参議院選挙制度改革 今の国会議員に、これがブサイクな議論との自覚はあるか | Making Our Democracy Work! 石井登志郎オフィシャルブログ Powered by Ameba

参議院選挙制度改革 今の国会議員に、これがブサイクな議論との自覚はあるか

「一票の較差」を改善するための参議院選挙制度改革が参院を通過し、早々に成立するようです。合区を含んだ1010減という決着ですが、理念も議会の本質論も議論されることなく、つじつま合わせにしか見えないこの改革案は、今の日本の政治を象徴しているようです。この議論がブサイクである自覚をもって、国のあり方から民主主義の本質論を論じ、その上で衆参両院のあり方と選挙制度が導かれるような、そんな骨太な議論をせねばなりません。ただの党利党略、個利個略にしか見えない議論をされては、国民が不幸なだけです。

 

参議院の語源である「参議」は、8世紀初頭の朝廷組織における官職が始まりであり、明治政府においては閣僚に当たる卿より上の位でありました。木戸孝允、大隈重信、伊藤博文等々、明治維新に名を連ねる勇者はその多くが参議に任ぜられ、力を発揮します。明治18年に内閣制度が発足するとともに参議制度はなくなりますが、それまでは政府に対して大きな影響を及ぼしてきました。

その後、議会が発足し、庶民の代表からなる衆議院と、貴族院とで構成されますが、第二次大戦の敗戦によって憲法が改正され、貴族院は参議院となり、衆議院と同様に国民から等しく選挙によって選ばれることとなります。ちなみに「衆議」とは大勢で議論すること、まさに大衆討議とも言える、国民の代表が衆議院であるということなのでしょう。

 

さて、敗戦によって「参議」は「参議院」として復活します。しかし、それまでの「参議」とは違い、「衆議的参議」として復活したと言えるでしょう。ただ、敗戦後の短期間で作られた我が国の骨格の中で、本質的な参議院の位置づけや、そもそもの二院制のあり方などが深く考え込まれて新憲法となったとは考えにくいと言うことです。一票の較差裁判は、現行憲法の14条(国民は平等である)と43条(両院は国民から選ばれる)という原則的な二条文による規定から解釈されているわけですが、今日直面するような一票の較差問題が提起されて今のような表面的な議論が行われていることを想定しているとは思えず、この点をとってみれば、憲法が規定する統治論について、何らかの改正が全く行われてこなかった弊害が現出している結果と思います。

 

改めて、私の意見を整理します。まず、立憲主義の中で政治は行われなくてはなりませんから、今議論されている定数改正、最低でも1010減は、即座に成立させねばなりません。次に、そうは言うけども、合区というような解決策は何の理念もビジョンもないので、そもそも参議院はどうあるべきか、衆議院と合わせて二院をどう機能させるか、民主主義に基づいて国民の意見をどうくみ取るか、を整理せねばなりません。都道府県の枠組みも、これまた唯一絶対の枠組みか、考える必要もあるでしょう。明治維新の廃藩置県から150年経って根付いているとはいえ、アメリカの州のようにそれぞれが違う法律を持っているわけでもなく、大久保利通らが便宜的に線引きをしただけに過ぎない都道府県だとの見方もあります。ちなみに兵庫県は、大久保利通が神戸港を抱える県には体力をつけさせておいた方がよいから、普通よりも大きくしようと言って、豊岡県と飾磨県をくっつけたそうです。今の時代を生きる我々も、もっと柔軟でもよいのかもしれません。

 

それはそうと、以上を踏まえ、私の提言は次のような方向性です。まず、衆議院は一票の較差が極力ない選挙制度とします。ここで、小選挙区制度を維持するか、完全比例制度にするか、中選挙区にするかは更なる議論が要りますが、とにかく、衆議院の一票の較差は厳密に平等を維持する制度とすることです。二倍以内なら許容範囲、というような甘い基準でなく、フランスのように1.5倍以内などを目指すべきです。次に参議院は、都道府県単位もしくは道州(ブロック)を単位とし、過疎部や地方の代表が議会へ出て来られる仕組みにすることです。参議院の選び方も含めて、憲法で規定するのです。さらに、国会内改革を行い、衆議院の優越強化や、両院協議会の役割をより強化するなどして、ねじれで国会が止まらないような仕組みを作ることが求められます。これらに必要な憲法改正も、当然視野に入れるべきです。

 

選挙制度を語る上で、言及せねばならないのが1994年に成立した政治改革関連四法案についてです。これらの改革については、20年の月日が経ちましたから、評価を論じても良い時期ではないかと思います。改革論の原点は、そもそも、政治にカネがかかり過ぎると言うこと、中選挙区制度では同士討ちがあって政策議論にならないことが大きなデメリットとして指摘されてきました。この中で、カネの面では、政党交付金の是非論はあろうと思いますが、カネが作れなくても政党の支えで選挙に出られるようになったのは事実です。政権選択ができるようになったのも事実です。一方で、政党本部の力が強くなり過ぎ、議員の多様性が損なわれたとの指摘もありますし、田舎の強固な地盤では議席の流動性がほぼなくなってしまう、議員が地方議員よりも小さな世界で動き回るようになったというのも一つの事実です。

 

いずれにせよ、今回のような表層的で深みのない選挙制度論が、極めて格好悪いことをもっと声高に叫びたい思いです。より深く、民主主義の進化を期すことができるような、本質を論ずる大きな改革の議論がしっかりとされるように、私も提言を続けたいと思います。