「i新聞記者」の試写会に行った。冒頭、エグゼクティブプロデューサーの河村光庸さんから「みなさんでこの映画を守ってください」という挨拶があった。ついさきほども、ウィーンで開催されている芸術展の公認を在オーストリア日本大使館が取り消したというニュースが飛び込んでくるなど、表現の自由がいよいよ危うくなっているこの社会の異常さが背景にある。

 

見終わってからしばらく、体がそわそわして落ち着かなかった。政権への嫌悪とかそんなのではなくて、「自分はあそこまでやれているか?面倒くさいことから逃げてないか?」と、体が「焦った」のだろう。頭で考えたのではなくて、体が勝手に反応したのだろう。そして、「何、ひとと比べてるんだ、オレ?」と、自分で自分を笑ってしまった。普段は「他人は他人」なのに。それくらい、観客一人一人に問いかける力がある映画なのだと思う。

 

個人的にツボったのは、望月さんが携帯電話を通じて自分の会社のひととバトっているシーン。新聞社という組織もたいがいにおいて旧態依然としていて、トップダウンの軍隊式。私はフリーランスだが、望月さんのいらだちはわかる。読者にとっての正しさよりも自分たちの組織にとっての正しさを優先して、フリーランスの私にまで押しつけようとしてこられると、たとえささいなことであってもカチンとくることがある。

 

群れには群れの掟があるのはわかるが、私には私の掟がある。ささいなことであったとしても、そんなときにはやっぱりしっかり「違うと思う」と声を上げることが大切なんだと、映画を見て、改めて思った。騒ぎ立てずいつもクールに振る舞うのが「大人」なのだと刷り込まれやすい社会ではあるが、それをいいわけにして、声を上げるべきときに上げることをサボっていると、いつの間にかお化けのような権力ができあがる。私たちの怠惰を養分に成長する妖怪だ。

 

望月さんのような守備範囲や行動力や発信力をほとんどのひとはもっていない。でも、それぞれの持ち場で、それぞれの正義と信念に基づいた行動を起こす勇気をもてば、妖怪に好き放題はさせずにすむ。この映画を見ていると、「望月さん頑張れ!」と言いたくなる場面は多々あるが、彼女だけに任せていてはいけない。月並みではあるが、最終的には、頑張らなきゃいけないのは私たち一人一人であると突きつけられるのである。11月15日全国公開。