゆる角度から登場人物を映し出す。オープニングのカットは15分くらい1カットで回している。
 そしてところどころ主人公目線のカットも挿入し、観客が主人公と同じ目線で360度の映像を見ることによって、観客自身も宇宙空間に放り込まれたような感覚に陥る効果ももたらしている。このあたりの映像の見せ方は非常に上手く、アカデミー賞撮影賞受賞も納得の素晴らしい映像美に仕上がっている。

 そしてドキュメンタリーに近いもう1つの理由が登場人物の少なさ。通常宇宙を舞台にした映画の場合、宇宙にいる人物とヒューストンや家族などの地上にいる人物を交互に映し出していく作品が多い。「オデッセイ」もこのタイプ。そのタイプであるが故に複数の登場人物の誰か1人に感情移入し、感動したり、興奮したりするのだが、今作は冒頭と中盤の一瞬を除けば、ほぼ主演のサンドラ・ブロックの1人芝居。他に感情移入する人物はおらず、最初から最後までその人物にフォーカスをする。普通ならその人物に家族や恋人がいて、そこに感情移入させるのだが、この作品では子供がすでに死んでいるという、違う意味でリアリティがある設定となっている。そこにエンターテインメントではなく、ドキュメンタリーの要素を強く感じてしまったのかもしれない。
 逆に言うと、ドキュメンタリー的要素が強いが故に、感動や興奮といったドラマ要素を求めて映画を見に来る人にとっては非常につまらない作品に見えてしまう可能性も高い。

 とはいえ、監督の伝えたかったメッセージの片鱗のようなものはところどころに散りばめられている。例えば宇宙ステーションにたどり着いた直後に宇宙服を脱ぎ捨てて無重力空間で丸まった主人公を映し出したカットは母親の胎内にいる胎児を連想させる。
 「今日死にます」という台詞に象徴されるような"生"を諦めるような発言とは対照的に"死にたくない"という思いも何度か描写される。その根底にある"生"への渇望ともいうべき胎児のようなカットは、実はこの作品の肝ではないだろうか?実際、アメリカ版のポスターにはこのシーンが使われているバージョンもある。
 宇宙ステーションに不時着する際のパラシュートのロープに絡まったシーンもへその緒のように見えなくはない。
 そして"生"への思いが如実に表れるラスト・シーン。母体(=宇宙空間)からこの世に生まれ落ちたことを象徴するかのように、自ら這いつくばるようにして陸に上がり、重力を感じながら立ち上がるシーン。原題のGravity = "重力"が、この作品のタイトルになっている理由がものすごく重厚に伝わる名シーンになっている。
 最初から最後までをほぼサンドラ・ブロックの1人芝居としてドキュメンタリー的に描いてきたからこその、このラスト・シーンであり、これをエンターテインメント的に演出していたのでは感動はあったかもしれないが、"重み"はなかったはずだ。そしてこの作品に関しては監督は明らかに感動を狙っていないのだから、二重の意味で"重さ"を感じるこのラストで良かったのだ自信を持って言い切れる。

 ただし、ドキュメンタリー的演出をしたのであれば、科学的考証の部分に関してもっとリアルを追及してほしかったというのが残念なところでもある。
 この作品を成り立たせるきっかけとなる宇宙ゴミ。衛星を破壊し、主人公を危機に追い込んだ直接のきっかけを作ったのがロシアということになっているが、数年前に現実世界で同じことをしてニュースになったのは中国だったはず。そこはハリウッド、興行収入的な計算も裏でされているのかもしれない。実際、地球へ帰還する最終兵器は中国の宇宙線・神舟が使われている。
 またハッブル望遠鏡の修復現場と国際宇宙ステーションISSをあんなに簡単に行き来することはできないし、無重力の空間であんなにも激しく破壊されたスペース・シャトルからかなりのスピードで放出された状態で無線とライトのやり取りのみで仲間が見つけてくれるというのも少々無理がある。これがエンターテインメント的描写の作品であれば、そこはエンタメ重視ってことで!と言えるのだが・・・。

 とはいえ、宇宙を舞台にした映画で、最初から最後までを実質主人公の1人芝居で描き切ったのは画期的だし、ドキュメンタリー的に描き、しかもカット割りが少ないために、リアルタイムの映像を見ているような感覚になる。この点においては宇宙映画としては本当に画期的な作品だと言える。

