コロナ禍で、スマホ等のデジタルデバイスが、子どもたちの生活にも必需品だとされるようになってきました。学校のオンライン授業に使用したり、Stay Homeの状況でも友達とのつながりを確認できたりと、この状況下では恩恵の大きいものです。

 

一方、長時間使用してしまったり、SNSでのトラブルが発生したりというリスクも抱えています。今回はそのSNSにつきまとうリスクについて考えてみたいと思います。

 

たとえば、ある女性は、仕事の取引先の男性からLINEでやりとりしたいといわれてしょうがなくLINEを交換したところ、仕事の話がだんだんとデートの誘いに変わってきて、「こりゃダメだ」と思ってやりとりを打ち切ったそうです。

 

LINEだとメールよりもカジュアルに“会話”できます。 “お手紙”のようにやりとりするメールとは心理的な距離感が違います。LINEでのやりとりは基本的にカジュアルなものになりますから、よく知らないひとから馴れ馴れしい言葉をかけられても「そんなもんかな?」と感じてしまいやすい。「一線を越えた」と判断する基準が難しい。

 

だからこそ、LINEはリアルな世界でもともとよく知っているひと同士が使用するコミュニケーションツールだという認識を、大人も新たにする必要があるでしょう。あだ名で呼び合えるようなそれくらい近い関係のひと同士でないと、LINEの交換は危険だと私は思います。

 

Facebookのメッセンジャーやショートメッセージなども同様です。いわゆる「チャット」と呼ばれる形式で気軽におしゃべりができてしまうツールでは距離感を保ちづらい。家族、親戚、同級生、会社の同僚など、気心知れた相手とのコミュニケーションには便利ですが、仕事の取引先とのやりとりに使う道具ではないと私は思います。

 

こういうことを主張すると、「堅苦しい」とか「効率が悪い」とか「だから生産性が低いんだ」などという反論があるかもしれません。でもそれは、「自分はSNSがもつリスクを完全にコントロールできているから、メリットだけを享受できるのだ」と考えているからこそ成り立つ論理です。

 

社会がそれをスタンダードだとしてしまうと、「嫌だな」とか「ちょっと危険だな」とか感じていても、それを断りにくくなってしまいます。立場の弱いひとほどリスクにさらされやすくなります。

 

だから私は、よほど親しい相手でない限り、「仕事の連絡はメールに統一しています」と言って、LINEやメッセンジャーでのやりとりは基本的にお断りしています。子供などの弱者の立場に立った場合、社会のスタンダードがそうあってほしいと思うからです。

 

ついでに苦言を呈するならば、たとえばFacebookには「友達申請」という機能がありますが、あれはもともと「お友達になってください」という意味ではなくてリアルな友達同士をつなぐことを意図した機能です。しかし友達というほどでもない関係のひとや直接会ったこともないひとからお友達申請が届くことがときどきあります。

 

でも考えてみてください。もし自分の子供が会ったことのないひとからの友達申請を受け入れていたら厳しく注意するでしょう。だとしたら大人同士でもそういうことはすべきではありません。

 

コロナ禍でネットに頼りがちなご時世だからこそあえて言いますが、「まっとうな大人なら会ったこともないひとに友達申請をしない」「知らないひととつながろうとする大人はおかしい」という感覚を社会の常識にしなければ、子供が危険を察知することなどできないのです。

 

子供にさせたくないことをSNS上でやりながら「ここは大人の世界だから子供は入ってはいけない」と子供に言い聞かせる社会にするのか、SNSは子供も見ている場所であると認めたうえで子供にまねしてほしくないことは大人もしないことを常識とする社会をつくるのか。そういう問題だと私は思います。

 

※2020年7月30日のFMラジオJFN系列「OH! HAPPY MORNING」でお話しした内容の書き起こしです。