リュウグウノツカイ

 

 

深海魚っていっても、今回お話しするのは、アンコウとかりリュウグウノツカイみたいなお魚のことではなくて、中学受験のいわば隠語みたいなものです。

 

中学受験をしてせっかく“いい学校”に入ったのに、成績が振るわず学年最下位に甘んじ続ける状態を俗に深海魚と呼ぶことがあるんです。

 

あんまりいい言葉ではないので、私自身はあまり使いませんが、中学受験業界ではよく聞く言葉です。

 

それで、「下手に高いレベルの学校に合格して深海魚になるよりも、ワンランク下の学校で上位にいたほうがいいですよね」みたいな相談を受けることがあるんですが、それは考えすぎだと思います。わが子よりも下にほかの子どもたちがいてくれることを願って環境を選ぶというのもそれはそれでなんか違うだろうと思います。

 

仮に中学入試でギリギリで合格したとしても、入試を突破している時点で、その学校でやっていくのに十分な学力があることは証明されているんです。そうじゃなかったら学校だって合格を出しません。

 

毎年、補欠や繰り上がり合格で進学する受験生もたくさんいますが、そういう生徒であっても入学後は楽しくやっています。入学後もずっとビリってこともありません。その点はほんとに心配しなくていいです。

 

入学後、どうにも学校のレベルについていけないということがもしあるとすれば、中学受験勉強で受験テクニック的なことを詰め込まれて、見せかけの得点力だけで合格してしまったケースです。だから、まわりの大人があの手この手で得点力をむりやり上げるような指導はしないほうがいいと常々訴えているのです。

 

テストをすればトップからビリまで順位はつくわけですけれど、そもそも最難関といわれるような学校では、少なくとも中学生のうちは成績順を発表しないケースのほうが多いので、せっかく“いい学校”に合格できたのなら、深海魚になることなんてあんまり心配しないほうがいいです。

 

もし仮にわが子が進学先のクラスでビリをとってきたら、「優秀な友達に囲まれているのはラッキーだぞ。ずっと仲良くできればずっと助けてもらえるぞ。そのかわり何か君の得意なことでお友だちを助けてやれるといいね」などとのんきなことをいっておけばいいのです。クラスでビリでも本人が元気なら問題ないんです。

 

でも、まわりの大人が「ビリじゃダメじゃないか!」などと否定すると、子どもは傷つきます。それで奮起する場合もあるでしょうけれど、自信をなくしてしまうと、頑張れなくなって、ますますビリに甘んじます。こうなるケースが危険です。成績がビリであることよりも、気力を失ってしまうことが問題です。

 

子どもは内心、「成績が悪いと、両親は自分を愛してくれないのか」と感じて不安になります。すると、まったくの無意識でさらに悪い成績ととってきて、「こんな成績でも僕を私を愛してくれますか?」と親に問います。ある種の試し行動です。

 

そこで親が「こんな成績をとってくるなんてうちの子じゃありません!」的なリアクションをしてしまうと、試し行動をエスカレートさせ、これまたまったくの無意識で“いい学校”の生徒であることすらやめてしまうことがあります。つまり退学の道に向かってしまうのです。

 

親に対して、「いままであなたたちの期待に応えて、中学受験も頑張って、望みの学校に合格してきたけれど、もし僕が私が期待に応えられなくても、ありのままの自分を愛してくれますか?」と問うているのです。

 

あなたがあなたらしくしあわせでいてくれれば、どんな学校に通っていようと、どんな成績をとってこようとかまわないと、親が心底思えると、子どもは自信を取り戻します。そういう話を、私は錚々たる名門校の先生たちから、あるいは当事者の生徒から、たくさん聞きました。

 

受験シーズン。深海魚になることは怖れなくていいです。それは、深海魚にならないから大丈夫という話ではなくて、仮に深海魚になったとしても、まわりの大人がそれを過度に気にせずに、本人が元気なら大丈夫ということです。

 

 

※2024年1月25日のFMラジオJFN系列「OH! HAPPY MORNING」でお話しした内容です。