ベルギー・スコットランド(イギリス)の旅

                                 上田 光代

 

○1999.8.3(火)~1999.8.21(土)の約3週間、ベルギー・スコットランド(イギリス)へ行ってきました。

 息子と2人で旅行するのは、これが最初で最後の旅行となることでしょう。

さて、今回の目的の一つは、ベルギーのロッセイ家族に8年ぶりに再会すること。とても楽しみです。当時、子供たちは幼稚園の入園前の年頃でした。

 また、外国の一般家庭に触れること。一度音色を聞いたら忘れられないパグパイプのスコットランドを選びました。

期間だけは3週間とリッチですので観光は、1日1つと大変のんびり旅行となりました。

真夏の日本をあとにして初めて体重が増加した夏でもありました。

旅行に一緒にいきましょうよと歳彦氏を誘いましたが「山登りがないからいやだ」とのつれない返事をいただきました。 

淳平14歳、中学2年生。わたし○○歳。

 

詳細は下記のとおりです。

 

1999.8.3(火曜日)

無事、イギリス ヒースロー空港に8月3日

の14:30分に着きました。

名古屋を8月3日の午前10:30に離陸し

約12時間の空の旅。日本との時差は9時間。

1日さかのぼりました。

 

飛行機の手配だけは5月の中旬に名古屋から

の直行便、日本航空を手配。225,000円。

これでも夏のシーズン中では各安チケット。

 

○入国審査

ヒースロー空港に着き、「YES」の一言で終わっ

た入国審査。ターンテーブルから荷物を見つけ

手荷物検査もなく、気がつけばに空港の外へ。

 

○地下鉄に乗る

ヒースロー空港からロンドン市内へは地下鉄で

約1時間。

Underground(=地下鉄)の表示に

従い、動く歩道を乗り継ぎ歩くこと10分

地下鉄のチケット売り場が登場。

ロンドンの地下鉄はロンドン市内を中心にして

4つのゾーンに分かれている。

ヒースロー空港から今日の宿泊先までは、すべてのゾーンをとおる。

今日の夜24時までロンドンの地下鉄乗り放題全ゾーン有効のファミリートラベルカードをチケット売り場で購入。(因みにONE DAYチケットより20%お得)

料金は大人3.6ポンド(約720円)、子供60ペンス(約120円)。

地下鉄はそれぞれ路線が色分けされていて分かりやすい。

 

 

ラッセルスクウェアで下車。

ホテルはここから歩いて5分のどこかにある。

地図の見方が心もとない。がここは、地球、なんとかなるでしょう。

とりあえず、ええいコッチと、5分ほどテクテク歩くとまさかのホテルが登場。うれしい。

ホテルで紅茶を飲み、一休み。ここで3泊します。

 

○郵便局に行く。

日本の官製はがきのイギリスバージョンを購入したかったのですが通じず。

イギリスにはないのかしら?

 

○赤いラインの地下鉄にのり観光客と鳩と真っ赤なバスでいっぱいのピカデリーサーカスへ。

ピカデリーサーカスでさあ、地図をひろげましょう!

と思ったらホテルにおき忘れたようでぶらぶら散歩になりました。

 

ホテルにもどり現在、現地時間で夕方の8時。まだあたりはとっても明るい。

時差の関係で、すでに18時間ぶっつづけに起きて行動しているわたしは、体力の限界。

おやすみなさい。因みに、こちらの夏は10時ぐらいにならないと暗くならない。

 

 

1999.8.4(水曜日)

ゾーン1、2の地下鉄のファミリートラベルカードを購入(3.20ポンド)。

 

 

○お買い物

イギリスでズック靴を購入するのだと言って、ビーチサンダルでイギリスにやってきた淳平。ランニングシューズをピカデリーサーカスのスポーツ専門店「Lillywhites」でゲット。6階建てでテーマごとに階がわかれていました。例えば、5階は馬術専門。4階は山専門。3階はゴルフ専門など。

 

○エジンバラの宿泊の手配をする

日本からエジンバラのB&B(=民宿)に手紙を出したが音信不通となり、宿がとれてないままイギリス入りしています。

ロンドンのHIS旅行社で「エジンバラ」の宿泊を手配。日本語っていいな。伝えたいことがいろんな表現で言える!ここが一番、高い宿泊費となることでしょう。

大人64ポンド(12,000円)。子供32.50ポンド。

8月6日から約3週間。エジンバラは、夏のエジンバラフェスティバルとなり、世界各国から旅行者が集まります。

エジンバラのB&B(=民宿)の現地調達の冒険はやめました。

あと予約が取れていないのはオーバンのみとなりました。

○「美女と野獣(=BEAUTY AND BEAST)」を見る

地下鉄トーテナム駅下車後、目の前の劇場が目に入らず通過。劇場求めてスタスタ歩きました。10分後、一直線に逆戻り。

当日チケットをドミニオンシアター(=劇場)のボックスオフィスで購入。

14:30からミュージカル仕立てにした「美女と野獣(=BEAUTY AND BEAST)」を見る。妙に、コミカルな野獣でちょっとイメージが飛びました。が思わず、真剣にみてしまいました。

