またまたお久しぶりです。

 

気づけばあっという間に寒くなり、冬に移行中ですね。

ネットや巷では、おせちや年賀状の注文が始まっていたりして

年末年始を意識せざるを得ない状況です。

本格的な大掃除は大変だからと、

そろそろ身辺の掃除を始めているかたもいらっしゃるかもしれませんね。

 

しょっちゅう掃除したり片付けしたりしているのに、

すぐに散らかってしまうのはなぜなんでしょうね?

 

無人の空き家でさえホコリが積もるわけですから、

生活していれば衣服や布団からのホコリや人毛など含めたチリなど

散らかるのは諦め、日々掃除するしかなさそうです。

 

また、片付けるのが苦手な人もいらっしゃいますね。

あるいは、探し物がなかなか見つけられないとか。

 

片付け苦手も、見つけられないも、同じですね。

うちの妻に関しては、

片付けられるのに見つけるのができないのですよ。

つまり、一見すると目につくところにモノがないので

片付いているように見えるけれど、

しまうべき所にしまっていないので、

いざ必要な時に見つからない事態になるわけです。

 

片付けの要諦が、見えてきましたね。

よく言われるように、

「モノの住所を決める」

ということです。

 

これは、物質的なモノについても、電子的なファイルについても

言えることです。

 

「住所を決め」た上で、私には加えたいルールがあります。

1。探すときの自分の思考を想像する。

2。ルールの例外を極力作らない。

です。

 

1。は、あるモノやある資料などを探す際に、

自分ならここを調べるだろうなぁと想像した上で、

決めた住所にしまわなければなりません。

つまり、それが必要になった際に、

自分がどんな発想でどこを探すだろう? と自問するのです。

 

2。は、例外をいったん作ってしまうと際限なくカオスに近づきます。

1度決めた住所には、同種のものをしまうことを徹底します。

収まりきれず一時的に空いている場所にしまおうとするのはダメです。

時間が経つにつれ必要な時にその一時的な場所は忘れています。

そういう時は、一時保管場所を「決めて」一時的にしまうことにしますが、

整理が必要な事態であることには変わらず、

モノの住所に収まるよう処分するモノを考えるか、

新たな住所を設定する大工事が必要になるでしょう。

 

 

ある調査によれば、人生で平均1200時間以上も家庭内の探し物をしている、

というものがあります。

オフィスでの探し物はそれとは別に存在します。

 

その時間が自由に使えるなら、もっと充実した人生を送れると思いませんか? 

 

 

 

 

ごきげんよう、サトシです。

 

最近、睡眠リズムが崩れつつあり注意が必要です。

いまさら言うまでもないけれど、

睡眠リズムが崩れると精神疾患にかかりやすくなります。

すでに障害者手帳を所持する私は、

生粋の精神障害者です。

長らく闘病を続けていて

今では不自由なく暮らせるほどに回復しています。

 

それがここにきて、睡眠リズムのせいで

再度、悪化するのは避けなければいけません。

 

昨夜〜いまについて言うと、

夕食後に寝落ちして午前3時前に目覚めました。

何時に眠ってしまったのか記憶にありません。

慌てて歯磨きしベッドに潜り込みましたが、

眠りにつくことができず、

諦めて5時には活動を始めることにしました。

 

ここのところそんな調子の時が増えたのです。

 

豆知識ですが、

東洋人は夜型が多くなりがちな一方、

西洋人は朝型が多い傾向だそうです。

 

理由は、ひとみの色にあります。

ダーク系のひとみが多い東洋人は、明るさに強いため、

夜でも電灯の明るさに鈍感です。

そのためにだんだん夜遅くなっていくのだそうです。

 

そういうこともあり、

意識的に生活リズムを心掛けていないと、

たちまち崩れることになります。

 

精神疾患のために入院経験が2度ほどあります。

入院生活はとにかく規則正しく管理されます。

食事のみならず起床や消灯・就寝の時刻が決められており、

否が応でも、みるみる体調が回復していきます。

退院後に自宅に帰った時、

羽を伸ばすように自由奔放な生活を送ってしまうと

また体調を崩すことになります。

 

だからこそ、

最近の生活リズムの乱れに危機感を覚えているのです。

 

 

先ほど、あるドラマが最終回を終えた。

NHK BSの再放送、NHK地上波の「舟を編む」である。

ご存知の読者も多いだろう。

これは、辞書を作るために奮闘する人たちのドラマである。

 

 

 

個人的には、毎回とても面白く拝見した。

毎回、何かしら感動を覚えるシーンやテーマがあった。

 

さて、ドラマは言葉をいかに大切に扱うかがキーとなるわけであるが、

ドラマから離れて、私たちの日常も言葉なしでは成り立たない。

成り立たないだけでなく、その使い方次第でどんな人格なのか

判断される大事な材料ともなりうる。

 

場合によっては、言葉の使い方を誤ったことで

人間関係にヒビがはいることさえあるだろう。

 

だからこそ、言葉を大切に使わなくてはならないし、

用法・容量を守らなくてはならない(笑)。

 

 

ところで、「言葉」を「表現」と言い換えることもできる。

言葉でなく態度で示せ、と言うように、言葉以外にも表現する手段がある。

無口な職人にしてみれば、その手先の器用さや実直な仕事ぶりが表現となる。

それが人々から評価され、場合によっては人間国宝になったりもするかもしれない。

 

つまり、私たちはみな言葉以外にも表現手段を持っているはずだと言うこと。

それが、優秀な仕事ぶりであったり、

約束を必ず守る真面目さであったり、

細かいところまで目が行き届くきめ細かさだったり、

丁寧さ、

優しさ、

共感力、

などなどなんでも良い。すべてその人固有の表現力と言えるだろう。

 

言葉の使い方は大事であることに変わりはないけれど、

それは表現力のひとつでしかないのかもしれない。

 

何が言いたいのかというと、

私たちが生きることそのものが、表現すると言うこと。

私たち一人ひとりがみな表現者なのである。