2006年4月23日

 

    ベルギー&スコットランドの旅      上田光代

 

2005年8月9日(火)~8月25日(木)ベルギー&スコットランドに行ってきました。

娘が中学2年生になったら“思い出旅行をしたい”と6年前から考えておりました。

 

今回の旅行の目的は、以下2点

1)他国の文化に直接、触れてほしいこと

2)ベルギーではロッセイ家族と交流をはかること

 

日本の気温は35度。

訪問先のベルギーは21度。

なんて私の体に優しい気温でしょう。

そのベルギーでは家庭料理に満悦。

スコットランドでは、もの悲しいパグパイプの音色に

酔いしれました。

二度と体験できない楽しい旅行となりました。

  

ゲント駅(ベルギーにて)

   

娘には “1日1ページの旅行記”を課し、出発。

詳細は以下のとおりです。                 

                         

                           

8月9日(火曜日) 初日                       

JAL(日本航空)には、ベルギーへの直行便がないためフランス経由で国際列車に乗り換えベルギーへ。そして地方列車に乗り換えて滞在先のゲント市へ。

 

実は、出発前、今日1日分の本当の実働時間を把握していなかった。

 

単純に朝5時50分に家を出て午後10時にはベルギーに到着するのね。

と、後で考えると恐ろしく楽天的に旅はスタート。

 

ただ、日本からフランスまでの飛行機のフライトが10時間。

国際列車の乗継ぎ時間が3時間30分。電車で移動時間が1時間。

と単純計算すれば、今日1日がとても長いことは、私にもわかる。

よって体力勝負の日。

言葉の問題、初対面の空港・初対面の駅を利用するため勝手がわからずアタフタが予測できるので今回の旅行の中で一番テンションが上がる日と思う。

よって気力勝負の日でもある。

今日さえ乗り切れば、あとは平和な旅行ができるはず。

 

名鉄国府駅6:02発→名古屋中部国際空港7:21着に乗車。

席は1ヶ月前に確保。(片道大人1,460円。ミューチケット350円)

 

名古屋中部国際空港で、2万円分のユーロ(ヨーロッパの現金)を両替する。

実は、出発前日の昨日(8・8日曜日)、ベルギーから1通のメールが届く。

国際列車の到着するブルッセルから地方都市のゲントまで自力で行けますか?と。

10日間ほど、お世話になる先からのコメントなので“OK”と返信メール。

とはいえ、東京待ち合わせが名古屋に変更になったというイメージ。

夜間の在来線への乗り換えは、はっきり言って不安。

また、この調子では、現地での観光はフリーの予感。

 

ということで現金が必要かな?と。急きょ、空港で両替、やっぱり率が悪い。

豊川中央郵便局では、1ユーロ=144.52円。

名古屋中部国際空港では1ユーロ=146.25円。高い分は便利代ですね。

 

両替所の隣のテナントから“今から使える携帯電話”の表示が私の目に飛びこむ。1日630円。保険料1日262円。1分間280円(発信・着信ともに)。

迷わず借りる。

迷子常習犯の娘に持たせるために。

 

今の彼女の英会話力は寂しいものがある。

そこで、彼女が迷子になった時、携帯で父に電話し、居場所の目印を父に伝え、父から滞在先に電話をしてもらい、当人をピックアップしてもらう算段(うまくいくかしら?)。

事前に豊川で用意しておけばもっと、安価に借りられたのにね。

 

飛行機は名古屋中部国際10:10発→フランスのシャルルドゴール空港15:36着。

12時間の空の旅となる。(往復で一人192,000円。因みに冬はこの3/1の料金)

行きは名古屋→フランス。帰りはイギリス→成田→名古屋のパターン。

こんな形でも往復扱いになるのですね。ありがたいことです。

 

娘は機内ですぐに情報収集をスタート。

中日新聞、英文新聞を持って自席へ。ペラペラめくって終了。興味なし?かな。

因みに、両新聞とも“衆院解散後、総選挙・郵政法案参院で否決”の記事。

 

次に機内食状況のチェック。

自席の網からパンフレットを見つけ、搭乗1時間後に昼食。

午後4:30ごろ、おやつ。到着3時間前に夕食。

 