 

 

1999.8.5(木曜日)

○大英博物館に行く

ホテルから歩いて5分ほどのところに大英博物館がありました。

略奪のたまものの大英博物館は無料です。館内1時間半ツアーに申し込む。英語ガイドのため、耳が点。途切れるといことを知らないご婦人ガイドの英語の説明を実に2時間も聞くことになり、とっても疲れました。料金は大人7ポンド。ちなみに、大英博物館の正面玄関の出たところに日本語ガイドツアーを見つけました。料金は同じ7ポンド。残念。日本語のイアホーンの貸し出しもしていました。

 

 

○ナショナルギャラリーに行く

大英博物館から歩くこと20分。(一度、迷ってぐるぐるしましたが)ナショナルギャラリーも無料。レンブラントの「水浴する女」、ゴッホの「ひまわり」、ルーベンスの「麦わら帽子の女」、モネ、セザンヌなどを鑑賞。日本にいる時、ナショナルギャラリーの鑑賞本を読みました。作品の背景や画家の生い立ちなど、予備知識があるということはよいことですね。

ナショナルギャラリーは、自分たちのペースでとっても有意義な時間となりました。

 

 

1999.8.6(金曜日)

○ベルギーに移動する。

ベルギーに移動するためロンドン ウォータールー駅に地下鉄で移動。

余裕をもって2時間前に到着。(1時間前からユーロスターのチェックイン手続きはできる)

わぁー大きい駅。

ブリットレイル・フレキシーパス(=イギリスの国鉄がフリーパス)の手続きをしないといけない。どこでするの?駅員さんらしき人が見あたらない。

だれかわたしに教えて!教えてくれた。

インフォーメーションのおねえさんが。おまわりさんが。

10分後にブリットレイル・フレキシーパスの手続きをチケット売り場で完了。ユーロスター乗り場の入り口も確認。テレフォンカードの5ポンドを購入。6ポンド使用可能の表示あり。

テレフォンカードを逆に挿入したり、ベルギーの電話のコール音の違いにしばらく忍耐。

 

○ユーロスター(=国際列車。ロンドン ウォータールー駅→ブルッセル)に乗る。

因みに、ロンドン駅というのはない。ロンドンの8つの駅を総称して呼ぶ。

8つの駅は、行き先により異なります。地下鉄で繋がっていますが要、チェック。

例えば、ユーロスターに乗って、パリやベルギーに行くならウォータールー駅。

ドォーヴァー海峡をフェリーで越えるならヴィクトリア駅。

エジンバラ行きならチャーリングクロス駅などのように。

 

ベルギー行きのユーロスターは何番線かしら?

駅員さんに聞く。が何を言っているのかまったくわからない!

?????うっそー!アトでわかったけれどユーロスター内の放送は英語のあとにフランス語でアナウンス。たぶん、フランス語だったのでしょうね。全然わかんなかったもん。

 

構内のモニターを見ればいいんだ!と気づいてプラットフォームのモニターの表示をチェック。あった。あった。23番線だ。

ところが発車20分前だというのに入場門(=エスカレータで上にあがるのだけれどその入り口)が今だ閉じたまま。15分前に開いた。17号車を探さなくっちゃ。

ここは、どこ?1号車?、次は2号車?えっ?17号車は果てしなく彼方にあるわけ?

なんて長い電車なのでしょう。とりあえず、プラットフォームを荷物を引き連れて走る。

1時間前にチェックインを済ませたあとの、あのたっぷりした余裕の時間はなんだったのでしょう。国境越えするのにね。

やれやれ無事、乗車。

 

○ベルギーに着く

次の停車駅はどこかしら。斜め前の家族連れは下車するのね。などと思いながらウツラウツラと寝る。ブルッセルまでは、あと1時間と思いこんでいるから。フッと我に帰り、隣の夫婦連れの方に確認。「ここはブルッセル」。時計をあわせておくんだった。イギリスとベルギーでは1時間の時差。ばたばたと手荷物をザックに詰め込み車内出口へまっしぐら。

 

○ロッセイーさん、こんにちは!

ブルッセル駅には、ロッセイーさんと末っ子のユディスちゃんが迎えにきてくれました。

ここから家のあるゲントまで車で1時間。こちらの高速道路は無料。なんてウラヤマシイことでしょう。8年ほど前に一度、ベルギーを訪問。ベルギーの建物は、あいかわらずおとぎの国のようだとわたしは思う。

 

○ゲントの散策

中世以来ブルージュのライバルとして歴史に登場する由緒ある町ゲント。現在は、東フランドル地方の中心都市として近代産業都市に変身。聖バーフ寺院(明日、中を見学)→市庁舎→レイエ川沿いに並ぶギルドハウス。→大肉市場や魚市場、フランドル伯居城を歩きました。

 

1999.8.7(土曜日)

