家庭の事情で塾に通えない子どもたちにボランティアで勉強を教える活動を「無料塾」と呼びます。いま全国にできています。子ども食堂の勉強版だといえばイメージしやすいかもしれません。

 

12月15日に集英社から『ルポ無料塾』という本が出ます。私が個人的に長年お付き合いしている無料塾のほか、いくつかの無料塾を取材して書きました。

 

高校生から、大学の先生、現役を引退した元高校教師など、さまざまなひとが無料塾のスタッフとして集まっています。家庭の事情で塾に通えず、特に高校受験において不利な立場に置かれている子どもたちをサポートします。

 

とてもいい話ですよね。でも、これ、単なる美談で終わらせてはいけないと思うのです。無料塾が存在するということは、この社会が、塾がなければ土俵に上がることすらできない過酷な競争を強いる格差社会であることの証だからです。

 

前提には教育格差の問題があります。教育格差とは、本人にはどうにもできない「生まれ」によって子どもの学力や最終学歴に差が生まれる傾向のことをいいます。親が高学歴で、社会的地位が高く、収入も高い家の子どもは、高い学力や学歴を得やすいという傾向です。

 

では、全国に隈なく無料塾ができたら、教育格差はなくなるのか。学力差がなくせるかという意味ではありません。教育機会の平等が実現したら、「生まれ」と学力・学歴の相関が打ち消せるのかという意味です。

 

残念ながら、学習支援だけではどうやら格差は埋まらないという研究結果があります。家にどれだけ本があるかとか、普段家族でどんな会話をしているかとか、いわゆる家庭の文化資本の違いが影響しているという説もあります。が、どうやら遺伝も大いに影響しているようなのです。

 

つい先日、行動遺伝学の研究者と対談をさせてもらい、明日、それが東洋経済オンラインという媒体で記事として配信される予定なのですが、その先生によれば、子どもの学業成績に関わる違いのうち、約50%は遺伝的要因で説明が可能で、家庭環境などの環境要因が約30%で、残りの約20%が偶然や本人の選択で変えられることなのだそうです。

 

「遺伝で説明できる」というのは、「親に似る」という意味ではないことに注意が必要なのですが、ここでその説明は割愛します。明日公開の東洋経済オンラインの記事をご覧ください。

 

だから、無料塾を増やしたり、塾クーポンを配ったりして教育機会の平等を実現したからといって、公平な教育競争になるかといったらそんなことはないわけです。それなのに、機会が平等なのだから、それで差がついたとしたら、本人がさぼっていたからだという理屈を受け入れてしまったとしたら、それこそ公平ではないわけです。

 

勉強にはなかなかやる気が出なくてもサッカーなら何時間でも練習できるという子どもはいますよね。その逆もあります。それがその子がもって生まれた特性です。現在の社会は、たまたま勉強に向いている特性をもって生まれたひとが圧倒的に得をする社会構造になっているというだけの話なんです。

 

じゃあ、私たちはどうすればいいのか。教育格差を少しでも埋めるために無料塾のような活動を社会として支えながら、一方で、教育格差が完全にはなくせなくても、学力や学歴の差が、その後の長い人生に理不尽な影響を与え続けない社会をつくるようにみんなでビジョンを共有すべきだというのが、『ルポ無料塾』という本を書き終えたときの私の結論でした。格差社会がそれほど熾烈でなければ、教育格差が多少あってもそれほど問題にはならないはずなんです。

 

みなさんがどう思うか、ぜひ本を読んで、まずは無料塾の現場の声を知ってほしいと思います。

 

※2023年12月14日のFMラジオJFN系列「OH! HAPPY MORNING」でお話しした内容です。