自分自身への扉 幻想の中でそのリアリティをどのように活用するかはあなたしだいなのだ | 自分自身への扉

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答えは自分が知っている

みなさん、こんにちは。


私は毎日夢を見るのですが、たまに夢の話をしたりすると夢など滅多に見ないという人がいます。一年に数回程度しか見ないとか言われると、夢を見ない日などない私にとっては、嘘だろ?と思ってしまいます。


子供の頃は、今日はどんな夢を見るのか、それが楽しみで布団に入っていました。その寝る時のワクワク感が好きでしたね。


ですが楽しい夢ばかりではありません。


同じ夢を何度も見る、そのような経験がある方も多いと思いますが、私は子供の頃によく同じ夢を見ることがありました。一つ目小僧に追いかけられ、怪獣とプロレスをするというへんてこりんな内容なのですが、どういう訳かよくその夢をみるのです。夢の中で「またこの夢か…」と思いながら、今からこうなって、そしてこうなって、とこれから起こることを考えて、はぁ〜、とため息がでると言った感じです。



さて、なぜ夢の話を始めたのかというと、まったく同じ夢ではないのですが、その場所に行くといつも不気味な雰囲気が漂っていると言う夢をたまに見るのです。


その場所とは二十歳前後に4年ほど住んでいたアパートで、親元を離れて新たな人生をスタートさせた場所です。


そこの思い出は決して嫌なものではなく、どちらかというとワクワクした気持ちで過ごした場所でした。


ところがです、そのアパートが出てくる夢を見ると、そのアパートは何やら不気味な嫌な感じがするのです。


何かがいる…というような感じのことです。


直接見えはしませんが、居るのがわかります。


なので、あまり長居はしたくないので用事が済めばすぐに出ていきます。先日みた夢でも、部屋を出ようとした時、突然パソコンの電源が付いたりしていました。


なぜその場所がそんな感じの夢として出てくるのかさっぱり検討がつきません。と言うのも住んでいた時には不気味さなど感じたこともないし、そんな嫌な場所でもなかったからです。しかし夢の中ではとても不気味な場所として存在します。


その場所がキーワードになる何かがあるのかとも思うのですが、まったく思い当たる節がないのです。


頻繁に見るわけでなく、ほんとにたまに見るくらいなので、大した意味はないのかも知れませんが。


ただ、今書きながら思いついたのが、その家に恨まれている可能性はあるかな、ということです笑


そのアパートは寮のように使われていたので部屋の扱いも雑だったし、若気の至りと言えばそれまでですが、周りの住人に数々のご迷惑をおかけしました。私たちのせいで引っ越しした人もいましたから。


そのアパートからすれば(大家さんや周りの人も含め)私たちは厄介な住人だったと思います。


今度その夢を見たら何が潜んでいるのか部屋の中を調べてみたいですね。夢だと気付ければですが。



さて、この先何年生きることができるのか。


人の寿命は昔に比べ伸びているようですが、だいたい男性で81歳、女性で87歳らしいです。


80歳なんてずいぶん先の話だと思っていましたが、歳を重ねていくにつれ、案外早く人生は過ぎ去って行くのだろうな、と思うようになってきました。


うちの母親が亡くなったのも80歳前後ぐらいで「私は身体が弱いから長生きできない」と子供の頃から母によく聞かされていました。しかし、そんな予想を覆えし80歳まで生きられたのですからじゅうぶん長生きしました。なので案外普段考えていることがその通り現実になるわけでもないんだなと思います。


皆さんは自分の死に対してどのような思いを持っているでしょうか。死に対する恐れを持っている人は多いと思うのですが、結局それは執着が関係していると思います。


物質的な執着が強いと、それを手放すことに恐れを感じますが、それは生に対しても同様で、どうしてもこの世にしがみついてしまいます。


私は、死に対する恐れは少ない方だと思いますが、生きている間の死に至る過程の方が怖いかも知れません。


それは病気や事故をイメージしたものですが、昔から注射が嫌いなのは筋金入りです。注射だけでなく血圧を測るのも嫌で、腕をどんどん締め付けられていくあの感覚が駄目なのです。なので病院の世話になるようなことが嫌だなと思います。