○午後から聖バーフ寺院を見学。ゲントの祭壇画、中世のフランドル絵画の傑作「神秘の子羊」を鑑賞。寺院内で日本語のヘッドホーンを貸してくれるのでお勧めです。ファン・アイク(ベルト・ファン・アイクによって着手され1432年、ヤン・ファン・アイクによって完成)の作品でとっても有名。

 

 

 

 

 

○ブルージュへ行く

こちらの昼間も長い。夜10時ぐらいにならないと暗くならない。夕方5時にゲントから車で1時間のブルージュへ行きました。ロッセイさんのご両親の家にご挨拶。8年前はここに泊めていただきました。

今回は、お土産に持っていった百人一首で坊主めくりをみんなでやりました。

 

○メールでやっと日本に連絡。

今回、モバイルコンピューターのジョルナダを持参。

この旅行記も書いています。インターネットに接続するはずでもあったのですがトラブル発生。

送れていません。日本に何度、電話してもつながらない。

上田氏とはあいかわら呼吸があわず。

ということで、ロッセイさんのご両親の家でインターネットメールを借用。とりあえず「トラブルが発生し、メールできない」ことをローマ字で送信。

 

○夕食は、レストランで「ムール貝の白ワイン蒸し」をいただく。

非常に美味。ほんとうにおいしい!しかし、鍋一杯にどーんと一人分で出てきた。

豪快としかいいようがない。2人で一人分の注文をお勧めします。

 

○ベルギー語

ベルギーの主要言語は「フランス語」と「オランダ語」。

ロッセイさんの家族は「オランダ語」。

ヘレナちゃん(11才)とヘルマン君(9才)は、現在、英語を勉強中。8月20日から家族みんなでプラハ、ポーランドに引っ越す。転校後、インターナショナルスクールに通うのだそうです。

ヘルマン君がいつのまにか、わたしたちのベルギー語の先生となり

・難しい→ムールック。

・やさしい→ヒューマクルック。

・太陽→ゾン。

・雨→リヒョン。

・どういたしまして→アブルスト・ブリースト

などなどウインドウショッピングをしながら教えてくれます。今日も夜10:00ぐらいまで明るい。なんて1日が長いのでしょう!

 

1999.8.8(日曜日)

午前中、花のマーケットや鳥のマーケットに行く。10センチぐらいのサメが露天商のような状態で売られいるのにはびっくり。なお、両マーケットには、オーケストラが仮設ステージで生演奏しているのにもびっくりしました。

 

午後からは長女のヘレナちゃんと和紙人形を一緒につくる。

また、奥さんんのサビンさんと浴衣の着付け教室、お抹茶教室をする。

歩くトラディショナル(民芸品?)というところでしょうか?

お抹茶は、子供たちも体験。

抹茶を飲み終えた瞬間、すごい勢いで台所へお水を飲みに走る。

夕方(5時ごろから)ブリュセルに行く。車で1時間。

 

○これが小便小僧!

ベルギーが小便小僧の発祥の地ということをご存知でしょうか。

ケースに入っているわけではなく、街の一角にある。拍子抜けしそうなくらい実物がこれまたちっちゃい!

 

○Bitterを食べる

ビターは袋状態にして好みに合わせてミンチやマシュルームやトマトの中身を詰め込んでホワイトソースなどかけた食べもの。タコスに似てるかな。タコスは中身をいれて巻いて食べるけれど。ビターは日本人の口にもあうと思う。130フラン(約520円)。一つ食べれば、はっきり言って十分。かなりボリュームあり。

 

○ユーロスター乗り場のチェック

手取り、足取り、至り尽くせりのベルギーです。

ゲントから車で1時間もかかるブリュセルまできて明日、ロンドンに移動するための駅構内のルート確認をいっしょにしてくれました。感謝。感謝です。

ベルギーでは3泊しました。墨で書いた自筆の条幅やうちわも気にいっていただけました。

 

1999.8.9(月曜日)

ゲント駅から1つめの駅(ブリュセル)で下車。

昨日の確認ルートどおりにA2番号の階段をおりてユーロスター乗り場へ移動。

こちらの駅や電車は魔か不思議。プラットフォームへは何もチェックなしに入れる。見送者も。

当然、入場券などというお金のいるものはない。さらにベルギーでは電車内での切符のチェックをわたしは体験してない。キセルできちゃうよね。

 

○13時にロンドンに戻る

赤いダブルデッカーに乗り、2時間の市内観光を楽しむ(12ポンド)。

寒かった。カッパを着てたけど寒かった。わたしには、ロンドンの気候は秋の終わりです。

 

 

○SLEEPING CAR(寝台車:電車)に乗る

夜、ロンドン ユーロ駅21:30発→インバネス翌日8:27着予定。

発車時間30分ほど前にやっとモニターに番線が表示。プラットフォーム15番。乗客の人にとりあえず確認。「これはインバネス行きですか?」と。発車のアナウンスもなく時間になるとするすると動き出した。しばらくすると車掌さんが、翌日の朝食の飲み物は、紅茶がいいかコーヒーがいいのか聞きにきました。飛行機と違い、横になって寝ることができてうれしい!

