土井たか子元衆議院議長逝去について | Making Our Democracy Work! 石井登志郎オフィシャルブログ Powered by Ameba

土井たか子元衆議院議長逝去について

先ほど、土井たか子元衆議院議長が亡くなられていた旨、報道で知りました。土井さんが長らく政治活動をしてきた兵庫県第7区(西宮市・芦屋市)で活動する後輩として、そのご功績に敬意を表し、心よりご冥福をお祈り申し上げる次第です。

土井さんと私は、直接関係があったわけではありませんが、少なからず、政治的な因縁もあると私は思っています。2003年の総選挙まで、当時の民主党は兵庫7区に独自の候補を立てずに、社民党の土井たか子氏を推薦してきました。一時は、飛ぶ鳥落とす勢いであった土井さんですが、2003年の選挙では、民主党が177議席と躍進する一方で、秘書給与問題や北朝鮮との問題もあり、小選挙区で落選、かろうじて比例区で復活をされます。

私自身は、2004年から兵庫7区で政治活動を開始しました。土井さんの存在にレスペクトを払うものの、西宮・芦屋と言う進歩的な街で、民主党の旗を掲げた候補がいないことは不自然であり、古い野党の象徴とも言える社民党は、一定の歴史的使命を終えたのではないか、そう考えて見切り発車をしました。
ただ地元には、土井さんに弓を引くような形で民主党の候補が出るのはおかしい、という声も根強く、土井さんご自身や周りの方も、私が政治活動を進めることに不快感を持たれた方もいらっしゃったとお聞きします。ただ、これは私の政治信条に沿って始めたことですから、折り合いがつかずとも仕方のない話でもありました。
そんな中、民主党は県連で私の衆議院候補としての上申を決定し、党本部では岡田克也代表らのご判断で、2004年末に私は民主党兵庫県第7区総支部長に就任しました。

2005年、小泉総理が郵政解散に踏み切ります。土井さんご自身が社民党で出てきたら、私も出ますから戦わねばなりません。私自身は、自分の信条に基づいての行動ですから、なるようにしかならないと思い、ぶれることなく準備を進めました。そして結局、土井さんご自身は小選挙区で出馬されず、別の方が後継候補として出馬されました。結果は、郵政解散の勢いに乗って、自民党現職が14万6千票、私が9万6千票、土井さん後継の社民候補が2万6千票でした。土井さんご自身は、比例名簿に名前を掲載されてはいましたが、落選、政界引退となります。

こう振り返ると、土井さんが政界を引退される流れの中で、私が兵庫7区で政治活動を始めたことも、関係があるかもしれません。

土井たか子さんという政治家は、護憲、護憲と呪文のように繰り返し、牛歩など旧来型の抵抗をする野党リーダーのイメージが、私の中のある一面ではあります。一方で、庶民の暮らしを慮り、平和を貫き、人々の権利や自然環境保護などに政治生命をかけた、闘士としてのイメージもあります。

私自身は、土井さんの政治姿勢をそのまま引き継ぐものではありません。だからこそ、2004年に土井さんと違う立場で、兵庫7区で政治活動を始めたのです。例えば憲法ひとつとってみても、私は全くの護憲ではなく、統治機構の部分などは今すぐにでも改正を発議すべきと考えています。「ダメなものはダメ」とは確かにそうですが、私の性格上、これをキャッチコピーにするような政治のやり方はとりません。ただ、昨今の集団的自衛権行使を容認する閣議決定や、国民の知る権利が十分担保されていない特定秘密保護法の成立、そして大企業経営者目線に偏った経済運営等々を鑑みれば、きっと土井さんは、今の安倍政権に強烈に対峙することと思います。そこは、私も同じです。

このタイミングで旅立たれた土井さんの胸中や兵庫7区の政治状況を鑑みると、土井さんの思いを、背負っていく使命を持っているのは、私でしかないと感じます。心よりのご冥福をお祈りし、私の所見と致します。

合掌