別に肺が破れるくらいはいいのですが…これは前にも書いたことがあるのですが、でも話の流れで書いた方がいい気がするので書きますね。


高校生の頃、胸が突然苦しくなり、息をするだけでも激しい痛みが伴って動くことができない状態になったことがあったのです。


何日間か動けず寝ていたのですが、なんとか歩けるようになってから病院に行きました。そこで撮ったレントゲン写真を見せられ、「これを見て何かわかる?」と先生に言われたので見てみると、肺の片方には何も映ってないように見えます。「肺がない?」と答えると「そう片方の肺がこれなんだ」と言って上の方を指差すと、そこに縮んだ肺が浮かんでいました。


どうやら肺に穴が空いて縮んでしまったらしいのです。


私はそれを聞いて、なんだ肺が破れただけか、良かったー、と安堵しました。


何故かと言うと、寝転ぶと胸の部分の皮膚がぶちぶちと飛び出るような感覚があり、音も聞こえていたからです。これは身体に得体の知れないエイリアンがいるに違いない、真剣にそう思っていました。


そして、手術が必要で、だいたい1ヶ月ほど入院しなければいけないのでその準備をするようにと言われました。


どんな手術ですか?と聞くと、胸を切って管を通し…などと言うので、いや結構です、自力で治します、と言って帰ってきました。


注射も嫌なのに身体を切られ管を入れらるなどあり得ないことです。それに原因がエイリアンではなかったという安堵で、もう不安は無く気持ちがスッキリしたのです。


ちょうど春休みに入ったばかりだったので、家でゆっくりと療養できたのは幸いでした。新学期が始まる頃にはまだ少し胸に痛みがありましたが、ほぼ回復していました。


注射が嫌いといいましたが、実は先が尖っているもの全般が苦手です。鉛筆の先が上向いているのを見たらどこに行っても必ず下に入れ直していましたから笑


前世が…と言う話になると分かりようがありませんが、現実的に考えれば、まだ小さい頃ですが家に注射器が何本も保管していて、私はそれで遊んでいた記憶があります。そこで何か痛い目にあったのではないか、と思っています。


それと似たような話しがあり、母親が机の上に置いている鉛筆立ての中に、普通にカミソリの刃を上にして鉛筆と一緒に立てているのです。T字ではなく歯ブラシ型の先にカミソリの刃が剥き出しで付いてるものです。なので鉛筆を取ろうとしてカミソリを掴んでしまいよく手を切っていました。なのでカミソリを見るだけで嫌悪感が走るようになりました。


さすがに注射器はそんな所には置いてはいませんでしたが子供でも取り出せる場所に保管していたので、よくそこから取り出し触っていました。しかし小さな子供がいる中でよくそんな場所に…と思いますが、ウチの母親ならさもありなんという感じです。


さもありなんとは?


いや、ちょうど良い入れ物がそこにあるからと言った感じで、ここにカミソリを入れるとどんなことが起こるかとか、そこまで深く考えないと言うか、


なるほど、あなたの母親はとても楽観的な性格だったと言うわけだね。


いい意味ではそうです(笑)


そうそう、前回の話で、幻想の中に現実があると言ってましたが、現実だと思っているからあたふたするのであって、この世界にいても幻想だと理解していれば何が起こっても平然としていられるという訳ですよね?


理解していても突き指をすれば痛みが走る。つまり理解していてもしていなくても突き指で感じる痛さは変わらない。


つまり幻想と言うのは知識だけで、この世界はあなたにとってはリアルな世界だと言うことだ。


そのリアルさとは何か、と言えば、体感だ。


物に触れた時の痛みや熱さ、また失恋や親しい人との死別などで胸が苦しくなると言ったその体感。


あなたがたが現実と言う世界は、そのように体感があることを指している。


幻想というのはあなたが頭で空想するようなもの。実態のない世界のことを指している。


なので、体感があるこの世界は、幻想だと認識することはできない。


あなたがたにできるのは、苦しみや痛みは感じるが、ここは幻想なので、それを恐れる必要はない、と自分に言い聞かせるくらいだ。


じゃあ、この世界にいる間はどのように意識を高めようがリアルなままだと言うことですか?