こちらの寝台車は、2人用で鍵がかかる。日本の寝台特急に比べるとまったく安全。

タオルあり、歯磨きセットあり、ミネラルウォータあり、朝食のサービスあり。と料金が高い分、快適です。寝台料金は6,700円(乗車運賃は別だよ)

 

 

 

 

 

1999.8.10(火曜日)

海鳥がカアカアとお出迎えしてくれたインバネス駅。寒い!寒い!私には冬だ。

手袋を出しましょうとザックに顔を突っ込んでいたら「ハロー マイ ネーム イズ パメラ」と頭の上から声がした。見上げると恰幅の非常によいご婦人とキャシャなご婦人(パメラさんのB&Bで休暇を楽しむドイツ人)と黒い犬が一匹。日本から手紙で予約をいれておいたB&Bの人でした。でも何故?今いるの?ピックアップの時間は夕方6時の筈!

 

何故?と首をかしげる間もなく気がつけば車の中。朝、早いからとりあえず、自宅でお茶にしましょうと言う。自宅までは10分で着くという。

「ウエイト。ウエイト(=待って。待って。)」私は、3つのことを朝するんです。

1つ目、インバネスのインフォメーションセンター(町営?市営?国営?の旅行会社みたいな施設。イギリスのどこの市にも必ず1箇所はある。旅行に関すること宿泊、ツアーの申し込みなどなんでもやってくれる。旅行者にとっては心強いインフォーメーションセンターなのです)に本日の10:30からのネッシーツアーの料金を支払うこと。(日本から手紙で申し込んだ)。

後でわかったけれどインバネスのインフォメーションに出した私の手紙はここに届かず、ここから歩いて3分のJARVIS CALEDONIAN HOTELで処理されていた。

そしてそこのレセプション マネージャーのLouise Deacon(女の人だった)が、わたしにインバネスの宿泊リストやスカイ島行きのタイムテーブルを送ってくれました。

また日本語がちょっとわかるガイドのネッシーツアーに予約もしてくれました。

2回に渡り、手紙でやりとり。

何故、インフォメーションセンターの届かず、民間のホテルのマネージャが処理してくれたのかなりゆきがよくわからないけれど私は感謝。感謝。

 

2つ目。これからスコットランドを電車で移動するにあたり、座席予約をとるのです。

4時間から5時間の移動を立ちっぱなしはいやですものね。

席の予約をするのは大きいロンドンのような駅よりも小さな駅のほうが込んでいなくてとてもスムーズ。翌日、手配してわかりました。座席指定料金はすべて無料。

日本では350円いりますよね。(国府駅→名古屋駅間で)

座席指定は以下4個所。

・8/12インバネスdep.8:47→カイル・オブ・ロカルッシュarr.11:13

・8/15グラスゴーdep.12:40→オーバンarr.15:39

・8/17オーバンdep.8:10→エジンバラarr.12:20

・8/19エジンバラdep.11:00→ロンドンarr.15:43

 

バスは、切符の手配が必要。2箇所。

・8/12カイル・オブ・ロカルッシュdep.12:10→スカイarr.13:15

・8/14スカイdep.12:40→グラスゴーarr.14:30

 

となんとか喋っている間にパメラ家に到着。

ん?

孔雀?、孔雀が庭を走っている!本物だ!それも1羽、2羽じゃない!

ガチョウが何十羽もいるいる!あれは鴨?!チャボもいるいる!

マザーグースの世界のようだというと聞こえはいいけれど、まるでふれあい動物園のよう。

 

 

さらにやたら賢い犬が5匹。首輪もなく放し飼い。家の中、ソファーの上、車の中、人間と同じ扱いだ。「ゴー・アウト」と言われて、あっー!外に出ていった。

なんと犬なのに英語を理解してる。英語がわかることを素直にうらやましいと思う。

10:15分ミセスパメラの家をでる。予定より5分遅れだ。

10:25ミセスパメラが銀行によるという「ツー・ミニッツ(=2分)」。何故かわたしもトラベラーズチェックを現金化する。そのまま20ポンド札が帰ってきた。手数料はいらないのかしら?うーん。こんなことしててツアーに間にあうのかしら。

 

街を把握する前にパメラさんにピックアップしてもらったため、自分がどこにいるのかまったく把握できず。

 

今日は、10:30スタートで4:30までの「ゴートン社のミニバスツアー」に参加し、ネッシーを見に行く。時間ぎりぎりの10:27分にインバネスのインフォメーションに着く。

とにかくツアーのお金を支払う。大人12ポンド(2、400円)。子供9ポンド。

出発場所はありがたいことにインフォメーションの外玄関。

 

ミニバスに乗りこむ時、パメラさんが「ランチ」と言って袋をくれた。

パンやジュースやりんごやみかんが入っている。このツアーは食事こみでないの?

