地下芸人コント漫才進化論 の話。 | モダンタイムス としみつ日記2

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漫才のネタを作る。


お客様に「面白かったですけど、コントですよね?」と言われる。


私は、また絶望感に見舞われた。(過去に「悪口漫才」を披露して、MCの方に漫才じゃないとその場で言われた事がある)


少し前に「漫才か漫才じゃないか」論争があった。


あれはあくまで賞レースでの話だと思っていたし、あの論争自体、何をそこまで目くじらを立てているのかと思っていた。


勿論、モダンタイムスは賞レースに出るし、その基準はあるのかも知れない。


確か、野田クリスタルはラインを作っていたと思う。


2人でキャラクターになって登場したら、コントと定義にしてたと思う。


私はもう1個下の話、センターマイクが立っていれば漫才、無ければコントとしている。


漫才から入り、「こんな事やってみたいんだよね」からコントに入る「漫才コント」


私はキャラクターから入り、漫才を当たり前のようにやる「コント漫才」があっても良いと思っている派


それが違うのなら、じゃあ、カツラや女装もダメなのかと思ってしまう


ここで疑問。


M1ファイナリスト すゑひろがりず、彼らはキャラクターになるのではないのか


この手の話をする場合、漫才の歴史を振り返らなくてはならない


漫才の歴史は平安時代まで遡るらしい


当時は「萬才」と呼ばれていた


明治末期、音楽性の強い「万才」が誕生し、「音曲万才」など言われていて


昭和初期、エンタツアチャコの「しゃべくり漫才」が誕生した(早慶戦ネタ)


衣装は和服からスーツへ。「しゃべくり漫才」と「音曲漫才」の2つに分けられたそうだ


その後、漫才ブーム、ダウンタウンの漫才、Mー1グランプリと継承される


和服からスーツ、ダウンタウンは私服で漫才


本来、ダウンタウンの登場で「漫才」の漫は変わっていても良いくらい時代を変えている

ダウンタウンの漫才(とりあえず、本編からズレるのでこの辺で)


そういう意味で、すゑひろがりずは音曲漫才の系統で許されたとも認識出来る


では、ここで視点を変えてみよう


「コントかコントじゃないか」論争である


ただ、2人立って、会話をしているだけのコント


これをコントと呼ぶのか、呼ばないのか


多分、多くのお笑い好きはコントと呼ぶのではないか


例えば、「ごっつええ感じ」の妖怪人間のネタ


ベムベラベロのキャラクター3人で漫才をする


これをコントと呼ぶのか呼ばないのか


野田クリスタルの定義ではこれをコントと呼ぶ


私は、「キャラ漫才」だと思っている=「コント漫才」である。この違いを私はずっと言っている


コント漫才を目指して作られてるであろうコントはもう既にあると思う。私の理想の笑いであり、皆様にオススメ3選をご紹介したい。



バナナマン「Secretive Person」


これは素晴らしいすよね。ただの会話劇だから、漫才でもいけるはずなのに、間を使うからよりリアルで面白い。ビジュアルバムの「古賀」にも通ずる、そこにスポットライト当てるなよネタ。でも、世間はコントでしょうね。




松本人志ビジュアルバム「いきなりダイヤモンド」


まさに、コント漫才じゃないですか。松本さんは本当に全てやられている。(「妖怪人間」然り、凄すぎませんか?)コントから入って漫才で終わるコント。素晴らしい。ちなみに本当は相手役 浜田さんだった事も裏付けとして書いて置きます。




シソンヌ「別れ」


これ観た時、嫉妬しましたね。まさに、コント漫才。しかも、私の定義、センターマイクまである。絶対、じろうさん、狙って作ってたでしょうね。凄すぎる。オチの長谷川さんの「どうもありがとうございました」まで完璧、コント漫才。是非ともご覧になって下さい。


そう、シソンヌの「別れ」。センターマイクがある。だから、これは漫才かと言われればコントになる。(コント漫才ではあるが)


何故なら、暗転板付きだから。


なので、私の「漫才か漫才じゃないか」論争


センターマイクがあり明転飛び出し、挨拶終わりなら2人キャラでも漫才。


センターマイクがあっても板付きならコントである。



故にモダンタイムスの「45歳アマチュア漫才師」は漫才である。



以上。異論があればどうぞ。伺います。



ちなみに野田クリスタルもあくまで、M1グランプリ、賞レースにおける「漫才か漫才じゃないか」を謳っているという事を付け足しておきます。



では、皆様、さやうなら。