自分自身への扉 それは意識が違うからだよ | 自分自身への扉

自分自身への扉

答えは自分が知っている

子供の頃は寝るのがとても楽しみで、布団に入る時の気持ちよさ、ワクワク感を今でも覚えています。


特に布団に飛び込む瞬間に得られる気持ち良さは格別のものがありました。それをなんて表現すればいいのか…うぅぅぅ気持ちイィー! っと全身が弾けるような感じでしょうか?笑


それともう一つ楽しみがありました。それは今日どんな夢が見れるのかというものです。


夢はあまり見たことがないという人もいますが、私は毎日見ます。


夢では現実ではありえないことが頻繁に起こりますが、その現実ではあり得ないおかしなことを、おかしいと思わずに受け入れていることが多々あります。


以前見た夢で、離れた相手と電話で話していたら、電話の受話器の中に身体が吸い込まれ、そのまま相手の受話器から出て行くというような夢を見たことがありました。


そんなことはこの現実では絶対に有り得ないことです。それを、おかしいとは思わずに受け入れているのです。


そんなへんてこりんなことが起こっているのに、これは夢だとなぜ思わないのか、それが不思議でなりません。


夢には明晰夢(夢の中で夢だと気づく)というのもあります。


子供の頃は、怖い夢、例えばお化けなどが出る夢を見た場合に、これは夢だ!と気づくことがよくありました。


お化けに追いかけられたりした時、あ、これは夢だな、と気づいた時は目を強くつぶります。そうすると夢から覚めることができました。


あとは明晰夢を見た場合よくするのが、空を飛ぶということです。ビルの上などにいれば間違いなくそこから飛び降ります。


また、明晰夢ではありませんが、今の自分ではない人物になっている夢もありました。白人男性で超お金持ちです。彼女(妻?)も金髪のとても綺麗な女性でした。夢にしてはとてもリアルで、最後は彼女と共に銃で打たれて死ぬのですが、撃たれて自分が床に倒れてるのを見ながら、2人で空中に螺旋を描きながら昇って行くのを体験しました。


特に何も特別なことが起こっているわけではないのに夢だと気づく時もあれば、現実ではあり得ないおかしなことが起こっていても、夢を見ていることにまったく気づかない時があります。


例えば、自分の家に出てきたゴキブリが2本足で立っていて、しかも関西弁でぶつぶつ話しているなど、現実的には起こりようのないことです。しかし私は夢の中でその関西弁のゴキブリの話を普通に聞いているわけです。目覚めた時、おい、夢だと気づけよ!と、思わず自分にツッこんでしまいましたが、そのように、現実では絶対ありえないことが起こっているのに、これは夢だとなぜ気づかないのか、それがとても不思議なのです。



そのように夢というのは本当にくだらない夢もあれば、何かとても意味深な夢の場合もありますが…何か言いたそうですね…


わかるかね?


何となくわかりますよ、長い付き合いなので。


では、遠慮なく言わせてもらおう。


いま飲んでいるそのコーヒーカップから、いきなり仏像が浮き出て来たらどうする? これは夢だとあなたは思うかね?


コーヒーカップからですか? そうですね…現実的には有り得ないことですが、夢…とは思わないかも知れないですね。なぜなら、今この世界は現実の世界だと認知しているからです。


コーヒーカップから仏像が飛び出して来ても夢だとは思わないのだね?


そんなことがいま起こればおそらく驚きはするでしょう。でも夢ではなく幻覚を見ていると思うかも知れないですね。今は夢を見ている感覚と違うからです。


夢を見ている時の感覚と、いま起きている時のその感覚の違いがわかっているのにどうして夢をみている時は夢だと思わないのだね? 現実とは感覚が違うのだろう? しかも現実ではあり得ないことが起こっているのだよ。


今は目が覚めた状態でいるから夢との感覚的な違いがわかるのですが、でも夢を見ている時は、自分の体が受話器に吸い込まれて、その話している相手の受話器から出て行っても、現実的に考えておかしいという思考にならないのですよね。


夢の中ではそれが現実だと思っているわけだ。


疑わないということは現実と思っているのでしょうね。おかしな話しですが、なぜなのかとても不思議です。


それは意識が違うからだよ。


意識が違う?