 

ミニバスツアーは14人ほどのグループ。ワゴン車にギュウと詰めこまれ出発。

庭園?で輪になり、みんなで自己紹介→イチゴ摘み、ブルーベリー摘み→ネス湖をクルージング(ネッシーはいるかな!)→アーカート城の横を歩く→ヘザー(紫の花。種類は3つ。かわいく鈴のようになるのもある。このツアーで現物を手に取りながら教えてもらいました。)の丘をピクニック→おわり。こういうミニバスツアーは絶対お勧めと思う。

ツアーが終わるころには国を超えて老若男女わきあいあいに。

ドイツ3人、オーストリア2人、中国2人、イギリス2人、香港3人、日本がわたしたち2人。

とても楽しい1日となりました。パメラさんのおかげで昼食も助かりました。

 

きっかり4時30分にパメラさんのお迎え。

みんなとなごり惜しむ時間もそこそこに、インバネスの街をうろうろすることもなくピックアップされるのは、妙に寂しい気がするのは贅沢でしょうか。効率は非常によい!夕方、駅で電車の座席指定をとる。

 

○夕食は「スコティッシュ・サモーン」

パメラさんのB&Bにはドイツ人の親子(お母さんと12才の娘)とフィンランドのハイジ嬢が宿をとっていました。因みにハイジは金髪の高校生?ぐらいの美人タイプの女の子。

でもニッコリしないんだな。全然これが。食事中も無表情。

彼女が帰った後、パメラさんいわく「ストレンジ ガール」と。

 

ミセスパメラのご主人ブライアン氏は明日、帰るハイジのためにとタータンチェックの衣装(スカートみたいなのも!)を着てサービス。ドイツ人の12才のニーナは、8月22日から2週間、1人でパメラさんの家で過ごす。英語の勉強をかねて。

 

○パメラさん、食事のマナーや握手の仕方を淳平に教える

・食事中は周りに気つかうこと。自分だけパクパク食べない。

相手の食事の状態をみて

・「メイ アイ ギブ ユー サム ジュース?」と言って聞くこと。

また食事中など食物をもらう時・断るときの表現として

・「イエス プリーズ」、「ノー サンキュー」。

また食事を終えたら

・「サンキュー フォー ディナー

(サンキュー フォー ブレックファースト)」と。

を正しいイントネーションで言えるまでレッスン。このあとの旅行でどれほど自然に口からでてきたことでしょう。レストランでも他のお宿でも。

 

 

1999.8.11(水曜日)

今日はフリーといったらパメラさんが個人ツアーをしてくれました。

カローディン古戦場(ビデオ20分:日本語での説明あり)→キルト工場の見学→ネス湖→インバネス城→インバネス博物館→CALEDONIAN HOTELへお礼の挨拶(自筆の習字のうちわ持参)→

バスステーション→とっても大きいお店(日本では、市場かな?)で食料の買いだし→鳥の飼料の買いだし→おわり。

パメラさんは車を降りる前に時間を切る。

「ツエンティー・ミニッツ(=20分)」。「テン・ミニッツ(=10分)」。と効率はよい。

2日間、パメラさんペースで忙しかった。が、とっても楽しいインバネスとなりました。

「エネルギシュなインバネス」でした。

大人、夕食付きで26.50ポンド(5,300円)。送迎あり。無料の見学ツアーあり。食事マナーの研修付きというところでしょうか。2泊した。

 

 

1999.8.12(木曜日)

イギリスでは、数あるスコットランドの秘境中でも最も美しいというスカイ島へ。スチュアート家のボニ―・プリンス・チャリーがイギリス王位継承を争ってあえなく敗れた時、マクドナルド家の美貌のフローラ姫がスカイ島に王子をかくまったというエピソードを持つ島。

スカイ島は深い紺色の海に包まれ、湖と緑の丘(=木のない高い山)が果てしなく続く島。

木のない緑色した高い山々というのは不思議な感覚です。そして羊たち。風景にとめこむような空でした。イギリスの中でも1番景色の美しいと言われている鉄道とバスのルートを利用し、スカイ島へ。インバネスから電車で3時間でカイル・オブ・ロカルッシュへ着きました。

バスに乗り変えること1時間で目的のスカイ島へ。

カイル・オブ・ロカルッシュでバスに乗る時、バスステーションを探す。

「スカイ・ハイ・ウェイ社」の水色のバスが1台、駅の横に停車していたので聞く。

ターンレフトだのツーロウドなどと言って教えてくれた。

確かに、次の角を左に曲がり、2本目の道路を曲がるとバスステーションが登場。

鉄道駅とバスステーション、そしてインフォメーションは歩いて5分以内の近距離にあった。

良かった。良かった。すぐ見つかって。

 

予定時間より30分送れて「シティ・リンク社」の橙色のバスが登場。バスの運転手さんは若い女性でした。20才前半だと思う。朝、7時発グラスゴーからの長距離バス。時間も狂ってくるでしょう。

 

電車から見える風景、バスから見える風景。青い湖、緑の丘が見える眺めは、とても素敵でした。14:00にスカイ島のポートリーに到着。なにはともあれスカイ島のインフォメーションへ。「マップ。プリーズ」。地図を無料でもらい宿泊先の場所を教えてもらう。

 

