新学年を迎えて、学校で新しい教科書が配られると思います。でも、多くのひとにとって、教科書ってただ読んでもあんまり面白く感じませんよね。

 

なんで教科なんて概念があるんだ?という問題は今日はおいておきますけれど、それぞれの教科に含まれる要素の中から現代の子どもたちに学ばせるべきものを取捨選択して究極にまで濃縮したものが教科書です。

 

たとえば、遺伝の原理を学ぶときに欠かせないメンデルの法則なんて生物の教科書ではちょっとの紙幅で説明されていますが、もともと農家の出身だったメンデルが修道院の畑でエンドウマメを育ててあの法則を発見するまでには八年の月日が必要でした。

 

人類史上まれに見る天才がそれだけの年月をかけてようやく知ったことを、現代の私たちは、教科書をめくるだけでたった数分で知ることができてしまいます。教科書では、歴史を織りなした人々の血と汗と涙がきれいに脱水・漂白されています。

 

まるでフリーズドライされた食品です。教科書をそのまま読んでも面白く感じられないのは当然なんです。だって、フリーズドライの食品をそのままボリボリかじってもおいしくないでしょ。そこにお湯をかけて、みずみずしさを取り戻すのが先生の役割です。

 

子どもたちは、それが何百年も前につくられたものであることを意識せず、その味わいをありありと追体験する。それが本来の学校です。

 

先生たちというのはもともとは各担当教科の魅力を誰よりも知っている人ですから、一日六時間、先生たちの熱弁を聞いているだけで、それを中高六年間も続ければ、相当な教養が身につくはずです。自分の好きなことを学ぶってものすごい喜びなんだなと、心が動くはずです。

 

心が動けばいいんです。教科書の全ページをおしなべて教えるんじゃなくて、たとえばフランス革命が好きな先生ならフランス革命のところばっかりにお湯をかけて、独自の味付けをして、生徒に感動してもらえば、あとは「この調子でほかのページも行間を想像しながら読んでみてね」と言って生徒に任せてもいいんです。そのほうが授業は絶対楽しいですよね。

 

そういう先生に「ここの行間をもっと詳しく知りたいです」って質問すれば、喜んで教えてくれます。教科書に書いてあることをなぞったってしょうがないんです。行間を埋めていくのが先生の仕事なんです。

 

でも、生徒にテストでいい点をとらせることが自分の役割だと勘違いしている先生が多いのも事実です。

 

テストは基本的に教科書に書いてあることからしか出ませんから、テストで点数をとらせたい先生はフリーズドライのまま生徒たちに教科を食べさせます。おいしくもなんともありません。だから授業がつまらないのです。

 

「わかりやすい授業」というのはあるのですが、それって単にフリーズドライ食品をそのままできるだけ効率よく食べさせる工夫がされているだけで、心は動きません。だからいくらわかりやすくても退屈なんです。テストに出ることだけを覚えたらそれ以上は学ばなくていいや、という気持ちにさせる効果は抜群です。

 

新学年。もし授業が退屈だなあと感じたら、「自分ならこの教科書を使ってどんな授業を組み立てるか」を考えながら授業を受けると、ちょっとは楽しくなるかもしれませんよ。

 

それでも「学校つまんねえぞ」と感じたら、ぜひ私の『学校に染まるな!』という本を読んでみてください。学校との上手な折り合いの付け方が分かるんじゃないかと思います。

 

※2024年4月4日のFMラジオJFN系列「OH! HAPPY MORNING」でお話しした内容です。