海街 diary (2点)

採点:★★☆☆☆☆☆☆☆☆
2016年5月21日(TV)
主演:綾瀬 はるか、長澤 まさみ、夏帆、広瀬 すず
監督:是枝 裕和


 綾瀬はるか、長澤まさみの日本女優界の2トップとも言うべき2人が初共演、さらに新星・広瀬すずも加わるという豪華なキャスティングで制作決定時から話題になっていた作品。

【一口コメント】
 「事件起きるぞ!詐欺」の連続だが、最後の最後まで詐欺で終わる起伏のない作品です。

【ストーリー】
 鎌倉で暮らす、幸、佳乃、千佳の三姉妹。ある日、彼女らの元に不倫をして離れ離れになった父親が亡くなったという知らせが届き、葬式が行われる山形へと向かう。そこで離婚した父親が別の女性との間に設けた異母妹のすずと出会う―――。

【感想】
 なんだ、このつまらなさ。久々の駄作だ。
 つまらない理由は単純明快で、物語にほとんど起伏がない。起伏が起きそうな要素は一杯散りばめられているのだが、何も起きない。
 例えば腹違いの姉妹という設定。父親は同じだが母親が異なる三姉妹と、唯一血のつながりがあった父親が死に一人きりになった妹・すず。そんな4人が鎌倉の古民家風の一軒家で同居生活をするのだが、すずの苦悩を丁寧に描くでもなく、そんなすずがきかっけとなり、もともとの三姉妹にドラマが起きるわけでもない。
 綾瀬演じる長女は同じ病院の医師と不倫をしているが、そこの関係性にも特に何かハプニングが起きるわけでもない。長澤演じる次女もフリーターの彼氏がいたが、何も起きないまま、別れてしまいう。また銀行で職種が変わり、初めて訪れた資金繰りに苦しむ顧客を目の当たりにして、仕事面で何か起きるのか?と思いきや、そこでも何も起きない。夏帆演じる三女に至っては何かが起きる気配すらない・・・。四女のすずは引っ越してきた新しい学校でサッカー部に入り、サッカーと恋愛の2つの要素で事件が起きそうな気配はあったが、こちらもやはり何も起きない・・・。
 唯一、事件が起きそうな感じがした三姉妹の母親が戻ってきた際も、特に何も起こらない。ここまで来ると「事件起きるぞ!詐欺」のような感じだ。
 人によっては、これぞ日本映画の醍醐味だ!という人もいるかもしれない。言葉や設定だけで写真も含めて画面に登場しない人物が多数いて、そこを説明をしない、絵として見せない=観客の想像力に訴えかける=邦画の魅力と捉えることもできなくはないが、こういった演出方法は1つ大きな見せ場が合って、その後の解釈を観客に委ねるというやり方でないと、大半の観客にとっては創造力を膨らませる前に映画が終わってしまう、ただのつまならい作品ということになるのではないだろうか?

 またこの作品で最も説明が必要なはずのシーン、すずが3姉妹と暮らす決断を下す過程についてすら何の説明もない。そこの説明がないから、四姉妹として暮らし始めたところで、観客としては何の感情もない。そこからスタートしてしまい、途中も説明もなく、絵としても見せないのだから、最後まで何の感情も起きない・・・。

 そして1人、1人のキャラが立っていないのもダメなところ。唯一立っているのが長澤演じる次女の佳乃。男性と軽く付き合え、お酒が大好きでグータラ。彼女だけは最初から最後までこのキャラを貫き通してくれる。しかしそれ以外の登場人物はキャラが薄い。登場人物が多すぎて1人1人にフォーカス出来ていない。とはいえ、登場人物が多くても1人1人のキャラが立っている作品は他に多数ある。
 解決策としては、1人だけ背景が異なるすずにフォーカスして、すず視点で作品を描き、すずが本当の姉妹になれた!と感じるまでを描いたら、すずに共感してこの作品を見ることができたのではないだろうか?