ゲストハウスの窓からみる風景はまるで一枚の絵のよう。目の前は入り江。両腕を大きく広げたような入り江の中におもちゃのように小船が点在。白色の小船、青色の小船、橙色の小船、無数の小船が海にばらまかれいます。潮の満ち引きとともに少しずつ風景がかわりました。

 

宿泊料金は一泊朝食付きで19ポンド(日本円で約3,800円)。

大人も子供も同料金。ここでも2泊。

 

窓の外を見ながらミルクたっぷりの紅茶と届けられた甘いお菓子をほおばって、まずは一休み。

 

夕食はゲストハウスのママのお勧めのレストランへ。スタータは「Skay Gaelic Rose(4.95ポンド)。メロンが薄くスライスされ、バラの花の形になって出てきた。片手ぐらいの大きさ」。スタータだけで結構ボリュームがあると思っていたら以外や以外でデザートのようなスタータでした。「おなかペコペコ」の不満の声にあらためて注文。

メインメニューは「Brandan Alba(13.95ポンド)お魚料理。サーモンが5センチぐらいの厚さでドーンと出てきました,Higland Connection(15.95ポンド。お肉料理)を淳平は注文。非常に量が多い!

 

翌日の朝食も窓際を用意していただき、小船が浮かぶ入り江の風景画が掛けられていると見まごうばかりの外を眺めながら食事をさせていただきました。

 

今日は、ゲストハウスのママのお勧めのでダンヴェガン城、ウエストスカイめぐりのバスツアーに参加。因みにダンヴェガン城の各部屋には、日本語の解説シートがありました。

 

○スカイ島~エアへバスで移動

朝、歩いて5分という超、近距離のバスステーションにご主人が車で送ってくれました。

気がついた時には荷物は車の中に運び込まれており、乗りましょうと。ありがたいことです。

 

ポートリーのバスステーションで朝、8:00発、「NO915の「シティ・リンク社」のバスを待つこと10分。6時間でグラスゴーまで一気に南下します。同業者の「スカイ・ハイウェイ社」の水色のバスはすでに待機。8:00はとうに過ぎていいるのに、わたしの乗るバスはまだ来ない。今回は始発だから遅れる要因はないと思うのだけれど。

 

余裕で待っていると2日前、スカイ島に到着時にバスから荷物を下ろすのを手伝ってくれたポートリーのバスの運転者さんが「チケットを見せて」と言う。見せると「スカイ・ハイウェイ社」のバスに私の荷物をすごい勢いで運び込んだ。怪訝なまま人間もバスの中へ。すぐバスは発車。

 

1時間後、カイル・オブ・ロカルシュで休憩。バスを降りてバスのフロントガラスの行き表示をみて驚いた。「NO.915。・シティリンク社、グラスゴー行き」と表示あり。じゃぁ、この水色のバスにデカデカと書いてある「スカイ・ハイウェイ社」の表示は何なの?

わたしには、しくみがよくわからない。(名鉄と近鉄が手を組んでいるといことなのかしら?)

よくわからないけど乗車できて良かった。良かった。バスは1日3本しかない。

 

カイル・オブ・ロカルッシュから5分ほどしてスコットランドの古城の写真には必ず登場する湖上の可愛らしいお城のアイリーン・ドナーン城が見えました。

その後の風景はハイランドの言葉どおりでしょう。木も育たない不毛の地なのでしょうか、背丈の低い緑の草で覆われた高い山々が果てしなく続きます。時おり、海岸線や湖が見え隠れします。お天気はめまぐるしく変わります。晴れていたと思ったら雨がバスの窓を叩きつけます。バスの速度は変わらず。結構、飛ばして走っています。今日の運転手さんは、30才前半ぐらいの男性です。天気は、しばらくすると雲りになり、また晴れましたという具合。

 

 

1999.8.14(土曜日)、1999.8.15(日曜日)

○エア(ARY)に到着

日本のガイドブック「地球の歩き方」には掲載されていない場所です。

町全体がとてもきれいで、高い建物もなく、羊さんもいてよいところです。

 

スカイ島のポートリーーからバスで揺られること6時間。エア(ARY)に到着しました。

大人18ポンド。子供12ポンドと60ペンス(日本円で合計約6,120円)。

エア(ARY)では、アランのお姉さんのジーンさん一家にお世話になりました。1泊の予定

がご好意に甘えて2泊させていただきました。(実は、宿が取れていない日でしたの、躊躇

することなく首を縦に振ってしまいました)。2泊。

 

翌日は、ジーンさん、ご主人のモーダック氏、大学生でわたしは見上げてしまった19才の

コーリン君が一緒に観光に連れていってくれました。

 カールザン城の広場での「バグパイプの演奏やスコットランドの踊り」の鑑賞。ジーン

さんの計らいでスコットランドの踊りの一般参加をさせてもらいました。とても素敵な思

いでになりました。→カールザン城内部の見学(各、部屋に日本語の解説シートあり)→詩人の「ロバート・バーン」のコテージの見学→ホテルで夕食。ここから高校生でゴルフが得意な16才のイアン君も合流。夕食はコーリンク君と同じスタータにしたのはよいがすっごいボリューム。スタータでおなか一杯になった淳平君。メインメニューを食べるの苦しみました。

