受験シーズンが始まりました。今回が初めての実施となる大学入学者共通テストは、大きな混乱もなく終わったようで、何よりでした。

 

大学入試改革の議論のすったもんだのせいで、あのテスト自体が悪者みたいになってしまっていましたが、テストを制作された方々も、試験会場でテストのオペレーションに係わった方々も、このコロナ禍のただならぬ緊張感のなか、大仕事をやりとげたことには敬意を払いたいと思います。

 

来週は首都圏の中学入試も山場を迎えますし、私立大学の受験も本番を迎えますし、高校受験に関してもいよいよという時期です。

 

そこで今回は、あんまり具体的な役には立たないかもしれませんが、私自身の受験の思い出についてお話ししようかと思います。中学受験と大学受験を経験し、それぞれに忘れられない思い出があります。

 

中学受験本番は2月1日で、1月31日まで普通に学校に通っていたのですが、その1月31日に学校から帰ってきたらなんだか身体がだるく感じて、熱を測ってみたら、39度ありました。

 

前日に最後に見直そうと思っていた基本問題なども手を付けるのをやめて、必死で寝ました。試験場に這いつくばってでも行きたい。受けるだけでも受けたいと必死に願いました。

 

翌朝目が覚めると、あら不思議。すっかり平熱に戻っていました。その後も体調は悪くなりませんでしたから、前日の熱は緊張によるものだったのだと思います。12歳の子どもにはそういうこともあるんでしょうね。

 

で、平熱であるだけで「やったぜ!チャンスをつかんだぜ」みたいな前向きな気持ちになれましたし、試験会場に行くと「よし、とうとうここまでたどりついたぜ!」という気持ちになり、まるですべての雑念が振り切れたようにものすごく集中力がでました。あのとき生まれて初めてゾーンに入るという経験をしたのだと思います。むしろ絶好調で受験できて、いい結果をもらうことができました。

 

一方、大学受験では、偏差値的には余裕だろうと思っていた大学に現役のときに落ちました。油断があったのでしょう。英語の出題傾向がTOEICみたいな形式の大学だったのですが、ちょっとつまずいたことで調子が狂い、焦ってさらに悪循環になるという失敗を犯したんです。いまならその場で気持ちをとり直すこともできるのでしょうが、高校生だった当時はそういう冷静な対処ができませんでした。

 

結局別の、偏差値的には格上だけど第二志望の大学に入学することにしたのですが、電車から不合格になった大学を見かけるたびにくやしい気持ちがわき上がるので、1年後、親にも内緒でもう一度受けてみることにしました。形としてはいわゆる仮面浪人というやつですが、大学には通っていたし、ちゃんと単位も取っていたし、体育会系の部活にも所属して、楽しくやっていたのですが、こだわりのために受けるだけのつもりで再受験をしてみました。

 

親には内緒で願書を出し黙って試験当日を迎えたのですが、家を出るとき、母は手作りのサンドイッチをもたせてくれました。気づいていたのです。

 

そうしたら、英語に関しては大学で毎日ハイレベルなことをやっていたので、楽勝なんです。そのほかの教科についても現役時代の貯金が使えて、なんと合格してしまいました。ほんとはそれで満足するはずだったのですが、受かってしまうと行きたくなって、「実は・・・」と父親に打ち明けて、わがままを言って大学に入り直させてもらいました。

 

ここにもちょっとした裏話があります。父は最初、認めてくれませんでした。しかしそれを聞いた隣の家のおじさんが、一升瓶を持ってうちに乗り込んできて、父を説得してくれました。

 

1年間だけ通った大学の仲間ともいまでも気の置けない付き合いがありますし、就活のときにはこの話が面白いってことで採用されました。「人生万事塞翁が馬」というやつですね。

 

受験には結果が出ます。いい結果ばかりではありません。12歳、15歳、18歳……というタイミングではこの世の終わりくらいにショックを受けることもあるでしょう。でもそれも自分の人生の彩りの一部だということは何十年か後に必ずわかるということをここに予言しておきます。

 

受験生のみなさまの健闘と、それ以上に彩りにあふれた人生をお祈りいたします。

 

※2021年1月27日のFMラジオJFN系列「OH! HAPPY MORNING」でお話しした内容です。