本日はアースデイですが、いま、教育の現場ではSDGsというキーワードがよく聞かれるようになっています。2015年に国連で採択された「Sustainable Development Goals」の略語で、日本語で言えば、「持続可能な開発目標」です。

 

「誰一人取り残さない」をスローガンとして、「貧困をなくそう」「質の高い教育をみんなに」「ジェンダー平等を実現しよう」「気候変動に具体的な対策を」など17の目標を2030年までに達成しようということになっています。

 

国や地域や文化的背景の違いによって、人類の置かれている立場はさまざまです。そこで、画一的に「世界をこう変えていこう」というのではなく、まずは「目標」を共有し、それぞれの立場でそれぞれにできることをやっていこうと呼びかける意味があると私は思います。

 

画一的な正解が存在しない多様性の時代において、トップダウンで一律に何かを変えるのは難しい。それならばまずはビジョンのみを共有し、具体的な解決策については各々の主体的判断に委ねようという方法論です。これは新しい社会の変え方だと私は思います。

 

特にこのような課題と目標があることを子どもたちに明示する意味は大きいと思います。世の中にはこんな問題があって、こんな状況を目指していかなければいけないんだということを知ることができます。

 

たとえば学校の教室の壁に、17の目標を貼りだしておくと、さまざまな教科の勉強をするときに、いま自分たちが学んでいることが、具体的には世の中のどんな課題に関連していて、どんな目標達成に役立ちそうなのかをイメージしやすくなるでしょう。

 

また、2020年度から順次導入されている新しい学習指導要領では「探究」がひとつのキーワードになっています。教科学習で学んだことを総動員して、自分なりの問題意識を追求するような学びのことをいいます。その「探究」にも、SDGsは相性がいいんですよね。

 

たとえば、東京の女子聖学院という中学校の英語の授業では、SDGsの中から自分の気になるテーマを選び出して、リサーチして、自分たちがいまできることを英語で発表するという活動をしていました。

 

また、神奈川の聖光学院という中学校では、「探究基礎」というオリジナルの科目の中で、SDGsを取り扱っていました。自分の気になるテーマを選んで、その解決方法を、レゴ(R)ブロックで表現するのです。

 

自分のつくったレゴ作品を数人のグループで見せ合って、それぞれの課題の関係性を話合ます。すると、こちらの課題を解決すると、こちらの課題の解決が遅れるというような葛藤が生じることがわかります。

 

そこから、世の中の複雑な問題は、部分だけを見て解決できるものではないといういわゆる「システム思考」を身につけるという深い意図がありました。SDGsはそういうことを学ぶきっかけとしても適しています。

 

一方で、SDGsが「正解」なのかというとそうでもないと私は思います。国連の頭のいい人たちが考えた17の目標ですから、間違っていることはないと思うのですが、それだけで世の中の問題をすべて網羅できているとも思えません。

 

若干「錦の御旗」的な匂いはしますし、最近では、斎藤幸平さんという気鋭の哲学者さんが、著書『人新世の「資本論」』で「SDGsは大衆のアヘンである」と評するなど、批判的に見る動きもあります。

 

子どもたちがSDGsをテーマに探究するならば、たとえば「SDGsは本当に正しいのか」みたいな視点での探究も面白いと思います。

 

正解のない世の中を生きていくうえで、どこかから振ってきたあたかも正しそうなことを鵜呑みにすることほど危険なことはありません。SDGsもそれをそのまま鵜呑みにするのではなく、あくまでもたたき台として、それすらも批判的に見る視点を養うことが、これからの子どもたちには本質的に大事なことだと私は思います。