わたしは、スタータをスープにしておいて良かった。良かった。メインメニューも気をつけて魚に。ちゃんと全部食べましたよ。

 

コーリン君はパソコン通。自分で部品を組み合わせてパソコンを製作。わたしの「ジョルナダ」も何故、メールできなのか原因、チェック。

ここで原因の1つに「イギリスの電話回線の変換機」が故障してしまっていること。また、接続の自動ダイヤルの電話番号が違うことがわかりました。解除して手動で正しい電話番号をいれること。コーリン君からジョルナダの日本語の表示を英語表示にしようの問いにダルマになった私です。

 

また、こんなところでデータベースソフトの「アクセス」を教えてもらってしまいました。住所録をアクセスで作っておきワードと連動させるとレター作成がとっても効率がよいよと即興でデモまで作ってくれました。

 

さらに時計の読み方も。PAST、TO。

確か中学2年生ぐらいで習ったような気がする。みんな、覚えてます?

9時10分は、ナイン パースト テン。9時50分は、テン ツゥ― テン。

このあとバスツアー参加時やミュージカルのチケット購入時にとっても役にたちました。

 

ジーンさんちでもお抹茶教室、折り紙教室開講。浴衣に非常に興味をもたれました。どうやって荷物の中に入れイギリスまで持ってきたのかも含めて。また、墨でかいた自筆の条幅やうちわは好評でした。

 

 

1999.8.15(月曜日)

B&Bから「満室」ですと日本に手紙をもらっていたオーバンへ。

 

ところでグラスゴーもグラスゴー駅というのはない。グラスゴー・セントラル駅とクイーン・ストーリート駅を総称している。この2つの駅は徒歩15分ほどの距離がある。

ジーンさんはお仕事の日にもかかわらずエア駅から1時間もかかる(往復2時間)グラスゴーの駅まで一緒にきてくださいました。おかげて最短ルートで駅間の移動は完了。ありがとうございます。

なのに乗ろうととしていた電車がない!トーマスクックの時刻表で日曜のみの運行とウイークデイの運行など表示を見落としていたことが判明。

次の電車ではオーバン着は夕方。夕方、空き室のB&B探しは心もとない。

ここでジーンさんにB&Bの予約と電車の座席指定をとっていただけました。感謝です。

 

イギリスの駅の窓口は長く並ぶ。ホントこれが時間かかる。

もっと早く処理せんかい!といいたくなるほど。

地下鉄の窓口の人は、ガムをクチャクチャ噛みながら、紅茶をのみながら、、、。という人もいた。のどかなのか、そういうものなのか、わたしにはわからない。

 

3時間ほどグラスゴーで時間ができたので「グラスゴー市内観光80分バス」に乗車。日本語のイヤホンサービスはなし。大人4ポンドとロンドンの3分の1の料金でした。

 

ジーンさんのおかげで宿の心配をすることもな、また電車を乗り違えることもなくグラスゴーのクイーン・ストーリート駅からウエスト・ハイランド鉄道に揺られて3時間。途中、美しい峡谷や湖、荒野の風景が楽しみながらオーバンへ。

実はグラスゴー駅から同じホームで同じ時刻にフォート・ウィリアム行きが発車でした。途中で電車の連結がはずされるのでしょうね。

グラスゴーを出たときは4両でしたがオーバンに着いたときは2両でしたもの。

 

到着したら、まずはインフォーメションへ。こっちの方角かな?とどきどきししながら荷物を引きずり移動。インフォーメションへで無料で地図をもらい、B&Bの場所を教えてもらう。地図はこのあとの散策には必需品。

 

オーバンは西部スコットランドで最も大きな港。町の銀行家が失業対策のために建築を開始し、未完成のローマ風の「コロセアム」が町のどこからでも見える。

「コロセアム」まで散策→夕食はB&Bのママおすすめのレストランへ。

あいかわらず夜がこない。8時ごろ雨が降ってきたので宿へ戻る。ここは1泊。

 

1999.8.17(火曜日)

オーバンからエジンバラの移動の電車の中で4人の子供たちと折り紙をおる。ツル、風船、シャツなど。もう2度とあうこともないと思うと出合いって不思議。

 

エジンバラでもさっそくインフォーメションへ。駅からほんとにすぐのところにある。

歩いて30秒かな。ホテルと「ミリタリ・タトウー」のチケット売り場の場所を教えてもらう。

 

さて、エジンバラの目的は、「ミリタリ・タトウー」。

ところが当日チケットも明日のチケットもないとのこと。

「ミリタリ・タトウー」は、エジンバラ城の広場で、総勢200名にのぼるタータンチェックを着た奏者によるパグパイプの演奏を含め、1時間半にわたり繰り広げられる野外コンサートみたいなもの。最後はソロの奏者のパグパイプの音色がエジンバラ城のお城の一角から響きます。もの悲しくホーとなっている まさにその時、花火がダダ―んと夜の空を彩ります。

