私はいろいろな学校を取材して回っているので、中学受験、高校受験での学校選びについて質問されることがよくあります。でもちょっと困っちゃうことも多い。

 

「ベストな学校はどこですか?」みたいに聞かれても答えようがないんです。ちょっと言い方を変えて「うちの子に合った学校を見つける秘訣は何ですか?」とか言われても、気持ちはわかるんですが、「まあ、まずはちょっと落ち着きましょうよ」って言いたくなります。

 

学校は個性も癖もある生き物です。常に変化していますし。だから、パソコンだとか自動車だとか、電化製品を比較検討するのと同じような感覚で選ぼうとするとおかしなことになります。

 

むしろ結婚相手を探すのと似ています。コスパとかスペックで比較検討なんてできません。ましてや使い倒して消費するものでもありません。

 

たとえば誰かに「あなたにはこのひとがおすすめです」って言われたら、そのひとと結婚しますか? しませんよね。根拠なんてなくても、「このひとだ!」と思う自分の感覚を信じるでしょう。それと同じです。

 

「白馬に乗った王子様にいつか必ず会えるはず!」なんて幻想を抱くのもやめてください。そんなひといませんよね。相手に完璧を求めるのではなくて、たまたまご縁があって引かれあった相手との関係をどのように成長させていくかが大切です。

 

たとえば大学付属校に進学することの意味だとか、共学校と男子校・女子校の環境的な違いだとか、宗教的なバックグラウンドがあるかだとか、そういう部分での意味を理解しておくことは大切ですが、個別の学校の良し悪しなんて私にもわかりません。

 

「ベストな学校はどこですか?」「うちの子に合った学校を見つける秘訣は何ですか?」みたいな質問をしたくなる気持ちの裏には、おそらく「正解主義」があるんだと思います。世の中には「正解」がある。学校選びにも「正解」があるに違いないという。

 

でも結論からいえば、学校選びにおける「正解」は、受験校を選んだときにわかってなきゃいけないことではなく、進学してから事後的に自らつくるものなんです。結果的に通うことになった学校での生活を充実させようとする努力が、結果的にその学校を選んだことを「正解」にするんです。

 

どんなに世間から羨望のまなざしを受ける超有名校に通ったとしても、そこでその環境を生かせなかったら、その学校を選んだことは不正解だったことになります。

 

本来はすごく相性がいいはずの学校に入れたとしても、担任とそりが合わなかったり、どうしようもなく相性が悪い友達といざこざがあったりしたら、それだけで学校に対する印象も悪くなってしまいます。

 

要するに、学校選びに「正解」なんてありませんし、「不正解」もありません。完璧な学校なんてありませんし、完全に存在価値のない学校というのもありません。人間と同じです。ご縁です。

 

だからあんまり学校選びに神経質にならないほうがいいと思います。環境が子どもに与える影響は大きいといわれてはいますが、学校が子どもの人生を決めたり、人格をデザインしたりはしないので。たいていの子どもはどんな学校に行ってもその環境をその子なりにうまく利用して、その子らしく育つので。

 

学校についていろいろ調べるなら、学校のいいところや悪いところをチェックする「評価者」の視点に立つのではなくて、その学校に自分またはわが子がいるのを想像してみて、「一体化」してみて、しっくりくるかどうかが大切です。

 

これも、結婚相手を選ぶときに、「この人のこういうところが長所で、こういうところが短所だな」などと査定するより、「この人といると安心できるな」とか「この人といるときの自分が好きだな」などと思える感覚をたしかめることのほうが大事であることと似ていますよね。

 

つまり、自分に合った学校を探すというよりは、むしろどんな学校を選ぶのかに、自分という人間の本質が表れるのです。自分自身を知るプロセスとして、中学受験や高校受験での学校選びを楽しんでもらえればいいなと思います。

 
 
※2021年7月15日のFMラジオJFN系列「OH! HAPPY MORNING」でお話しした内容です。