拙著『正解がない時代の親たちへ』の執筆のためにいわゆる名門校の先生たち30人以上に話を聞きました。そのなかで多くの先生が口をそろえていたのが、「いましかできないことを優先してください」ということです。

 

いましかできないことって何かってことを考えるとき、「3歳までに絶対音感」とか「3歳までに英会話をするとネイティブの耳になる」とかそういうことではありません。子どもだからこそ感じる興味・関心を大切にしてくださいということです。

 

生まれてからの人間の認知の成長って、人類の進化になぞらえるとわかりやすいと思います。

 

最初は何でも触ってみて、嗅いでみて、口に入れてみて、それが何かを五感で知ろうとします。人同士のコミュニケーションも、最初は言葉が介在しなくて、表情とかしぐさとかに頼ります。そのうち簡単な言葉を使うようになったり、歌や踊りで集団での共感を高めたりするようになります。いわゆる原始人の段階ですよね。これって幼児期ですよね。

 

だから幼児期には、泥んこ遊びが好きです。土器をつくる追体験でしょう。火遊びに興奮するのなんて、DNAに刷り込まれているんでしょうね。コミュニケーションも未熟だから、思い通りにいかないことがあるとつい叩いちゃったりするんですが、原始人同士お互いにそういう経験をしたりして、これはいけないことだなと学ぶわけですよね。時間はかかりますが、そういう段階を経ることが大切です。

 

だんだんと語彙が増え、複雑な言語体系を身につけていきます。さらにそのうち、なぜ空は青いのかとか、水平線の向こうには何があるのかとか、生活には直接関係ないことにも疑問をもつようになります。古代人の段階ですね。これって小学生くらいのいわゆる児童期ですよね。

 

そのうち論理の力で、疑問を一つ一つ解き明かしていくようになります。実際に手に取ることができないような抽象的な思考も可能になってきます。中世から近代にかけての人類の知的躍進に似ています。それまで疑うことすらなかった信条・しきたり・宗教みたいなものに対して科学的・論理的な立場から疑いをもったりもし始めます。これって中高生の段階に相当すると思います。

 

これらの知的な体験を一通りすませてようやく現代人のスタートラインに立ちます。人類未到のフロンティアで、新しい学問領域を広げたり、21世紀という社会で生きる糧を得る方法を考えたりするわけです。

 

そこから先は日進月歩で生み出される新しい知識や技能を常にインプットしなければいけないわけですけれど、それは一生続くことです。目新しい知識や技能を子どものうちに競うように先取りしたって、すぐに使えなくなる可能性が高いわけです。

 

逆に、年をとってから新しいことを学ぼうと思ったときに、それまで身につけた自分の知識や技能に足りないパーツがあることに気づいて、古典を読む必要性を感じたり、伝統芸能や武道を始めてみたりすることがあると思います。

 

年をとれば取るほどそういう機会が増えると思います。パーツが足りないと気づける程度には、広い分野に粗くてもいいので知識や技能の網みたいなものを広げておくことが必要でしょう。それを堅い言葉で言えば基礎教養などと呼ぶのでしょう。

 

教養って何かというのはそれはそれでややこしい問いなのですが、正解がない時代こそ、ひとより早く特別な知識や技能を身につけることよりも、粗くてもいいから幅広い教養を身につけておくことが大切なのだと思います。

 

教養の積み重ねをすっとばして最新のカッコいいスキルを身につけたところで、主体的にクリエイティブに自分らしくそれを使うことは難しいんじゃないかと思います。

 

※2021年9月23日のFMラジオJFN系列「OH! HAPPY MORNING」でお話しした内容です。