山田としお オフィシャルブログ Powered by Ameba -2ページ目

かけがえのない「故郷と農業とJA」を大切にします

3.見事な富山平野の大麦・稲作・大豆作

 

列車は日本海を横に見て、立山連峰との間の富山平野に入った。海と国道との間には、きれいに並んだ畝が作られ、それら畝には、黄色の芽が出ており、大豆です。そして、この畝が、列をなして海岸沿いまで広がっているのです。これも、美しい景観だ。春に向けて、大豆作が行われているのです。見事な農地利用であり、作物づくりだと感動しました。

そして、広々とした水田には、一面、緑の苗が植わって風にそよいでいる。一方では、随所で野焼きの煙も上がっている。春に向けての準備がなされているのです。

私の故郷は、富山県と石川県境の「倶利伽羅峠」の麓です。源氏の木曽義仲と平家の平維盛が闘い、源氏の義仲が牛の角に松明をつけて襲い掛かり、平家軍を深い谷に追い落として源氏が勝利し、平家から源氏へ政権が代わったきっかけをつくった地です。

私の故郷の埴生(はにゅう)八幡宮は、義仲が戦勝祈願をした八幡宮であり、今も大切にされています。峠には、俱利伽羅不動寺があり、その谷は、今も「地獄谷」と呼ばれて恐れられています。私も幼い時に、悪さをすると、「地獄谷に連れて行くぞ」と𠮟られたものです。今も、埴生八幡宮に、そして俱利伽羅不動寺に参拝しています。まさに、村をあげて、市をあげて、埴生八幡宮と俱利伽羅不動寺は大切にされています。