まるでリアルさがダメなことのように言うが、あなたがたはそのリアルさを体感しに来ているのだからね。


では、苦しさから逃れられない、ということになりませんか?


あなたの本質は苦しんでいるわけではないよ。


魂は苦しまなくとも、ここにいる私が苦しむことが問題なのです。


あなたとハイヤーセルフ、つまり自我と真我の違いを分かりやすく言うと、大人と子供の違いに例えることができる。


ここにいるあなたにとっても、これは役立つ話だ。


じゃあそれを話してください。


では、あなたの体験を例に挙げて話していこう。


子供の頃、母親と一緒にお化け屋敷に入ったことを覚えているね?


ええ、覚えています。


あなたは、ここは本当のお化け屋敷ではなく作り物だという認識を持って、わくわくしながらそのお化け屋敷に入ったわけだが、しかしいざ入ってみればその入り口の所から先に進むことが出来ず、あなたは泣きじゃくりながら入って来た所からすぐに出ていったよね。


それはなぜだね?


正確には覚えていませんが、確か入ると恐ろしげな音が鳴っていて…そして井戸があり、そこから白い着物を着たお化けが上がって来たんです。私はそこで動けなくなり、親が手を引っ張って進もうとするのですが、お尻を入り口の方に突き出し泣きながら抵抗して…笑


つまり本物ではないと分かっていても、あなたにとってはリアルな恐怖としてそれを体感してしまったと言うわけだ。


しかし、一緒に入ったあなたの親は怖くも何ともない様子だった。なぜなら井戸から出て来たのはリアルさとはあまりにかけ離れた単なる人形なのだからね。


つまり、それがあなたとハイヤーセルフの違いなのだよ。


あなたは何度もここは幻想の世界だと聞いては、そうだここは幻想の世界だと頭では考える。しかし、このあまりにリアルに見える出来事に、幻想としてではなく現実としてあなたの意識はとらえてしまう。


夢の中でここは夢だと気づけば、あなたは恐れなど微塵も感じないね。どれだけ高い崖からでもヒョイっと飛び降りてしまう。あなたは自分の夢の中ではどれだけ高い所から飛び降りても地面に叩きつけられないことを知っているし、怪我をして痛みを感じるようなことがないことを知っている。


だが夢だと知っていてもそれができない人もいる。恐れがあるからだ。それは夢に対する認識の違いだよ。


この世界でもバンジージャンプができる人もいれば出来ない人もいる。身体が地面に叩きつけられないように安全なゴムが付けられているにもかかわらずだ。それが安全だと思うか、切れるかも知れないと思うか…同じものを見ていても、どのような意識でこの世界を捉えているかで体験の仕方が変わるのだよ。


肺に穴があき、すぐに手術をしなければいけないと言われパニックになる人もいれば、あなたのように自力で治すと言って平然と病院を後にする人もいる。


子供のあなたは、お化け屋敷で泣きじゃくり引き返すが、母親は、この先どんなくだらない(面白い)仕掛けがあるのかワクワクしてその先に進む。


そのように同じリアルな世界で生きていても、どのように捉えるかで世界はまったく違ってくるのだ。


言わば、それがこの世界の楽しみ方だとも言える。捉え方で経験することを変えることができるのだからね。


リアルな出来事を感じつつ、それを怖がるのか、楽しむのか、意識の違いでどのような経験をするか変えられるということですね。


幻想の中でそのリアリティをどのように活用するかはあなたしだいなのだ。


この世界にいる間はハイヤーセルフと同じ視点には立てない。あなたはこの世界にフォーカスしているわけだから、なのでこの世界をリアルに体験することができる。


だがこの世界がどのような場所なのかを知ることにより、先ほどのお化け屋敷の話しのあなたと母親の違いのように、あなたはこの世界の捉え方(感じ方)を変えることができる。


起こる出来事に対する見方が変わるだけで、過度に恐れることがなくなるのだ。


それだけでもじゅうぶん生きやすくなる。


さらに自分の意識が出来事に影響を与えている(創り出している)と言う認識を持てれば、あなたは誰かのせいにして生きる必要がない。


そうだろ? 人生という物語を描いている作家はあなた自身なのだからね。