今どきの飛行機はすごいですね。

前の座席の後ろに手のひら大サイズの液晶パネルが一人一台ずつ設置。

自分の見たいビデオや情報が自分のペースで見ることができる。

隣の娘は説明書も見ずにコントローラをやたら押しまくっている。

しばらくするとプチプチの音が静かになった。

マスターしたようで、ご満悦。

その後、映画はもちろん、入国カードの書き方やフランスのシャルル・ドーゴール空港内の移動の情報など“必要な時に必要な情報”を、コントローラのどこをどう操作すればよいかを教えてくれた。

“なんと頼りになる娘”でしょう。

 

12時間後にフランスのシャルル・ド・ゴール空港に到着。

現地時間:8月9日(火)の午後3時40分。

日本時間:23時40分

時間に逆行して飛行機が飛ぶ!というイメージでしょうか。

日本では、あと20分で8月10日(水)。

日本にいれば、もう真夜中。いつもなら布団の中の時間。

が、だれに聞いてもここは、午後3時40分。

これから2つ電車を乗り換えて、ベルギーのゲントまで行く。

 

予定では、午後10時には到着予定。

日本時間にすると、翌日の午前4時(ベルギーも日本との時差は8時間)。

えっ?

ということは、今日は22時間営業ということ?

初日で体力使いきり?

 

ところで、フランスのシャルルドゴール空港は“ウィウィ・ボンジュール・・“と明るいイメージを持っていたら、以外や以外で地味でした。

出国出口側だからでしょうか?審査ボックスは3つ。

妙にひなびた印象を受けたのは私だけでしょうか?

入国審査(IMIGRATION)はパスポートを見せただけで問答なし。

空港内はガラガラで20人~30人程度の客のみ。トランファー(乗り継ぎ)が多いのかな。飛行機内で隣に座ったご婦人はスイスへ行くと言っていたし。

重い荷物も手荷物受取(BAGGAGE)のターンテーブルから娘が一人でさっさっとピックアップ。

“なんと頼りになる娘”でしょう。

 

チェックもなく出口(EXIT)へ。

あっさり外へ出ちゃいました。

 

フランスのシャルルドゴール空港から案内表示板に従って、ベルギー移動のため国際列車(タリス)乗り場へ移動。歩いて10分程度。重い荷物も彼女が運ぶ。

“なんと頼りになる娘”でしょう。

 

因みに、フランスは初めての国。

 “ここは、地球”と割り切って、空港や駅では電光表示板とマーク(絵)を頼りに突き進む。チケット売り場までは、スムーズに到着。

ここからは以下の予定。

シャルルドゴール空港19:18発→ブルッセル(Midi南駅)20:35着

ブルッセル(Midi南駅)21:10発→ゲント21:38着

 

ところで乗車券(フランス→ベルギーのブルッセルまで)は、すでに日本で手配済み。しかし、確認事項が2件。それでチケット売り場に並ぶ。

こちらでは、あと清算は認めてくれない。

自分のもっている乗車券でゲントまで乗れるかどうか確認したい。

日本だと新幹線の乗車券でJRの在来線は無料になりますよね。

それとどう見ても線路が見つからない!電車が見あたらない!

どこからタリス(国際列車)は出るかを確認しなくては。

 

チケット売り場は、案の定、混んでいた。

娘は列に並ぶと、すぐ後ろのベビーカーに乗っている子(1歳ぐらいかな?)が泣き始めるのを見て、風船を膨らませて あやしはじめた。なんて、素敵な娘でしょう。

 

さて、チケット売り場のお姉さんは、ゆっくりと話してくれた。

1)ブルッセルからゲントまでは別途購入が必要なこと。

また、ここのチケット売り場では購入不可であるということ 

2)タリス乗り場は “Here(ここ)”と。

 

が、タリスのプラットホームも見当たらなければ、タリスも見当たらない。

“ここ”と言われても、やはり私にはタリス乗り場がわからない。

タリス(国際電車)はどこ?

荷物を引き連れ、構内を右往左往しながらアセアセしている私をよそに娘の様子がおかしい!