 一番の問題点はこの作品に登場する人物の中に、根っからの悪人というか、嫌われ役がいないこと。ドラマであれ、SFであれ、アクションであれ、どんな映画であっても、基本的には敵役がいて、そこに反感感情を覚えるからこそ、主人公やその他の登場人物に感情移入していくのだが、この作品にはそれがない。
 本来ならそれが不倫した父親ってことになるのだろうが、上述したように説明しない、絵として見せない演出のため、不倫したという事実もかなり薄く、敵役としては役不足。あるいは3姉妹の中の誰かが意地悪で、その人物とすずが和解していくという方法もあるかもしれない。もう1つの可能性があったのが、遺産問題。そこもしれっとスルー。
 これでは作品を通して、誰かに感情移入することはできない。だからこそ、つまらなく感じる。

 また上述したように、さらっと流してはいるが、この作品の根幹には父親の不倫問題がある。長女は両親が苦しんだはずの不倫をしていて、しかもそこに何の葛藤も抱えていない(実際には抱えているのだが、そこを深くは描いていない)。さらにすずをこの世に生んでくれた父親は優しい・・・なんて描写もある。
 そして作品は何のオチもないまま、終わってしまう。「えっ、これで終わり?」っていう終わり方も久しぶり。一体全体この作品が伝えたかったのは何だったのか?まったくもってはっきりしないし、不明瞭。

 この作品を通して唯一とも言うべき良かったシーンは桜トンネルのシーン。すずを後ろに乗せて自転車をこぐクラスメート。学生の甘酸っぱい恋が始まる予感が満載のシーン。
しかし結局何も始まらない。この作品の核は結局、この"何も始まらない"の繰り返しただということだろうか?

名探偵コナン 業火の向日葵 (4点)

採点:★★★★☆☆☆☆☆☆
2016年4月17日(DVD)
原作:青山 剛昌
監督:静野 孔文


 前作「名探偵コナン 異次元の狙撃手」に続き、劇場版コナン・シリーズの歴代興行収入を塗り替えた作品。

【一口コメント】
 「劇場版 名探偵コナン」ではなく、「劇場版 怪盗キッド」です。

【ストーリー】
 金持ちたちが一堂に会したニューヨークのオークションで、園子の叔父・鈴木次郎吉は以前日本で焼失したといわれているゴッホの名作「ひまわり」を落札する。そして世界中に散らばってしまったゴッホの7枚のひまわりを集め、日本で展覧会を開くと宣言する。
 その直後、怪盗キッドが現れ、「ひまわり」を巡る数々の陰謀が動き出した!!

【感想】
 これって「劇場版 名探偵コナン」であって、「劇場版 怪盗キッド」じゃないよな?
 見終わった直後の感想がこれ。ってボヤキが出るくらい、今作のコナンは何もしていない。最終的な犯人を告知するのはコナンの役割だったが、犯人を見抜いたのはキッド。キッドが説明したものをコナンが伝言しているだけで、決定的な証拠に関しても、キッドが見つけているし、そもそも蘭のピンチを救うという大役さえもキッドに譲っている。
どう見ても主人公はキッド!

 今作のコナンはイマイチはっきりしないことが多かった。
 例えば飛行機がターミナルに突っ込んでくるシーン。巨大なサッカーボールを蹴って、飛行機の勢いを減速させるのか?と思いきや、「止まれ!」と祈るだけで、何のアクションも頭脳戦も展開されない・・・。以前の作品では殺人的なサッカーボールの威力を見せていたにも関わらず。
 またいつもならキッドに対して上から目線なのだが、今作では「教えてくれ!」なんて台詞まで吐き出してしまう。犯人に対しても、自白ができないのであれば、巧みな話術で自白させるところが、そうでもない。
 一方の犯人の動機もネットの噂を信じたレベルなのにもかかわらず、「理由は後で犯人に聞くとして・・・」と言ってしまう。今までのコナンであれば、犯人すら気づかない真実をズバリ的中させるところだが、まさかの「犯人に聞く」という名探偵としてはあり得ない体たらく。一体全体、どうしてしまったんだ!?