現実とは何だろうか? 今のあなたが考える現実とは、あくまでもこの物質世界にいるあなたの意識で感じていることにすぎないと思わないかい?


もちろんそうですよ、この物質世界、いまここに生きているわけですから。


つまり、この世界に対応した意識で捉えているということだ。わかりやすく言えば物質的な世界に対応している頭(自我)の感覚だ。あなたはそれを信頼できる意識だと思っている。


しかし、この世界を離れれば当然違う意識の領域になる。


この世界とは違う意識の領域ですか。


それは、夢の世界には夢の世界に対応する意識があるということだよ。


現実では起きようのないことが夢の世界で起こっても夢とは思わずそれを受け入れているのは、そのようなことが当たり前の世界にいるからだ。肉体から離れた意識(魂)の領域なのだからね。


もともとそのような世界から来ているのだから魂意識では夢の世界というものに違和感はないのだよ。


魂にとって夢は現実だということですか?


この3次元意識と魂意識は感覚が異なる。


あなたが肉体を離れれば、魂意識で世界を感じることになる。言っていることはわかるよね?


肉体を持った世界では空を飛べないことが現実的だが、肉体を離れた魂には空を飛べることはとても現実的なことなのだ。


よく肉体から魂が抜けたら空に浮かんでいるとか、一瞬で場所を移動するとかという話を聞くだろう。それが魂にとっては当たり前なのだよ。


じゃあ、起きている時は起きている世界が現実で、寝ている時は寝ている世界が現実…そのように現実が逆転する訳ですか。


寝ている時は魂の意識(感覚)が優勢になる。もちろん夢をみている時もあなたの肉体的な意識は色濃く残ってはいるよ。ただ寝ている時はその3次元的な感覚が薄れているということだ。


それが魂の領域だと。


幽体離脱の経験があるだろ、その感覚だよ。それは夢の世界の感覚に違いはずだ。なぜなら空中に浮いているわけだからね。


確かに夢との境目がないですね。ただそれも夢かも知れないですが。


魂の感覚は夢のように自由なものだよ。


ただ夢というのはあなたの自我意識の影響を受けているので、例えばあなたが考えていること、悩んでいることなどが夢に形となって現れることがよくあるよね。そこで何を経験する(創り出す)かは、その肉体意識が大きく作用するのだ。


それは夢だけでなくこの物質世界にも言えることだが、意識が出来事を創り出す。ただ形になるスピードに違いはあるが。


じゃあ夢も現実みたいなもので、単に感じる領域が違うだけということですか。


地上と水中ではまったく身体の感覚が違うと思うが、だが水中にいてもそれがおかしいとは思わない。なぜだか分かるかね?


ええ、水中ではこんなものだとわかっているからです。 


そう、そのように夢の世界はこんなものだと魂はわかっている。


だから、魂意識が優勢になっている夢の中では、あまりおかしいと感じないということですか。


あなたが死んだとしょう。肉体を持っていた感覚とまるで違うその世界は、肉体を離れたあなたにとっての現実となるのだ。


あるいはこう言い換えてもいいだろう、それをそこで感じている意識にとっては、とね。


それぞれに現実の領域が異なるということですか…


それぞれの違いを楽しめばいい。意識の違い、感覚の違い、あなたがたはその違いというものを楽しんでいるのだ。


何度も生まれ変わるのはその違いを楽しむであり、また違う人生を生きるのもそのためだ。なので、あなたは今この地球のこの時代に生を受けた肉体で体験できることを楽しんでいるのだよ。


現実とは今いる場所。意識が捉える場所だ。


この世も、あの世も、また夢の中も…形が変わろうと、どんな場所にいようと、それを感じるのは意識なのだからね。