「なぜ勉強しなくちゃいけないの?」。子どもがこう言ったとき、大人としてはどう答えるべきでしょうか。

 

かつてまことしやかに信じられていたのが、「いい学校に入っていい会社に入るため」というやつです。しかしすでにいまの社会では、そういう単純な話ではなくなっています。

 

「選択肢を増やすため」というのもよく言われるんですが、それも何を根拠に言っているのかわかりません。たとえばプロ野球選手になるとか、ただ勉強したって得られない選択肢は世の中にいっぱいありますし、資格が必要な仕事に就きたいと思ったのなら、そのときから勉強を始めたって遅くはありません。

 

むしろ、私が取材している感覚では、「せっかく小さい頃から勉強をして○○大学に入ったんだから、こんな仕事は選べない」みたいに、選択肢を勝手に狭めて生きているひとも多いように感じます。

 

「世の中のいろんな価値に気づけるようになって、人生が豊かになるから」とか「社会を支える一員として、自分の力を高めるため」とかいう理屈をつけることは可能かと思います。でも個人的には、この問いに額面通りに答えるなら、「勉強しなくちゃいけないんじゃなくて、人間は勉強せずにはいられない動物なんだよ」という返事が好きです。

 

私はかつて『子どもはなぜ勉強しなくちゃいけないの?』というテーマで多くの識者にインタビューを行い、2冊の本にまとめたことがあります。それぞれにユニークな答えが聞けました。

 

そのほかにももっともらしい回答の方法はいくつかあるのかもしれませんが、でも忘れちゃいけないのは、子どもがこの手の疑問を口にしたときって、別に正解を求めているわけじゃないってことなんですよね。

 

こういう場面に出くわしたとき、いかにも教養のある答えをすることよりも大事なのは、「なぜいまこの子はこういう疑問を口にしているのか」を考えることだと私は思います。

 

相当ちいさい子どもでも、この問いに明確な答えなんてことはないってことにはうすうす感づいているものですし、一方でおそらく「勉強」というものが自分あるいは人類にとって必要不可欠なものであるという絶対的な感覚ももっているはずなんです。

 

でもそこに疑問を挟みたくなる瞬間がある。しかもあえて大人の前でこういうことを言うときは、なんらかの対話がしたいんだと思うんです。

 

受験勉強の暗記課題の山を前にして、「なぜ勉強しなくちゃいけないの?」といっている場合、「勉強」という概念そのものではなくて、「合格のための作業」に対する疑問です。もっともな疑問です。

 

合格のために仕方ないと自分を納得させることもひとつの生き方でしょうし、こんなくだらない作業をしなければいけないなら合格できなくていいやと割り切り、意味を感じる勉強だけをして合格できるところに進学するというのもひとつの生き方です。そんな対話をするなかで、自分の生き方を決めていく援助をすることが大事ではないでしょうか。

 

あるいは、学校の授業が面白くないから退屈しているのに、「勉強しておかないとあとで自分が困るんだぞ」と脅されることに対して違和感をもっているのかもしれません。だとしたら、そんな気持ちを聞いてあげるだけで、自分で自分の気持ちに折り合いをつけてくれることもあります。

 

もしかしたら、勉強以外のなんらかの理由で学校に行きたくなくなっているのかもしれません。でも学校に行かなかったら勉強ができなくなることが怖い。そのジレンマを訴えているのかもしれません。だとしたら、より親身になって、話を聞く必要があります。

 

要するに「正解」がほしいわけじゃないってことを理解してあげなきゃいけないんですね。

 

「なぜ勉強しなくちゃいけないの?」に限らず、子どもとの会話にも限らず、「なんでいまこんなこと聞くんだろ?」という質問をぶつけられたとき、その無茶な質問に無理矢理答えることよりもその問いを発する背景に思いをめぐらせることのほうが重要である場合は、よくあることです。

 

※2021年2月11日のFMラジオJFN系列「OH! HAPPY MORNING」でお話しした内容です。