 世界的巨匠による世界的名画、史実に反して燃えてしまったはずの名画が今もこの世に存在するというストーリー展開、怪盗キッドの存在、戦時中のロマンス、1つ1つのテーマで1本の作品が作れそうなほど良い素材が揃っているにもかかわらず、結果としてここまでひどい結果になるとは思いもしなかった。
 名画「ひまわり」にしても、最初にオークションでの落札シーンから始まるのだが、そもそもオークションのシーンはなくても良かったのではないだろうか?そこにかかった時間を戦時中のロマンスの方に回した方が物語に深みが出ていたはずだ。
 そしてそのロマンスに登場する女性の姿に灰原が気持ちをシンクロさせるような素振りを見せるが、中途半端。コナンを心配する描写はあるのだが、蘭が「新一~!」と叫ぶように「江戸川君~!」と叫ぶシーンがあっても良かったのではないだろうか?
 またこの作品で起きている唯一の殺人事件にしても、その描写は必要だったのだろうか?ゴッホ自身の死と重ねるという狙いがあったのかもしれないが、そこに時間をかけるならその時間も戦時中のロマンス、あるいはその人物描写の時間にあてて欲しかった。

 何といえば良いのだろう?1人1人のキャラクター描写が薄いのだ。だから犯人の動機を聞いても、「えっ、そんな理由で飛行機のドアを爆破したり、美術館そのものを崩壊させるようなテロ行為を行うの!?」と犯人の執念を疑いたくなってしまう。他にいくらでも目的を達成する手段はあるだろうに・・・。
 キャラと言えば犯人役の榮倉奈々はかなりミスマッチだった。女優として見ている分には問題ないのだが、声質の問題なのか、吹き替えと役者は別物なのか?どちらかはわからないが、すごく違和感を覚えるキャスティングだった。ミスマッチしているが、特徴的な声なのですぐに誰かはわかる=犯人がわかる。
 キャスティングと言えば恒例の素人の子供たちの声も使われている。

 というわけで、久々にコナン・シリーズ最低ランクの作品でした。

ホワイトハウス・ダウン (8点)

採点:★★★★★★★★☆☆
2016年3月30日(TV)
主演:チャニング・テイタム、ジェイミー・フォックス
監督:ローランド・エメリッヒ


 劇場公開時に同じような映画「エンド・オブ・ホワイトハウス」が公開されていて、「アルマゲドン」と「ディープ・インパクト」がほぼ同時期に公開されたことを思い出しながら、結局劇場に行かなかったが、3月のTV番組改編期に地上波初放送と銘打ち、放映されていた作品。

【一口コメント】
 一言で言えばホワイト・ハウス版「ダイ・ハード」、TV視聴向けには間違いなく最適な作品です。

【ストーリー】
 元軍人のジョン・ケイルはシークレット・サービスを目指し、面接の約束を取り付ける。またジョンはアメリカ大統領ジェームズ・ソイヤーの大ファンである娘とうまく行っておらず、仲直りのきかっけに・・・と面接と同じタイミングで、娘をホワイト・ハウスの見学ツアーに連れていく。
 しかし面接は過去の経歴から不採用となってしまう。さらに娘の為に参加した見学ツアーの最中にテロ事件が発生し、テロリストたちがホワイトハウスへと乗り込んでくる―――!!

【感想】
 TVで気軽に見たせいもあってか、とても面白かった・・・が、映画館で見ていたらまた違った感想になっていたかもしれない・・・そんな気もする、そんな作品です。
 ハラハラドキドキの連続による手に汗握る緊張感とユーモアのバランスが素晴らしく、時代背景を活かしたブラック・ジョークも効いていて、笑いあり、感動ありの作品に仕上がっている。

 監督は「インディペンデンス・デイ」や「デイ・アフター・トゥモロー」、「2012」と地球規模のパニック映画を撮らせたら、右に出るものなしのローランド・エメリッヒ。
 過去の作品で何度もホワイトハウスを破壊してきた彼が満を持して・・・というか、遂に・・・というか、いよいよホワイトハウスを舞台にした映画を撮ったわけだが、正直、過去の"地球規模"感はなく、壮大なスケール感みたいなものはないが、それでも彼ならではの方程式は成立しており、彼の作品が合う人にとってはおなじみの安心感を楽しめるが、そうでない人にとってはただのB級映画で終わってしまう。自分はもちろん前者なので、かなり楽しめた。