非常に早いスピードで機嫌が悪くなっているのが手にとるようにわかる。

すでに午後5時。日本時間で真夜中の1時。

 

ましてや娘は、12時間のフライト中、3本の映画を見ていた。

ジョントラボルタ主演のビー・クール、イギリスのチャリーエンジェルズの一人の主演のフィーバー・ピッチなど。

お目目ギラギラの状態でフランス入りし、携帯電話で日本の友達に、無事、着陸コール。オー電話がつながったと天にも昇る勢い。

(この時間まで起きていてくれた友達もすばらしい!)

 

タリス乗り場への移動時もテンションは上がりっぱなし。

自動歩行道路を使わず重い荷物をひっさげて小走りし勢い余って床を転がっていた。

そして、娘は興奮状態から一気に急転直下、転がり落ちるように睡魔に襲われ

眠いのだ。

 

私のよく知っている娘がそこにいる。

あー現実だ!なんてことでしょう。

悪態をつく娘におかまいなく時間は刻々と過ぎていく。

構内巡回員(警備員?)に聞いても透明ガラスを指さし、ニコニコ。

透明ガラスの向こうはオープンデッキの待合所。

今日は晴天。

オープンデッキのベンチから空を仰ぐと、とても良い天気ということがよくわかる。

娘はこのベンチでしばしの仮眠。

 

乗車30分前に大きな電光表示板に、プラットホームNO.が表示された。

が、まだ、私にはタリス乗り場がわからない。タリスはどこ?

そして偶然、見つけた。

オープンデッキもどきの待合場所の端から下に降りる小幅なエスカレータを発見。

分かれば、なんということもない。

確かにチケット売り場の真下。““Here(ここ)”である。

 

チケット売り場に移動する時、道路に平行した階からエスカレータで一つ降りた。

だから、てっきりチケット売り場は地下1階と思っていた。

ところが、その横にあるオープンデッキの待合所の上には空が見えた。

ということは、切符売り場のここが1階?

しかし、そこから階段を降りた先のタリスのプラットフォームの上にも空が見えた。

では、ここが1階?ハテ?ハテ?

とにかく、タリス乗り場を探すのに、ここの建物の構造は私には難しかった。

 

さて、プラットフォームに降りると、駅員さんが手振りで“チケットを見せて”と。

6号車と書いてあるチケットを見せると”Fの教示へ進みなさいね”と教えてくれた。

チケットを持ち“F"の表示の近くに進むと、別の駅員さんが”NEXT(隣の車両)”

と大きな声で教えてくれた。

フランス(タリス乗り場)の駅員さんたちは、とてもやさしい。

思いもよらないやさしい行動にしばし首を横に振る私。

 

そして無事にタリスに乗車。

以外と乗客は少ない。この車両は、私たちを入れて8人程度。ガラガラである。

娘は座席に座った瞬間、横になり仮眠続行。

私は仕方がないので空いている席にすわる。

 

ところが、発車時刻が5分経っても、10分経って電車が動かない。

20分経っても動かない。

うっ。と唸る私。これって国際列車だよね。時間どおりに動いて欲しい。

次の電車の乗り継ぎ時間に間に合わなくなっちゃう。

 

車掌さんがチケットを確認にきたので何時に出発するのか?と問うと

“私は知らない”と一蹴。

そうそう、これこれ、この対応が外国の駅員さんの姿の筈、と予期した行動に妙に喜ぶ私。

 

30分経過後、タリスが出発。ヤレヤレ。

と思ったのも つかの間、何度も電車が停まる。駅じゃないところで。

このままでは、次の電車の乗り継ぎの時間には完全に間に合わないことが、

さすがの私にもわかる。

 

娘の迷子用の携帯電話がこんなところで役にたつとは・・・・。

仮眠中の娘を尻目に名古屋空港で借用した携帯電話を持ち、車両と車両の連結部分に移動。“ロッセイ家”に電話をかける。

 “タリスの出発が30分遅れ、さらに途中で電車が止まるので何時にブルッセルに到着できるかわからない!そこからあなたのいるゲントに何時にいけるかもわからない!”と。とセリフをブツブツ復唱しながら。

 

