霧ヶ峰に行く <2011年8月8日(月)~9日(火)>

 

歳彦氏の54歳の誕生日祝いに 信州:霧ヶ峰へ。

写真は、女神湖にて<湖面に映っているのが蓼科山(たてしなさん)>。

前日、午後2時出発。宿泊先はユースホステル。

キャンプファイヤーをしてもらい楽しかったです。

翌日は、朝5時から活動開始。女神湖散策、

午前9:38発。霧ヶ峰高原でトレッキング(26度でしたが無風、天気よし、グラグラの暑さ)3時間歩きました。

下山後、ゴンドラ乗車。

白樺湖で2人のり自転車へ。自転車は、まったく呼吸があわず、笑うしかない状態。事故が起きなかったのが奇跡

 

8月8日(月)

「私はここよ!」 出発の朝、私の荷物だけを乗せて、歳彦氏は車を猛発進。

離れていく車の後ろ姿を見ながら ピョンピョン飛び跳ね、両腕を空に突き上げ、体全体を左右に大きく揺らし“私はここよ!”とアピールする私。

私の姿をバックミラーで見ることもなく サイドミラーにも映らず 

車はブーンと行ってしまった。

携帯電話も家の鍵も車の中。

歳彦氏は、いつ気づいてくれるのでしょう。私が乗っていないことを。

 

5分ほどして(私には10分以上に感じたけれど)

歳彦氏、言わく“あまりに車の中が静かで。あれっ君が乗っていない!”のに気づいて戻ってきたと、、、、。

 

歳彦氏の頭の中は、翌々日の山行き(8・11木の早朝~14日の深夜 南アルプス:三伏峠~塩見岳~熊ノ平~三峰~北岳)で頭がいっぱい。

2日後に出発の山行スケジュールがFIXできていないそうで。メンバーも含めて。

 

そんなこんなで午後2時出発。

夕方5時30分 「諏訪湖サービスエリア」で夕食。

眼前いっぱいに、全風景がおさまって見える“諏訪湖”の景色の素晴らし!こと。

冬になると御渡(みわたり)がみられるのか。と思いながら、関西風のおつゆの野菜のかきあげうどん(600円)とおやき(240円)をいただく。

 

午後7時、立科白樺高原ユースホステルに到着。

ペアレントのご主人(職員さん)は、声が“もののけ姫の米良美一さん”似の

たいへんテキパキした方。

今夜の宿泊者は、女性の一人旅がおらず、2人同室でご用意いたしましょうとお声が。

一瞬、私たちの2人の顔が同時にこわばったのでしょう。

「おいやでなければですが」と声が続きました。

 

双方、同室になった人との新しい出会いを期待してユースホステルに。

相客が不在であれば、ここは、好意に甘えて一室借用。(一泊:3,360円)

 

夜8:30からユースホステルの「ネイチャーナイトウオッチングと星空散策(1,000円)」に参加。

標高1,500m、野生の鹿の群れ(運がよければ100頭近く見られるそうです。御油の自宅では、多くて2頭かな。これは見る価値ありでしょうと、参加。

今回は、野生の鹿は30頭~50頭ぐらい登場したと思う。あたりは暗いし、鹿の集団は遠くにいるし)強力懐中電灯で照らすと目だけが光ってみえて)、

織姫星(ヴェガ)と彦星(アルタイル)、白鳥座の位置を教えてもらい、今日は残念ながら見えない天の川を仰ぎ、幻想的な夜の女神湖の桟橋に立ち、湖面に映る星空や蓼科山を見る。五感を用いて夜の自然を全身で。楽しかったですよ。

今夜の参加者は2家族。私たち2人と3ヶ月ぐらいの赤ちゃんと就学前の女の子の4人家族。子供にも楽しい企画。

 

午後10時、ユースホステルへ帰宅。

その後、希望したら「キャンプファイヤー」をしてくださいました。

貸し切り状態のキャンプファイヤー(無料です)。

火柱が燃え上がったあと、次に火の粉が燃え上がり、そして金色の線を描いて、それはそれは幻想的な模様が闇の中に映し出されました。うっとりです。

 

夜の11時。就寝

 

8月9日(火)

朝5:00に起床。

天気がよく、運がよければ“雲海”が見られますよ!と教えていただいたのでやってきました。

“牛乳専科もうもう牧場”へ。ユースホステルから車で5分。

雲海、見ました。さすが1,500m。

 

朝5:30。女神湖に移動。時計と反対回りに女神湖散策。

時計と反対回りだと湖面に蓼科山を見ながら散策できる。

女神湖は、標高1,530m。周囲1.8km。

通りすがりの小学生の双子

の妹ちゃんにパチリと撮っ

てもらいました。    

<女神の像の前で>→     

いったん、ユースにもどり、歳彦氏は、朝寝。

朝食はバイキング(650円)。

テーブルには、美術部の学生さんが合宿で30名あまり。小さな子供づれの4人家族が2家族。一人旅の男性が2名とにぎやか。にぎやか。

 

昨晩、ペアレントさんからこのユースホステルは「障害者の方も健常者も同じよう楽しく宿泊」できるよういろいろ努力されていることを教えていただいた。環境でいえば玄関は、雨の日でもぬれずにすむよう、建物内まで車で入れ、自動ドア。また、車いすでも入室できるようスロープあり。

内面では、乗馬やスキーなどのプログラム。

こちらにきて15年になるそうです。最初は、ノウハウもなく。いろいろな書物を読み、人の輪を作り等コツコツ積み上げられたご様子。

今では、海外ユースからも視察がくるそうです。


                           YHにはハンモッグもあり 

 

 

午前8:45ユースホステルを後にして、霧ヶ峰高原へ。

今日は、車山肩~車山乗越~蝶々深山~物見石~八島ヶ原湿原と歩きます。

万歩計、持ってきましたよ!!