 そして今までと大きく異なる点もある。地球規模からホワイトハウスへとスケールを絞ったこともあり、登場人物のキャラクター描写が今までよりも深くなっている。中でも主元軍人で現在職探し中の主人公とアメリカ大統領という凸凹コンビによるバディ・ムービーとしての要素は今までの作品とは大きな相違点であり、テロリストの襲撃によるUPDOWNのあるストーリー展開に、この2人が繰り広げるドタバタ劇による笑いが心のUPDOWNをもたらし、相乗効果によって最初から最後まで飽きることなく映画を楽しむことができる。
 中でもホワイトハウスの庭におけるチェイス・シーンは秀逸。今までとは異なる限られたスペースの中で、ありとあらゆる手段を講じてテロリストから逃げる。その最中に大統領が自らの手でロケット・ランチャーを撃つシーンはよくよく考えれば、トンデモナイシーンとして悪い意味で後世に語り継がれるシーンになり得るのだが、そこはさすがエメリッヒ!その前後にそれ以上の"トンデモ"を配置し、一連の流れの中に上手く組み込んでさらっと流している。

 また脚本も今までのエメリッヒ作品に比べてうまくできている(あくまで今までのエメリッヒ作品と比べて・・・の話)。その主な理由は上述の人物描写。今までの作品と異なり、登場人物に感情移入がしやすい。その対象は主人公であり、大統領であり、そして影のMVPともいうべき主人公の娘である。
 テロに襲われながらも、子供ながらの怖いもの見たさに現代のテクノロジーが加わり、とある行動を起こすあたりは自分が子供時代に立ち入り禁止の場所に入ったりしたことを思い出した。そしてドラクロワの作品「民衆を導く自由の女神」を思い出させるラスト・シーン。いかにもアメリカらしい演出で、あの瞬間に彼女はこの作品の影のMVPとなった。
 そしてもう1人、個人的に気に入ったのが、ツアー・ガイドのドニー。ホワイトハウスをこよなく愛する人物として、ホワイトハウス内部の部屋数やトイレの数など、事細かにホワイトハウスのことを記憶していて、作品が「スクリーム」なら真っ先に殺されそうなキャラ設定なのだが、幸いなことにエメリッヒ作品では愛すべきキャラとして描かれていて、彼にも見せ場が用意されているあたりは、今まで地球規模の群像劇を描いてきたエメリッヒの演出が奏功している。
 一方、ホワイトハウスを占拠するまでは手際の良かった犯人たちが、その内部でたった一人の人間に翻弄されてしまう手際の悪さや、乱射される銃撃も主人公には決して当たらないご都合主義なども良い意味でエメリッヒ印として描かれていて、このあたりも安心して見れる。最後の最後、胸に入れていたあるもののおかげで、ある人物の命が助かるシーンなんて21世紀の映画としては古典的すぎて誰も使わない演出を敢えて入れ込むあたりが、これまた良い意味でエメリッヒ節!

 逆に今までのエメリッヒとは異なり、ここまで描くのか?という細かい描写や伏線の張り方が多かったのも事実。
 描写で言えば、大統領専用ヘリでホワイトハウスに着陸するシーンの厳重さだったり、大統領が任務を果たせないと判断された時に行われる権限移譲だったり、今までにも他の映画で何度か見たことはあるが、この作品が上手いのは事件の深刻さを見せるためのシーンだけでなく、この権限移譲の行為そのものが実はある伏線になっている点。
 他にもリンカーン信望者である大統領がリンカーン・メモリアルに向かって低空飛行を指示するシーンが実は後に活きてくる伏線だったり、上述のツアー・ガイドの口頭によるホワイトハウス内部の説明が、ガイドとしての説明だけでなく、我々観客にとってのこれから起きるパニック映画の舞台説明も兼ねていたり、娘が人質になるというありふれたストーリーが実はこの物語の核と言うべき伏線だったり・・・、パニック映画でありながら、ちょっとしたサスペンス映画の要素も楽しめる。特に黒幕が誰なのか?という謎解きは最後の最後まで観客を飽きさせない工夫として非常に効果的。大統領が指揮をとれなくなったとき、アメリカではこうやって指揮権が委譲されていくんだということも勉強になる(笑)。

 まとめるとホワイト・ハウス版「ダイ・ハード」。これがピッタリな作品かもしれな。考えてみれば、「ダイ・ハード」の主人公の名前もジョンだったし・・・(偶然か!?)。

007 スカイフォール (9点)

採点:★★★★★★★★★☆
2016年3月26日(DVD)
主演:ダニエル・クレイグ
監督:サム・メンデス


 アメリカ時代の友人の多くが歴代最高傑作の007だ!と絶賛していたが、なかなか見る機会がなく、ようやく見ることができた!