因みにベルギー人の“ロッセイ家”はオランダ語。

ベルギー語といのはなく、オランダ語、ドイツ語、フランス語が公用語で、道表示も含めてすべて、3つ単語が併記のお国。

日本人から見ると不思議ですが、あちらの方にとっては当たり前なのですね。

 “ロッセイ家”のサビンさん(奥さん)は5ヶ国語を使いこなす才女。

しかし日本語は10ヶ程度の単語のみ。

最初に覚えた日本語は“くもり(天気)”と聞いたことがある。

今は、英語でしゃべるしかないのでセリフ状態になる。

 

ところが、 何度、電話をかけても携帯画面は“call failing(接続失敗)”の連打。

な~ぜ?である。

 

このままでは、サビンさんが予定の時間にゲント駅に移動してしまう。

まずい。このままではまずい。なんとかせねば。

 

ここは、不機嫌な娘に登場してもらうしかないと暴言が飛んでくるのを覚悟して娘を起こす。(彼女は、途中で起こされると超不機嫌になる)

ところが以外にも携帯電話を渡すと“あっさり”対応。

自分の置かれた状況が把握できているのかしら? まぁ!2回めで繋がった。

そして他の人の迷惑にならないところへ移動して携帯電話は話しましょう!と

私に向かって手を左右に振る。まあTPOまで。

なんて所をわきまえた頼りになる娘でしょう。

 

因みにブルッセル駅は3つある。

国際列車が止まるのは南駅(Gare du Midi)

そして中央駅(Gare Centoral) と北駅(Gare Du Nord)。

駅名を日本語にした時、南駅はMidiという言葉で中央駅と勘違いしやすいと思う。

日本で切符の手配を依頼した時、ベルギーには行ったことがないという旅行会社の人は南駅を中央駅と説明してくれた。

私には必需品の“トーマスクック(国際列車時刻表:2199円)”で駅名は確認済み。

 

車窓の景色は、やっと薄暗くなり始めた。

こちらの夏の夜は、午後10時ぐらいにならないと来ない。

ブルッセル南駅には予定時間の1時間遅れの午後9時38分に到着。

サビンさんの調べてくれた電車の3本目に間にあいそう。

その電車への待ち時間は7分。

 

下車と同時にゲント行きのプラットフォームナンバーを近くの駅員さんにメモを見せながら聞く。

即答で教えてくれた。ありがたいことです。

階段を駆け下り、ゲント行きの切符を購入するためインフォーメーションへ走る。

すると“チケット売り場(みどりの窓口みたいなところ)でお買い求めを!”と返ってきた。チケット売り場はエレベータの横にあるという。

 

再び、荷物を引き連れてチケット売り場に走る。

カウンターデスクが20ヶほど ずらりと並んでいる。

とても大きなチケット売り場。

 

ただ、時間が遅いので、ほとんどCLOSE。また、乗客もポツポツ。

ところが あわてているため、どうやら国際列車発券カウンターに並んだようで“NEXT DOOR”と。

再び、別のドアを開け(実は、ドアは別でも中はつながっていた。当然、中で移動可能であった)再び、並ぶ。

 

2分前に切符を購入。

思い切りよく、チケット売り場を飛び出したおかげでチケット売り場の隣が乗車番線への階段であることを見落とし、2人でひたすら突っ走る。

はたと立ち止まり、2人で顔を見合わせアタフタと引き返す。

 

すでに30秒前。

娘は“荷物は私が持つ!”と重い荷物を引っさげて階段を一気に上る。

なんて頼りになる娘でしょう。

そして登りきったと同時に2人で電車を見送った。

 

ガックリする間もなく、自力で次の電車の確認をすべく、荷物を持って再び階段を下りる。

モニター(電光表示板の小さいタイプ)をチェック。

サビンさんに連絡をとり20分の待ち時間を確保。22時20分発の電車に乗ることに。

 

一段落後にトイレへ。

娘はここで初めて“トイレでお金を払う”ということを体験。

外国では、トイレは有料。

ブルッセルの駅員さんもインフォーメーションのお姉さんもチケット売り場のおじさんも、みんな丁寧に対応してくださいました。感謝です。

 

22時20分発の電車に乗るときに驚いた。

ブルッセル→ゲント行きの電車のドアは手動であった。

先ほど見送った電車に間に合っても、2人は電車の中に入れなかったかも知れませんね。ドアがあくまで待っていたでしょうから。

 

こちらの地方の電車の切符は、とてもサイズが大きかった。20.5cm×8.3cm。

手のひらには、収まりきらない。所かわればですかね。

 

ブルッセルからゲント行きの電車待ちに“チベット”からきたセーリングさんという女性とお友達になりました。20代後半ぐらいかな?

