中学受験や高校受験の学校選びで、親子の意見が分かれてしまったときにどう決めればいいかという相談をときどき受けます。

 

「子どもの意思を尊重する」が模範解答であることは誰でもわかると思うんですけど、「そうはいっても……」という気持ちもわかります。親は、自分が生きてきた生き方しか知らないので、そうではない方向性の決断を子どもがするとビビるんですよね。

 

こういう状況で、親として、どう考えればいいのかを考えてみたいと思いますが、そもそも学校選びの基準はどこで決まるんでしょうか。

 

みんなから「すごい!」と言われることを目的とするならば、世間が評価する学校に行くことがそりゃいいことになります。でも、それって自分の生きる道を世間に決めてもらうことになりますよね。自分の人生に責任をもって生きることを優先するなら、いわゆる世間体はむしろ邪魔になります。

「これからは世界のどこに行っても通用するグローバルな人間にならなきゃ」と言っている一方で、たかだか通学可能圏内の、偏差値では多少差があっても大きな視野で見ればどちらも恵まれた環境の中で学べることに変わりはない学校を比べて、「こっちの学校じゃなきゃ人生終わる」とか言うのって、なんかずれてると思います。

 

私は学校取材を得意としていますが、はっきり言って、どこの学校がわが子に合っているかなんて、どんなに調べたってわからないんです。学校だって常に変化していますし、先生やクラスによって雰囲気は全然違います。

 

そして何より、わが子がどんな子かって、親だって本当はわかっていないはずなんです。ご縁があって通うことになった学校でその子のなかにあった何かが開花して、「あれ、この子って、こんな子だったんだ!」って親がびっくりするってことも多々あります。

 

考えてみてください。Aという学校に行っても、Bという学校に行っても、どちらに行ってもほぼ間違いなくお子さんは何らかの壁にぶち当たります。それが中高生という時期だから。

 

でもそのとき、親が選んだ学校に行っていたら、お子さんの心の中に、「親のせい」というスキができます。そのスキが致命傷となることもある。でも、お子さんが自分の意志で自分の道を選んだのなら、何が何でもその決断を正しかったことにしようと頑張りますよね。

 

親が選んだ学校に行って後悔するということはあっても、本人が信念をもって選んだ学校に行って本人が後悔するということはないんです。親から見て明らかに不利な選択をしても、結果的には本人が選んだ選択肢が正解になるんです。

 

人生は決断の連続です。でも決断の善し悪しは、決断するときの判断力や情報量が決めるんじゃありません。決断した後の過ごし方、努力が決めるんだと思います。

 

どんな決断も、決断したあとに疑いをもったり、怠けたりすれば、間違った決断になってしまう。どんな決断も、決断をしたあとに、その決断をしたことを自分自身の責任だと受け止め、努力を怠らなければ正しい決断だったことにできる。
 

これって、正解がない時代に、事後的に正解をつくり出す力といえると思います。そういうことを学ぶことまでを含めて、受験なんだと私は思います。

 

※2022年2月10日のFMラジオJFN系列「OH! HAPPY MORNING」でお話しした内容です。