 

車山肩の駐車場(無料)で車は待機。

IMGP1720.JPG午前9:38 車山肩出発~車山乗越(くるまやまのっこし)まで1.1km。

さっそく高原植物、濃い黄色の花。ニッコウキスゲが登場 →

人間は、前日の雨の後でぬかるんだ遊歩道をテクテク。

 

車山乗越~蝶々深山(ちょうちょうみやま:1,836m)まで0.9 km。

大小の石がある中斜面を高原植物を見ながらテクテク。

シモツケソウもあり。

蝶々深山~物見石(ものみいし:1,780m)まで0.9 km。

前日の雨で水たまりの遊歩道をテクテク。

紫の花のマツムシソウあり。

後半は、滑りやすく急な斜面、足元が見えない道を

テクテク。

物見石~八島ヶ原湿原まで2.8㎞。

黄色の花、コオニユリも登場。

さらに八島ヶ原湿原の遊歩道では、紫色のヒオウギアヤメも

登場(アヤメによく似ているが、アヤメのように花の中心に立つ3枚の花弁がないのが特徴)

遠くからみると緑の高原。実際は、歩くと岩がゴロゴロ。非常に歩きづらい!

もともとは噴火火山。蓼科御泉自然公園前の蓼科山7合目前の看板によれば、昔、富士山と蓼科山がある八ヶ岳連峰は、富士山と高さを競い、当時、八ヶ岳連峰のほうが高かったので、富士山が怒ってこのあたりを爆裂させ、富士山が一番になったとか。

 

トレッキング中は、それぞれのポイントごとに休憩。

“山やの歳彦氏”によれば、お腹がすく前に、ちょっとずつお腹に固形物をとるのが理想的な登り方(?)だそうで、蝶々深山で クロワッサンを1つ食べ

物見石で おにぎりを1つ食べ、八島ヶ原湿原で またおにぎりを1つ食べと

食べてばかりの高原散策となりました。

 

八島ヶ原湿原の八島ビジターセンターの職員さんによれば、昨日の八島ヶ原湿原一周(一周60分)で94種類の植物(花)を数えたそうです。

 

下山後、女神湖に戻り、白樺高原国際スキー場の蓼科牧場(たてしなぼくじょう)のゴンドラに乗車。女神湖に浮かぶスワンちゃんたちが絵のようです。

午後4時。白樺湖に移動し、タンデム(2人乗り自転車:1時間1,000円)にトライ。

歳彦氏は、後列のサドルを自分の身長に直してもらい「よし!」のお顔。

 

タンデム自転車。楽しく出発とおもいきや。

いきなり猛烈な勢いでペダルに足を取られた。

さらに後列からしっかりハンドルを握ってと激が飛ぶ。

 

はい? まだ、私はペダルに足も置いてない、どうやってハンドルを操作できようか?

 

出発の「1,2,3」の掛け声もなく、いきなり猛ダッシュで漕ぎだすのは危ないでしょう。

 

私の分まで、歳彦氏一人で自転車の馬力を出そうという気持ちはわかる。

 

が、これはタンデム。2人のり自転車。ペダルは各々単独に独立しておらず、

チェーンでつながっている。結果、ムカデ競技と同じ。

一人がガ―と突進すれば相方は呼吸があわず、倒れる。

わからんのか!!!。

どっ、怖い!!!。

 

本能で危険を感じ、5分後にお店屋にUターン。

サドルを再調整。今度は歳彦氏が前列。

されど、これがまた、楽しくない!

 

はい? 再び、いきなり発車ですか?

1.2.3、出発(しゅっぱぁーつ)のかけ声は必要でしょう。

ムカデ競技と一緒と声を大にして言っているでしょう。

 

再び、ペダルに足をとられ、私の左右の足は空中を迂回する。

こわっ! 足の置き場がない。なのに自転車はガンガン進む。

こわっ!

 

さらに、歩道と歩道の段差の都度、しこたまガツンとサドルとお股が激突。

前方が見えない私には、前列が教えてくれない限り、段差がいつくるのか不明。

予測ができないからお尻をサドルから浮かすこともできない。

ど痛い!

頭きちゃう!!!

 

「1,2」「1,2」の声だして、「段差、教えて」の声だして、と、

後列から元気な声を出し続けての白樺湖。

歳彦氏のガンガン馬力のお陰であっと言う間に白樺湖、一周。

あまりの呼吸のあわなさに、呆れたのを通り越して笑うしかない!白樺湖1週、 1時間のタンデムでした。

 

夜10:30、無事、豊川に帰宅。

万歩計は、19,250でした。           <記 上田光代>