名探偵コナン ベイカー街の亡霊(9点) | 日米映画批評 from Hollywood

名探偵コナン ベイカー街の亡霊(9点)

採点:★★★★★★★★★☆
2010年9月6日(DVD)
原作:青山 剛昌
監督:こだま 兼嗣


 シャーロック・ホームズと切り裂きジャックをテーマにすえた劇場版「名探偵コナン」第6弾。


【一口コメント】
 コナン映画として見た場合、反則技ですが、ミステリー映画として見た場合は傑作です。


【ストーリー】
 コナンの父親、工藤優作がシナリオを手がけた新型バーチャル・ゲーム機"コクーン"の披露パーティーにコナンたちが招待された。政財界の大物が集まった会場で、ゲーム開発の責任者が殺される。被害者の残したダイイング・メッセージから、犯人のヒントがゲームの中にあると考えたコナンは、コクーンに乗り込み仮想空間に再現された100年前のロンドンへと向かうが、システムは人工頭脳ノアズ・アークに占拠されてしまう。
 日本という国のリセットを企てるノアズ・アークは、子供たちが一人もゲームをクリアできなければ、子供たちの脳を破壊すると宣言。コナン達が選んだゲームは19世紀末を舞台にしたオールド・タイム・ロンドン。シャーロック・ホームズの足跡を辿りながら、殺人鬼・切り裂きジャックを追いかける、命がけのゲーム。
 一方、現実世界では優作たちが殺人事件の捜査に乗り出す。
 ゲームの世界と現実の世界。2つの世界で起きた殺人事件を2つの異なる空間で2人の親子が解決していく―――。

【感想】
 劇場版コナン・シリーズの中でもきわめて異色な作品である。
 まず何より脚本が大きく異なる。仮想空間とは言え、非常に色濃い1つの別世界での物語りとなっており、深い意味でのシリーズの他の作品との共通点が非常に少ない。例えば犯人が最初からわかっている点もそうだし、パスポートを取得できないはずのコナンが海外で活躍している、さらにはタイム・トラベルもしていて、他の作品とは大きく一線を画す作品となっている。

 そしてこの作品ほど2つの対比が絶妙な作品は他にない。
 例えば仮想空間と現実の対比。2つの世界で起こった殺人事件を解明していくのはもちろんだが、現実世界には存在しないはずのシャーロック・ホームズの足跡をたどっていく展開は"ホームズおたく"のコナン=工藤新一というキャラクター設定の原点とも言うべき展開で非常に面白い。そこに現実世界に存在した切り裂きジャックが絡んでくるという展開がさらに物語を深くしている。
 続いて父と子の対比。仮想世界と現実世界で謎を解いていく親子=コナンと優作はもちろんだが、ノアズ・アークの開発者である天才児ヒロキと殺害された父親・樫村、ゲームに参加した将来の日本を担うであろう2世の子供たちと現在の日本を担っている親、そして何より切り裂きジャックと父子関係にあった某人物。
 そして"生"と"死"。仮想空間における子供たちの"死"によって、現実世界の親が"生"について考えさせられるという、"死"を描くことで"生"を考えされられるという非常に巧妙な演出に感心させられる。そしてこの部分が何より他の作品と一線を画す理由とも言えるかもしれない。

 というのは、仮想空間の中とは言え、コナンの仲間たちが死んでいくのである。これは他のどのシリーズにもありえない設定であり、最終的にはコナンも諦めてしまう描写になっている。クライマックス直前の場面、蘭がゲームオーバーになった瞬間、コナンがゲームクリア=50人の子供たちの"生"を諦めてしまうのだ。
 これは今までのコナン映画ではありえない設定だし、この作品以外では一度も描かれたことのないコナンである。言うなればコナンの例外であり、コナンとしては反則技である。
 これがコナン映画でなければ、まったく問題のない描写であり、むしろ主人公の人間味に深みを持たせるという意味においては必要なシーンであるが、コナン映画としてはやはり反則だろう。
 常々言っている事だが、コナンの設定を変えて、ハリウッドで実写化したら、このシリーズは非常に面白いと思うのだが、その中でも、コナンが諦めるという点において、この作品の実写化はダントツかもしれない。

 このコナンが諦めるというのをコナン映画シリーズの1本としてではなく、あくまでも1本のミステリー映画として判断するのであれば、この作品はミステリー映画史上に残る作品かもしれない。作品に強いメッセージも入っていて、大人も含めるのであれば劇場版コナンの中では個人的に最もお勧めの作品である。
 1つだけ欠点があるとするなら、子供たちの声を演じた声優があからさまに素人が演じた声だと、すぐ分かってしまうシーンがあり、気持ちが冷めてしまう点だろうか?

 コナンのファンからは批判があるかもしれないが、個人的には非常に素晴らしい作品です。