自分自身への扉 「はやく人間になりたい」 | 自分自身への扉

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答えは自分が知っている

幸せになりたい…という言葉を聞くとなぜか思い浮かべるのが「はやく人間になりたい」そのフレーズで有名な、妖怪人間ベム、ベラ、ベロです。



当時、そのアニメを見ながらいつも思っていたのですが、いや、妖怪人間の方がいいやん!ってことです。


姿は人間でいることができる訳だから人間として生きられるし(指が3本なのは人間の姿になっても変えられないみたいですが…)、必要とあらば妖怪の姿になって人間にはできない力を発揮することが出来るわけです。


しかも、彼らが生きているその世界は、恐ろしい妖怪がいっぱいいます。そんなのに襲われたら普通の人間ならひとたまりもありません。じゃあ妖怪人間のままの方が何かと良いのではないか…なので、その今もっている力は、この世界を生きる上でとても役立つはずと思うのですが、彼らはとにかく普通の人間になりたい、その頭しかないのです。


ですが人間になったとたん、妖怪に襲われて命を落としそうな気がします。なぜなら責任感が強いからです。妖怪が現れたら他の人間をかばってきっと闘うでしょう。


しかし人間になってしまった身体では妖怪に太刀打ち出来ません。そして「妖怪の力があれば…」そう呟いて死んでいくのです(勝手な想像)


妖怪人間を見ながら、今のほうがいいじゃないか(幸せなんじゃないか)と、子供心に思っていました。その力があるおかげで、人間を助けることができるのだから、つまりとても人間の役に立っているわけです。


悪い妖怪の多い世界で、そんなことができるのは妖怪人間しかいません。とても稀有な存在なのです。


この力を人々の役に立てよう、それが私たちがこの世に生まれた役割だと、なぜそのようには思わなかったのでしょうか。


いや、そのように思っていたのです。そう思っていたから妖怪と闘っていたのです。しかしいくら人間のために悪い妖怪と戦っても、人間に誤解されて迫害を受けてしまう、それは私たちが妖怪人間だから…というわけです。とてもやるせないですね。


私なら、いつどんな妖怪と戦って、その妖怪はどんな特徴があり、どんな悪さをしていたのか。そして、その妖怪をどうやって倒したのか…と事細かく日記に記し、それを出版社に持ち込んだ筈です。


ですが、ただ持ち込むだけではダメです。なんせ妖怪ですから多少なりとも警戒されます。なのでユーモアが必要です。ウイットに富んだギャグなどを言えるように訓練が必要です(ベロはそれなりに頑張って人間の子供を笑わせていました)


笑いは人の警戒心を緩める効果があると思います。親しみやすさ、それが大事ですね。


そして、そんな妖怪退治の話はとても刺激的ですから出版社も食いつく筈です。ただその話を信じてもらえるかというのが問題です。妖怪の存在を信じないかも知れないからです。だからといって信じてもらうために、いきなり妖怪に変身したりするのは賢い選択ではありません。そんな姿をいきなり見せれば間違いなくそこでアウトです。はっきりいって妖怪人間の姿はトラウマ級の衝撃を与えるインパクトがあります。そこは慎重に、まず悪い妖怪というものがいることを信じてもらわなければいけません。


(どうみても正義の味方にはみえませんね)


そして、それを退治する、良い妖怪が存在するということを知ってもらうという手順を踏まなければならないでしょう。


悪い妖怪、それを退治する、良い妖怪(我々)まずこれです。


手っ取り早いのは映像で見せることです。その世界にはビデオカメラはあるのでしょうか。あれば、戦いをビデオカメラにおさめれば完璧です。3人もいれば一人は撮影に専念できるはずです。


ですがただ戦っているだけではおぞましい妖怪たちが暴れている戦慄の映像でしかありません。なので戦いの最中は、たまにカメラに向かってピースサインをしたり、あるいは変顔をする(さらに恐怖心が増す可能性も)そのようなユーモアを挟んだりしながら親しみやすさを演出しなければならないでしょう。そのユーモアが良い妖怪の印象を作り上げるはずです。


そこまでできれば、そのような努力のかいがあって、ようやく彼らは人間に受け入れられ、妖怪人間はメディアに引っ張りだこの一躍スターになれるという訳です。


そして、妖怪人間が〇〇妖怪と戦った場所、ということで、そこは観光名所にもなり、きっと妖怪人間饅頭や妖怪人間キーホルダーなどお土産グッズも飛ぶように売れ、経済効果も期待できるではずです。


どうですか、ただ現状に不満を抱き、なれないものに憧れを抱き苦悩する思考から、その視点を変えることで新たな生き方を見出す、その大切さを感じませんか?


はやく人間になりたい…いえ、今のままで活路を見出すほうがいいのです。その能力を生かす方向を考えるのです。


人間になることが幸せになる条件では決してありません。


自分の長所、特技や能力を生かす生き方、それが幸せになる条件だと思います。それを放棄し、自分とは違うものになろうとしても、けっしてそこには満足いく結果はやってこないと思います。


幸せはどこかにあるのではなく、すでにそれとともに今ここに存在していることに気づくことです。


それは、我々にも同じことがいえます。


そして大切なことは、人生とは創意工夫が必要だということです。ただ生きているだけではけっして満足はできません。お金も必要だし、健康も必要でしょう。そのようにお金を得る工夫、健康を維持する工夫も生きていく上では大切です。


なので、いろいろ学ぶことも大切です。知ることも大切です。そして、それをどう人生に取り入れるかです。


今この環境で、どれだけ前向きな考えができるかというのも大切ですね。


思い描くような結果にならなければ幸せではない、そうではなく、そうなることを考えて行動する今この瞬間が幸せそのものなのです。