ベルギーは3年めとのこと。

電車の手動のドアもセーリングさんが開けてくれました。

ゲントまでの40分はあっという間に経過。

おしゃべりしたり、お互いの国の文字で書いたり。

チベットの文字はフワフワとしていて芸術のようだと私は思う。

とても楽しい一時をすごさせていただきました。セーリングさんもゲントで下車。

 

ゲント駅(セント・ピータース駅St.Pieters)には、サビンさん・長女のヘレナさん(19歳)が待っててくれました。

ゲントの駅から家までは歩いて5分でした。

 

夜11時20分、家に到着。

そしてサビンさんの口から出た言葉に驚いた。

“ベルギーにいらっしゃい”と誘ってくれた当のカール氏は7月よりルーマニアに出張中で不在。でも土曜日には帰宅(今日は火曜日)する。

 

ところが来週の木曜日には転勤のため家族全員でルーマニアへ移動する。という。

3年間ほどルーマニアで過ごす。という。

日曜日の夜からブルージュへ移動してね。(カール氏のご両親の家に)。と。

私は絶句。

 

引越しの話は全く聞いていない。

1週間の滞在をお願いしたときの返事メールにはもっと滞在可能だよ!・・・・とあったので10日間にしたいきさつがある。

 

そういえば、6月ごろのメールのやりとりはカール氏。

7月の後半からはサビンさんとであった。

 

そういえばベルギーを旅行の前半にしてね。とコメントがあったけ。

ふと回りを見渡せば引越しの梱包用の白いダンボール箱の山済み。

こんな大変な状況下におじゃましていいの?

もう、日本から来ちゃったけど。

 

布団に入ったのは夜の12時。

えっ?日本時間だと朝の8時!!!!

なんてことでしょう。

今日は26時間営業!

 

“24時間、愛は地球を救う!”を超えてしまったこの時間。

 

私はスケジュールを立てるとき、肝心なことを見落としていた。

そう、日本とヨーロッパでは時差がある。

8時間の時差。昼間が8時間も長かった。

出発前、すっかり時差を忘れ、日本~フランスまでの移動は日本時間で計算、

フランスでは、現地時間で予定を立てていた。

フランスで一泊して体を休めるべきでした。

 

娘が大きくなり、この旅行記を読んだら、怒るだろうなぁ。きっと。

彼女の初めての海外旅行が、こんなアバウトな計画でスタートしたと知ったらね。

さて、さすがに気力、体力ともに疲れました。

さらにテンションの打ち止めのような会話で、今晩寝られるかしら?

 

6年前、当時、中学2年の息子とベルギーに旅行にきたとき、あの時も“ポーランドに3年間、転勤する”って言ってバタバタ業者さんが出入りしていたっけ。

あの時もベルギーに着いてから知った。2泊させてもらったけど・・・・・。

 

 

2日目(8月10日 水曜日)ベルギーのゲント

日本の気温は35度の暑さ。こちらは21度。

なんて私には過ごしやすい気候でしょう。

きもので過ごすにはちょうどよい気候です。 帯は名古屋帯で“お太鼓結び”

 

今日は、午前中は長女のヘレナさん(19歳)にカタカナ講座開講。

途中から長男のヘルマン君(17歳)も合流してトランプ遊び。

大富豪はpresident game。ダウトはliegen(リーヒョン)

ババ抜きはpieken zot veriagen(ピーケン ゾット アンビリヤーヒン)

神経衰弱はmemory。というそうな。

トランプゲームは世界共通なのですね。

そうそう“じゃんけん”はblad steen schaar(ブロッド スティーン シャーラ)。

 