【一口コメント】
 007シリーズ史上最高傑作の名に恥じない素晴らしい作品です!

【ストーリー】
 MI6のエージェントのジェームズ・ボンドは、諜報員のデータが記録されているハードディスクを略奪した敵を追ってイスタンブールに降り立つ。走る列車の屋根に敵を追い詰めるが、味方の銃弾がボンドを撃ち、川に落下してしまう・・・。
 MI6ではボンドが死んだことになり、さらにMI6のトップであるMが引退を勧告される事態に・・・。

【感想】
 確かにシリーズ史上最高傑作と呼ばれるだけの作品だ!

 ダニエル・クレイグがジェームズ・ボンドを演じるようになってから3作目のこの作品。監督が変わったからか、いかにしてジェームズ・ボンドが生まれたのか?という若き日のボンドを描くという設定は遥か彼方へと消え去り、いつの間にかベテラン諜報員になっている・・・など、いくつか今までの2作の設定とは矛盾する部分はあるが、そこを無視して単体の作品としてみれば、確かに傑作だ。

 まずは何といってもオープニング。イスタンブールの街を舞台にした屋根伝いのバイクによるチェイス、列車の上でショベルカーを使った派手なアクション、そして素手対素手のタイマン、とアクション映画の王道とも呼ぶべき展開が繰り広げられる。その最後はまさかのジェームズ・ボンドの被弾からの落下。もちろんオープニングで主人公が死ぬわけないのだが、見事な展開だった。
 それ以上に秀逸だったのが上海でのアクション・シーン。青い電飾を背後にボンドと敵が格闘するシーンはボンド・ガールと呼ぶにふさわしい女性が登場しない今作において、ある意味で最もセクシーなシーンと呼べるかもしれない。もちろんその直後にマカオでそれっぽい女性が登場し、それなりのお色気シーンもあるが、シルエットでの格闘シーンというのがダンディズムの象徴ともいうべき中年諜報員ボンドにはピッタリだ!

 そして今回いわゆる"ボンド・ガール"が登場しないと思われる最大の理由がM。今作品の陰の主役と言っても過言ではないであろう彼女にフォーカスするために他の女性キャストを敢えて重きを置いて描かなかったのではないだろうか?と勘ぐってしまうほどに今作はMの存在がカギとなっている。
 実際、敵役シルヴァの目的もMであり、ボンドの故郷ではM自らが銃を片手に闘うシーンもある。それ以上にボンドもシルヴァもMに対して、特別な感情・・・、同じような感情を抱いている。そのあたりの伏線の張り方も非常に上手い!シルヴァがややねちっこ過ぎるきらいがないでもないが、それがあってこその敵役としての憎さも増すのだから、それはそれでありだろう。
 そしてボンドとシルヴァの対比も非常に上手い。オープニングでMの命令により、ボンドが狙撃され、落下したことも後々でシルヴァとの対比に効いてくる。一言で言えば脚本が良くできている。

 脚本と言えば今作はボンドの故郷や両親など、シリーズ史上触れられることのなかった一種のタブーに切り込んだ点も評価に値するのではないだろうか?
 もしかすると007シリーズの熱烈なファンからするとそこは触れて欲しくなかったという人もいるかもしれないが、ダニエル・クレイグになってからの流れを考えるとそれも時間の問題だったのではないだろうか?アクションや秘密兵器一辺倒のスパイ映画からボンドの内面を描く作風はダニエル・ボンドになってからの定番となっていて、他のスパイ映画との差別化にもつながっている。
 そしてこの作品の核ともいうべき、ボンドの過去、Mの過去、シルヴァの過去が綺麗につながっていく展開は本当に素晴らしい。

 また大きく変わったのが、撮影手法だ。前作までは「ボーン」シリーズの真似とも言うべき手ぶれカメラが主流だったのだが、今作ではその手ぶれがなくなった。臨場感があふれるという意味では手ぶれ撮影も良いのだが、見る側からすると何が起きているのか見えにくく、わかりにくいという欠点もある。
 上述の上海でのアクション・シーンも含め、これは撮影監督が変わったことが大きい。

 それらすべてをまとめ上げた監督サム・メンデスの手腕はさすが!アカデミー賞受賞監督の007ってどうなんだろう?と思っていたが、想像以上に良かった。次のシリーズも非常に楽しみだ。