誕生する。 | 谷口敏也のカケラ探し

谷口敏也のカケラ探し

自分が感じた事、書き残したいこと、どこか足りてないカケラを探す記録。

急に思い立って、文章を書いてみたくなった。

多分、「だが、情熱はある」のエッセイを書くシーンに何か心を打たれるものがあったから何だと思う。

 

昔から自分でもわかっているのだが、僕は影響されやすい。

影響を与えたいと常日頃思いつつ、結局は何かの、誰かの影響を受けて行動している。

ないものねだり何だと思う。

憧れても届かないものがこの世の中には多い気がする。

 

昔から大好きなゲームも、世の中が進むにつれオンライン化が進み

対戦環境も家に友達を招いて隣でワイワイ言っていた時代は終わり、今はボイスチャットこそあれど

大体は見ず知らずの人とモニター越しに繋がってゲームをすることが主流になった。

 

eスポーツという概念も現れてゲームは一気に世間に容認されるものになった。

昔はゲームは1時間だの、ゲームばかりするとバカになる、将来役に立たない、そもそも親が与えてくれない。

みたいなことはザラだったと思う。(これに関しては今もそういう家庭はあるかもしれない)

 

プロゲーマーなんて職業が僕の幼い時代に流行っていたら、僕は間違いなく目指していたと思う。

ゲームのうまさはどうやったら手に入るんだろう。上手の基準はわからないけど、僕の周りには

ゲームも芝居も上手い人がいて・・・、僕はそれになりたいと思ってしまう。

・・・結局、何事も練習なのかもしれないが、今はないものねだり、憧れの対象でしかない。

 

年齢を重ねていく上で、家庭も持たせてもらい、この仕事も続けられている。

それはひとえに家族のおかげ、僕の両親、そして僕を選んでくれた嫁のおかげ。

 

先日母親と嫁の誕生日があった。偶然にも二人の誕生日は近い。

お互いにお祝い事を言い合う姿は少し面白くもある。

こういう仕事をしているので、休みは不定期、地方公演もある。

 

それでもこの仕事を応援してくれている事には感謝しかない。

「だが、情熱はある」で出てきた若林さんの本のフレーズ、

 

もうほとんど人生は”合う人に会う”って事でいいんじゃないかって思った。誰とでも合う自分じゃないから

合った人に会えるよう頑張る。それが結論でいいんじゃないかって思った

 

この言葉がテレビから流れてきた時、めちゃくちゃ身体の中にスーッと浸透していった気がした。

みんなきっとそう思ってるけど、言葉にはしてこなかったんじゃないかなって。

わかってたけど、どこかで合わない人とも無理矢理会っていかなきゃいけないんじゃないかって諦めて

人生を生きてる人って多いんだと思った。

 

全部をこうするわけじゃないけど、こういうマインドを心に刻むのは必要なのかもと、

40に自分の年齢が近づくからこそ、20代の時とは違う気持ちになる。

昔聞くのと今聞くのとでは言葉の重みが違う気がした。

 

嫁さんと出会えたことはまさにこれだったんだと思う。

誕生日を迎えて、何かをプレゼントする、ケーキを買う、祝う。

その全てに言葉に出してありがとうを伝えてくれる。

誕生日なんだから当たり前だろ。いや、普段もずっと感謝をしてくれる。

 

誕生日は親に感謝する日だなんて言葉もある。

もちろん産んでくれてありがとうなんだ。

僕もそう思ってる、でもそれは強制されることじゃない、きっと育っていく上で自然とそう思えればいいんだ。

 

誰かの子供だった時期から、誰かの親になった今、

産まれてきてくれてありがとうの意味がわかった。

 

この世に誕生することって色んな意味を含むけど、凄いことなんだって思う。

自分の母親にも、そして嫁さんにも、

産んでくれて、産まれてきてくれてありがとう。