午後は、ヘルマン君の案内でゲント市内の観光。

黄色い車体のトラム(市電とバスの中間みたいな乗り物: 1€ユーロ。)に乗り

駅から5分ほどで旧市街の中心地(観光地)へ。

 

有名な聖バーフ大聖堂のヤン・ファン・アイク作の“神秘の子羊”の宗教画の見学(日本語の無料オーディオあり30分)、古い時代の商人達の富と権力の象徴であったギルドハウスが並ぶグラスレイ(レイエ側を挟んで東側)・コーンレイ(西側)やフランドル伯爵城の周りを散策。

 

因みにベルギーは、童話の“青い鳥”や“フランダースの犬”を生んだ国。

面積は九州よりもやや小さい小国ですが、EU(欧州連合)やNATO(北大西洋条約機構)の本部のある国としてヨーロッパでは重要な国。

 

3日目(8月11日 木曜日)ベルギーのゲント

帯は、体に楽な“半幅帯”。貝の口結びに帯締めの組み合わせで。

 

午前中の前半は、女性陣にてお抹茶教室を開講。

9歳になる二女のユディスちゃんも楽しく茶せんを振りました。

お干菓子は日本から持参した“金平糖”。お星さまの形は好評でした。

 

午前中の後半は、ペンシルバールン講座。得意なオウムを中心に。

午後は、ワッフルを食べに連れて行ってもらいました。

ワッフルは上にかけるものをトッピングして楽しむのですね。

アイスクリーム、生クリーム、チョコレート、粉砂糖なんでも合う。

 

夜の部は、娘がカタカナ講座の講師。生徒は、二女のユディスちゃん。

 

お土産は“半切に篆書(てんしょ)で書かせてもらった子孫百年寶”の掛け軸、扇子2本(百人一首を書かせてもらいました)。ヘレナさんには浴衣と小物一式。

 

4日目(8月12日 金曜日)ベルギーのブルッセル

Tシャツにスニーカでブルッセルの市内観光。

カール氏の両親のアンドレ氏・デニー夫妻とユディスちゃんと“小便小僧→セヴクラースの像→グランプラス→サンミッシェル大聖堂”を散策。

グランプラスは世界遺産に登録されたスクエア形(四角形)のステキな広場です。

 

5日目(8月13日 土曜日)ベルギーのゲント

昨晩、カール氏が帰国。

朝食はにぎやかに5名のロッセイ家と私たち2人。

午前中は“きつけ教室開講”。

前半は、浴衣のきつけ。サビンさん、ヘレナさんは自分で着ました。

後半は、持参の夏のピンクのきものの着せつけ。

外国の方にも、きものは似合う!と私は思いました。とてもステキな女性に変身。

 

午後は娘と2人でゲント市内をブラブラ観光。

ちゃんとトラムに乗れましたよ。

夕方は、サビンさんの末の妹さんヨーさんの家でサビンさんの兄姉妹(1人の兄と2人の姉妹)の家族とガーデンバーベキュパーティにご一緒させていただきました。

思い出深いとても楽しい一時を過ごすことができました。

 

子供たちは、あっという間に友達に。

13歳の娘を先頭に、11歳のロマンちゃん、9歳のユディスちゃん、7歳のビクトル君。

いもの子のようにくっついて遊んでいました。

一人が右へ行けば、その他3名も右に動くのように。

 

6日目(8月14日 日曜日)ゲント

今日は“半幅帯”で蝶々結び。

午前は、オランダ語教室の開講。講師は9歳のユディスちゃん。生徒は私。

単語は絵を書いて、教えてくれます。私には非常にわかりやすい授業でした。

口(舌)の動きもしっかり指導しくれます。

 

オランダ語は巻き舌の連発で、私は最後までマスターできませんでした。

ベルギー滞在中、一番、多く使った言葉は “モメンチェ アルストゥ ヴリーフトゥ(ちょっと待ってください)でした。

 

今回の旅行には、小さな電子辞書を携帯。

残念ながらオランダ語はなく英語⇔日本語。

それでも、料理の食材名の確認や言葉を検索するのに大いに役立ちました。

辞書で言葉の意味を調べるときには“モメンチェ アルストゥ ヴリーフトゥ(ちょっと待ってください)は、本当によく使いました。

講師の9歳のユディスちゃんには感謝です。

 

