大学時代、一年目。物理化学の講義で、
「論文を書きなさい。」
というテーマが与えられた。不意打ちを食らったかのように、でかい宿題を与えられたと思ったものである。
サークルやアルバイトの先輩に聞いてもいいし、図書館に行って資料を探してもいい。兎に角、論文を書け、と。
高校と大学の違いは、学習と研究の違いだという事を、講師は仰った。
あの時の講師は、私の今の年齢よりもかなり若かったと様に思う。
私は、悩んだ挙句、不老不死をテーマに掲げた。テロメアだのテロメラーゼだの聞いたこともないような単語が列をなしていたが、何とか形に収めた。
講師は、次の講義で、良かった論文を四つ選ぶから、それについてのポスターを作って論文発表をしなさい、と仰った。
私の論文は、選ばれなかった。
中でも群を抜いて、印象に残っているのは、「コンビニ弁当の容器に含まれる成分にはペニスを短くするものが含まれている。」といった内容の論文だった。
この講義について、学んだことは、
「論文というのは、テーマが大きすぎてもダメ。ある一つのものに焦点を当てて、物事を見るのだ。」
という考え方。
それから、
「面白い論文というのは、新聞の様に、見出しや写真やイラストを使って、興味を惹くものだ。」
という事。この二点である。
最後に講師は仰った。
「利便性だけを追求するなら、コンビニでもいい。ただ東大寺の様に、長く残っていくものには、必ず工夫が仕込まれている。」
と。因みに、東大寺の南門の柱には、植えられた方角を忠実に守り、木が曲がらない様に、植えられたままの方角のままの状態で木を使ったのだそうである。
こういった物が何の役にも立たないと思っていたが、モノづくりの際に、とてもヒントになる。
仕掛けとか捻りというのは、必ず大事になってくる。
第四次産業革命が起ころうと、駄菓子屋や模型屋や散髪屋が、必要なのにはこういった人間の知恵が結集しているからに他ならないのかもしれない。
飽くまで、中退という形に終始した学生生活だったが、実も味もある7年間だったように思う。