政府開発援助(ODA)の発展的見直しも視野に、前向きな議論を | Making Our Democracy Work! 石井登志郎オフィシャルブログ Powered by Ameba

政府開発援助(ODA)の発展的見直しも視野に、前向きな議論を

1218日から22日まで、再度スリランカを訪問しました。前回は最大都市コロンボ近郊のODA案件、日本の援助によって建築された病院などを視察しましたが、今回はスリランカ軍のヘリコプターのご厄介にもなり、内戦終結から間もないキリノッチへ出向き、地雷除去作業の現場や、難民の再定住推進事業などを視察することができました。また、2004年にインドネシア沖地震によって発生した大津波の際、多大な被害を受け、そして日本の援助で再建した現地警察署にも訪問して参りました。現地で奮闘する、青年海外協力派遣隊員の皆さんとも触れ合わせていただく機会もいただきました。これでも、まだまだODAの一面しか見れていないのでしょうが、私なりに相当現場感覚を養えたと思います。


 ODAについては、昨今の厳しい財政事情から、年々減額され、23年度概算要求では前年比7.4%減の5,727億円、最高であった1997年の11,687億円と比較して半額以下となっています。これを取りあげて、「日本の国際社会に於ける信頼を確保するためには、ODA減額を甘受してはいけない。増額すべきである。」と言った主張もよく聞かれます。確かに、国際社会に対する軍事的貢献が現実的に限られる以上、ODAを通じて世界に貢献することはある意味で現実的かつ効率的な国際社会への貢献と言えます。一方で、ODAを通じて私が実感するのが、もっと「戦略性」があってもいいのではないか、と言うことです。

 

以前、モンゴルに行ったときもそうでしたが、ODAが文字通り「開発援助」の域を出ず、心情的に日本に対する感謝と愛情を育みはするものの、国益につながる効果にまではなっていないと感じました。つまり、これだけ国際社会の競争も激しく、資源獲得競争など権益確保に躍起になっている中で、ただの「援助」だけでいいのだろうか、「国益」にかなった視点をもっと重視できないだろうか、ということです。かつてメールマガジンで紹介しましたが、ダンビサ・モヨさんという方が書いた「援助じゃアフリカは発展しない」という本があります。要は自立促進こそが援助の主眼にあるべきで、援助慣れした国は、いつまで経っても自立しない、ということです。自立をより強く促す一方で、国益を追求しながら、国際社会に貢献する方策を、ODA大綱の発展的見直しも含めて、今後検討していきたいと思います。

 

もうひとつ、今回感じたのが、日本の若い青年(私も若いですが、私よりも若い青年)が、途上国の現場で、青年海外協力派遣員やNGOの職員として奮闘しているのですが、国として彼らをもっと戦略的に、今以上に活用できないか、と言うことです。とにかく、私などでは務まらないような僻地での任務遂行に感銘を受けたのですが、一方で、今のスキームでは、二年未満、場合によっては数ヶ月単位での派遣でしかありませんから、結局はそのほとんどが任務後に国内に戻ってくる、つまり途上国でのすばらしき人生経験が、必ずしも生かし切れるわけではないようです。今、日本人の海外留学生数の激減に「内向きだ」と心配していますが、途上国で日本の旗を掲げて活動してきた青年を、例えば、日本のセールスマンとして別の活動をしてもらえるようなスキームは不可能か、こちらも検討してみたいと思います。

 

よく他国の外交をさして「したたか」という言葉をメディアが使います。「したたか」ということは「場当たり的」でない、ということで、「戦略的」であることです。日本ももっと「したたか」に、戦略外交をODAを通じた長期的視点に立って追求すべきです。