昼食は、ヘレナさんのアルバイト先の“ピザハウス”へ。

 

夕方からはロッシィ家の転勤のため、自宅で”さよならパーティ”が開催されました。

50名ぐらいのお客様が見えました。

親戚の方、お仕事の関係の方・・・・・・。

カール氏が気を使い、仕事仲間の日本語ペラペラの方を引き合わせてくれました。おかげで、退屈することなく楽しいパーティを経験させていただきました。

 

7日目(8月15日 月曜日)ブルージュ

昨晩、さよならパーティの後、カール氏のご両親と一緒に水の都(運河に囲まれている)のブリュージュにきました。

今日から木曜日まで、こちらでお世話になります。

 

ブリュージュは“天井のない美術館”とも”博物館“とも比喩され、また古い姿をそのまま残している町です。

午前中はブルージュの市内観光!と思ったら、月曜日のため、カリヨン・メムリンク美術館など主な建物はお休み。市内観光バス(1時間:11.50€)で楽しみました。

 

マルクト広場とブルグ広場の間のお土産屋さんで絵葉書を見ていると“名古屋からきた”という50歳後半の殿方に出会う。

う~ん。日本語はよくわかるなぁ。と妙に感心。

十分、日本語をしゃべりつくし、“have a good day”と言って、さよならする自分に笑う。

 

ところでマルクト広場は四方にそれぞれ魅力的な建物を配したヨーロッパでも

5本の指に入る美しい広場。南側にはブルージュのシンボルである鐘楼(しょうろう)、東にはネオゴシック様式の州庁と郵便局、北と西側には切妻屋根のレストラン・土産屋などが並ぶ。

 

今日の昼食は少し遅く2時スタート。

昼食のことをデニーさんは“ディナー”と言う。

確かにとても豪華な食事。おいしいお料理に思わず“lekker(ラックルゥ=おいしい)の連発。野菜サラダは自家菜園。もちろん、無農薬野菜。

 

アンドレ氏・デニーさんへのお土産は“半切に行書(ぎょうしょ)で書かせてもらった鶴舞千年樹亀遊萬歳池”と扇子2本(百人一首を書かせてもらいました)。

抹茶茶碗・茶せん・茶杓です。

 

8日目(8月16日 火曜日)ブルージュ

午前中は菜園でジャムにするとおいしい“ブラックベリー”摘みや胡瓜(きゅうり)みたいなクールシェットや蕗(ふき)のようなルッバールプ(甘い味つけで食卓に並んだ)採りなどであっという間に時間が過ぎる。

 

デニーさんは“まな板”を使わない。

空中で左手の親指にナイフ(包丁)の刃をおしつけて物をカットする。

手前にナイフをすくう感じで。

タマネギのみじん切りも、トマトのスライスも。すごいよね。

昼食は、今日もおいしいミート料理やチキン料理が並ぶ。野菜もたっぷり。

 

午後からは、鐘楼(しょうろうBelfort)へ。大人5€(ユーロ)、子供:無料。

高さ88mの塔へは366段の石のラセン階段で上ります。楽しいですよ。

ちょっと遠足モードです。

47個に鐘が組み込まれたカリヨン(組み鐘)は15分ごとに鳴ります。

 

そしてメムリンク美術館(画家はハンス・メムリンク)へ。

大人8€(ユーロ)、子供:無料。

メムリンク美術館の場所は私にはわかりにくかった。

メムリンク美術館はマルクト広場から5分程度のところにある。のだけれど迷った。Simon Stevin plein通りの表示を見落とし、あらぬ方向にトコトコ歩いてしまった。40分以上は歩いたかな?

