先日、ある出版社の社内勉強会みたいなものに呼ばれて、子どもの置かれた現状について話をする機会がありました。

 

そのなかで、子どもが「学校に行きたくない」と言ったときに、まずどういう対応をすればいいか、逆にどんなことをしてはいけないかという質問がありました。

 

無理に学校に行かせる必要はないとか、まずは休ませてよく話を聞くとか、頭ごなしに叱ったりしないほうがいいとか、そういうアドバイスがほしかったのかもしれませんが、そもそもこの問い自体に情報量が少なすぎると思いませんか?

 

そのお子さんが、どんな場面で、どんな表情で、どんな態度で、どんな声のトーンで「学校に行きたくない」と言ったのか、私にはわかりません。同じことを問われても、ひとによって想像する状況は違うでしょう。

 

こういうトリッキーな質問にうかつにもっともらしい答えを言うわけにはいきません。その答えが一人歩きしてしまうことがあるからです。

 

私ならどう答えるか。

 

まず一般論として、不登校の前兆への初期対応として、休ませることに躊躇しなくていいという話をしました。でも、さきほどの問いだけでは情報量が不足していますよねという指摘もしたうえで、実際に発せられる額面上の言葉にとらわれないでほしいというメッセージを伝えました。

 

どういう言葉を口にしているかよりも、どういう雰囲気で言っているか、何がそれを言わせているのかに目を向ける態度が必要です。いわゆる言外のメッセージにこそ焦点を当てるのです。

 

それによって、「何かあったの?」と聞いてあげることがよさそうだとか、余計なことは言わずにそっとしておいてあげるほうがいいだとか、ギューッとハグしてあげるだけでいいとか、理屈じゃなくて、相手が元気になる方法が思い浮かぶことがあると思うんです。それが心に寄り添うこと、ケアするってことだと思うんです。

 

不登校のことに限らず、育児本や育児雑誌などの企画では、「こう言われたこう返す」みたいなわかりやすい一問一答形式になっているものをよく見かけます。いわゆるマニュアル化ですね。でもマニュアル化された一問一答では大概、大事な部分が漂白されてしまっています。

 

新聞や雑誌の取材で、「子どものやる気を引き出すためにはどんな声がけが有効でしょうか?」みたいな質問を受けることもよくあります。たぶん聞いているひとも万人に有効な魔法の言葉なんてないということをわかって聞いているんです。だから受け答えする方も、額面通りの質問に答えちゃいけないんです。

 

でもそういう質問に対して、ある種のサービス精神から、もっともらしい答えを語ってしまうと、それがマニュアルとして一人歩きします。でも結局実際のケースではうまくはいきませんから、「マニュアル通りに接しているのに、うちの子には効果がない。うちの子はやっぱりやる気がないんだ」となってしまうわけですあるいは、「もっと正しいマニュアルはないかしら?」と、幸せの青い鳥を探すような旅に出て、疲れ果ててしまうのです。

 

私ならどう答えるか?

 

私の受け答えはたとえば、「あなたのお子さんは、どういうときにやる気を発揮していますか? それをよく観察して、似たような状況をつくってあげるようにすればいいんじゃないですか?」です。言葉がけなんて要らないかもしれないのです。

 

わが子に関することの答えのほとんどは、子どもの中にあるんです。チルチルとミチルが必死に探し回った幸せの青い鳥が、実は自分のおうちの中にいたのと同じですよね。

 

親として、ふと、答えのなさそうな問いが自分の頭の中に浮かんだとき、そんなふうに考えてみると、突破口が見つかることも多いんじゃないかと思います。

 

※2022年12月1日のFMラジオJFN系列「OH! HAPPY MORNING」でお話しした内容です。