幼児が電車の中で騒ぎはじめてしまうということがある。子どもを持つ親なら、誰でも経験するちょっとした修羅場。

電車の中だけではなく、公共の場所での子連れのマナーはよく議論される。

子どもが騒いでいるのに注意もしないでケータイに夢中になっているという批判もあるし、逆に子どもよりも大きな声で叱りつけているのを聞いて電車の中にイヤーな空気が漂ったという話しもある。

親として、電車の中で子どもが騒ぎはじめてしまったときにどうするのがいいか。

 

その状況において、親には2つの責任がある。

1 子どもの保護管理者として他人に迷惑をかけない「社会人としての責任」・・・

これはたとえばキャリーケースで犬を運んでいたりというときも同じ。

2 子どもの親として、子どもをしつける「親としての責任」

この2つの責任を同時に果たそうとするからジレンマに陥ってパニックになる。

 

どんなに大声で怒鳴りつけたところで、電車に乗ったときにできていないしつけが降りるまでにできるようになるわけがない。

どうしようもないときは、あめ玉を与えるのでもいいし、おもちゃを渡すでもいいし、途中下車するのでもいいし、社会人として、結果的にでも子どもを静かにさせる責任を優先するしかない。

 

いったん、その場ではしつけをあきらめるということ。

しつけはおうちにかえってから、電車の絵本でも読みながら「電車の中ではみんな静かにするお約束なんだよ」と落ち着いた口調で教えるほうが、子どもの心には届きやすい。

 

つまり、電車の中ではとりあえず「社会人として子どもを静かにさせる責任」を果たすことを選択しておいて、「親として子どもをしつける責任」は別の機会に落ち着いてすればいいということ。

 

一度甘やかしてしまうとしつけの効果がなくなると心配するひともいるかもしれないが、そんなことはない。

人間はそんなに単純ではないから。

 

最終的には子ども自身が状況に応じた判断、ふるまいをできるようにならなきゃいけないわけですが、子どもが未熟なうちは、親が社会との間に立って調整してあげなければいけないケースも多い。

 

たとえばトイレトレーニングも、早ければいいというものでもない。

生理的な発達も必要で、子どもそれぞれに、できるようになるタイミングがある。

親にできることは、そのタイミングを見極めてサポートすること。

 

ひな鳥を保護したひとが、毎日両手をばたつかせてひな鳥を教育して、ついに空に飛び立ったとき、毎日教育してよかったと言ったという笑い話のようなエピソードがあるが、人間の子どもも、親の意図とは違うところで自ら学んでいることが圧倒的に多い。

 

親が一から十まで教えなきゃいけないという強迫観念から自由になると、親自信が少し楽になるだけでなく、そのほうが子どもが自らの力で伸びていきやすくもなる。

 

※2023年4月20日のFMラジオJFN系列「OH! HAPPY MORNING」でお話しした内容です。