娘は、もう観光はいやだ。お土産屋さん巡りがいいと言い始めるし・・・。

 

迷いに迷った最後は、表の入り口には特に表示なしの どこぞの建物にとりあえず入った。受付で尋ねようとしたところ東洋人を発見。

日本語で話しかけると通じた。

生粋の日本人だ。30才台前半の落ち着いた雰囲気の夫婦。

メムリンク美術館に行きたい旨、伝えると“ここ”という。

キョトンとしている間もなく、帰る道順をたたみかけるように確認する自分がいた。そうか、マルクト広場から、やっぱりとても近いのだ。

 

帰りの道順も確認でき、ホッと回りを見渡すと右側の透明ドアの向こうに展示物らしきものが見える。

しかし美術館というイメージの建物からほど遠いように思える。

それは当たりまえかも。もともと建物は病院の跡地なのだから。

メムリンク美術館は“聖ウルトラの聖遺物箱”や“聖ヨハネ祭壇画”の宗教画もさることながら12世紀に創設された聖ヨハネ施療院の一部を美術館に。

病院絵画(?)という色彩も濃厚で、娘は手術風景など(目をくりぬくとか、臓器を取り出すなど)の絵画に目が釘付けになっておりました。

夕方、ブルージュの北7kmほどの所にあるダム(dammeオランダ語ではダンマという発音)までドライブしてくれました。

12世紀には外港として、とても栄えた町だったそうです。

 

帰宅後、デニーさんに“ベルギーワッフル”の作り方を教えてもらう。

アンドレ氏は7~8枚。食べていた。

その様子を見て2人はこれが夕食に違いないと確信し、おいしくお腹いっぱい頂ました。そう、これが夕食でした。

 

日本では、夕食がワッフルなど信じられないよね。おやつの感覚でしょう。

そういえば、関西人は“お好み焼き”が夕食になりますね。

奈良県出身の連れ合いと結婚した当初、夕食が“お好み焼き!”に私は驚いた。

少なくとも愛知県豊川市ではお好み焼きは“おやつ”だもの。

 

午後8時、娘が“トランプゲーム”を提案。

アンドレ氏、デニーさん、娘、私の4人で。

娘のお気に入りのダウトliegen(リーヒョン)をエンエンと。

娘は笑うと止まらない。箸が転がっても笑える年頃か。

それがトランプゲーム中に始まった。

娘の笑い声にデニーさんがつられて笑い “ガッハッハッ”と“オッホッホッ”の輪唱がそれはそれはにぎやかな夜長となりました。

 

9日目(8月17日 水曜日)ブルージュ

午前9時 “ワッフルマシン”を購入するため電化製品屋さんへ。

ワッフルマシン:76€なり。購入できてうれしい私。

宅配は別の場所で手続きをした。航空便28€。

 

午後2時から家で”tea ceremony”。

さよならパーティでもお会いしたカール氏の兄のお嫁さんのカトリーヌさんを含めて4名のお客様。

私とおない歳のカトリーヌさんは“心”で通じるからあなたの言っていることはわかるわよ!と。おかげで、とても楽しい一時でした。

彼女は現在、イタリア語を習得中。週1回。

いくつになってもお勉強ですね。

 

前座は娘が“折り紙教室”を開講。こちらもとても喜ばれました。

 

その後、5時ごろから隣家のマリア夫婦に”tea ceremony”。

 

夕食後、娘のたっての願いで再び4人でトランプ遊び。再びliegen(リーヒョン)。

アンドレ氏とデニーさんの家では、朝8時に朝食、12時にディナー、2時におやつ、午後6時に夕食、午後8時にチョコレート、午後10時に就寝というスタイルでした。

 

アンドレ氏は七ヶ国語を話す。とても真面目な方で、直球タイプ。

よって正しいセンテンス(主語・修飾語・述語・目的語・助動詞)つきで話しかけてくださるので、会話に集中力がいる。

知っている単語を聞き損ねると何を話してくださっているのかさっぱりわからず。よって、私はアンドレ氏が言った言葉を超スローで復唱し、頭の中は大騒ぎ。

フル回転でその意味を日本語に変換する。

 

滞在3日め、アンドレ氏は思うことがあったようで連絡事項は、私に話しかけるのをやめ紙に書いて見せる手法をとり始めました。やはり、きれいなセンテンスで。でも、これは正解でした。

一方、デニーさんは“単語”のみで会話をしてくれる。

昼食よ!2階からおりていらっしゃいね。

は、一言“dinner”という感じ。

わたしには非常にわかりやすかった。

 

(第2部に続く)