今、すっごい人気となり、「ミリタリ・タトウー」をみるためだけにエジンバラにくる人もいるのだそうです。

買いたい人あれば売りたい人もいるのですね。なんと正規の値段で、それも正面席のチケットを購入できました。19ポンド。日本人の親子連れから買いました。父親と子供1人がこれなくなり、隣に座るのは日本人がよいとチケット売り場の玄関外で待っててくれてました。

 

1999.8.18(水曜日)

エジンバラ城の見学→エジンバラ市内観光、1日乗り放題バスに乗車。日本語のイヤホーンあり。宿泊は「オールド ・ウエヴァリーホテル」。駅の目の前にありました。

新婚旅行の宿泊先にもお勧めできちゃう素敵なホテルでした。

窓からはエジンバラ城がみえます。夜は青やオレンジのライトに映し出されたエジンバラ城。「ミリタリ・タトウー」の花火もみれました。朝食はバイキング。素敵なホテルで2泊した。

 

1999.8.19(木曜日)

エジンバラからロンドンへ移動。

電車の中で向かい合わせに座った真っ赤なウールのジャケットを着た50代ぐらいのご婦人に折紙で動くツルをプレゼント。ピースのような飴をもらいました。

 

○「キャッツ」を見る

この日の夜は当日チケットを購入し、観客席と一体となってのミュージカル「キャッツ」を見ました。メモリの曲がとても悲しく響きました。1人30ポンド。(日本円で6000円)。一番高い席が35ポンドでした。

 

 

 

 

1999.8.20(金曜日)最終日

日本人ガイドによるロンドン ウォーキングツアー「メアリーポピンズのロンドン」2時間コースに参加(10時~12時)。大人17ポンド。子供9ポンド。メアリーポピンズの関連のツアーと思いきやメアリーポピンズにゆかりのあるのは1箇所だけでアララでした。

が参加メンバーは4人。ツアー終了後、そのうちのお一人、ここハムステッドにご主人が海外勤務でこられている飯島さんのおうちに伺い、なんと4時までおもいっきり、おしゃべりタイムとなりました。久しぶりの日本茶とおかきをいただき目がうるみました。

 

ハムステッド駅でロンドン行きの地下鉄を間違え、どんどん郊外へ移動していった時は一瞬、ドキッとしました。本数の多い地下鉄ではご愛嬌でしょうか。

ロンドンの中心地も、地下鉄は地下を走る。でもわたしの見ている風景は地上。それもどんどんのどかになっていく。郊外行きは3駅ぐらいづつ通過しちゃう。地下鉄の止まる駅がグーと減る。夕方、6時にはヒ―スロー空港着予定だったのに、5時の時点でロンドン郊外でここはどこ?でした。

 

 

○ここはヒースロー空港。なのに飛行機が遠い!

ヒースロー空港に着き、飛行機の座席をとるため空港内の表示とおり「日本航空のDゾーン」に並ぶ。不思議なことに並んでいる列に日本人が見当たらない。日本航空でもそういうことがあるのかと妙に納得しては見たもののやはり、これはおかしい!そういえば受け付けカウンターの会社のマークも日本航空のとは、ちょっと違う。この列じゃない!

探さねば。飛行場にきているのに、このままでは日本に帰れない!

ウネウネと蛇列となった大きな体の外国人の列をかき分け、とりあえず列の最後尾へ戻る。

あたりを見回すと同じDゾーンの左側前方に日本航空のマークの受け付けカウンターを発見。改めて並ぶ。窓際の席も取れ、重いザックも預け、ホッと一息。

 

形ばかりの出国審査を受け、免税店でお買い物タイム。お土産用のトーサムメイソンの紅茶を買う。ニッコリ。小銭はすべて、こちらのガムや駄菓子に交換。ちょっとしたお土産になり、これはお勧めです。飛行機の出発のアナウンスが流れたのでゲートへ。

 

ところがゲートの入り口が見当たらない。右へ進むとどこかのデパートの入り口に突入。

左へ行くと免税店を通り抜けゲームセンターに突き当たる。地図を見てもよくわからない。

うーん空港にいるのに飛行機が遠い。こういう時に限って空港の係員が見当たらない。

このままではマズイ。

フト見上げると空港内の掃除のおじさんのような、でも道具を持っていないなぁという状態の手持ち無沙汰のおじさん係員を見つけた。

近寄って話しかけるとパスポートを見せろという。係員は、“OK”と言って遠目からではドアと気づかないドアを開けてくれた。と突然、ゲートへの通路に出た。トーゼン走る。ゲート26に向かって走る。すでに待合室は空っぽ。再び飛行機連絡通路を目指して走る。

 

あのドアは正規のゲートへの出口だったのか裏口だったのでしょうか?

 

 

 

 

1999.8.21(土曜日)

ブロイラーのように飛行機の中で機内食をいただく。

日本茶のおかわりを何回したことでしょう。

無事、名古屋空港着。ひとり拍手する。            おわり