9月1日に新刊『21世紀の「男の子」の親たちへ』(祥伝社)が発売になりました。これからの時代を生きる子供たちを育てる親として意識しておかなければならないことをまとめた一冊です。

 

名門男子校のベテラン先生たちの「金言の詰め合わせ」みたいな本であり、いまの世の中の潮流をどう読むかという部分においては私自身の考えもかなりストレートに書かせてもらいました。

 

「男の子」としていますが、実はこれは視点の問題でしかなく、本の大半は「女の子」にも共通する話題です。

 

いまちょうど、大学入試改革の記述式問題採点を巡る問題が話題になっていますので、ちょうどそのことについて書いた部分を抜粋してここに転載します。

 

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 一つのまとまった思想が練り込まれた文章を読む機会が、大人でも極端に減っているのではないかと私も思います。ネット上で、ただ一つの側面から見える事実を切り取っただけの、その場限りの文章を読むことに慣れてしまっている。

 

 インターネット上にあふれる無料の文章の違いについては、私も社会人向けのセミナーで話したことがあります。

 

 飲みやすさだけを追求してとにかく大量に消費されることを目的にした清涼飲料水みたいにしてつくられるのがインターネット上の文章です。もちろんすべてとは言いませんが。

 

 それに対して、それなりの対価を支払って読む本というのは、しっかり自分のアゴでかんで咀嚼して味わったうえで、その後時間をかけて栄養を吸収し、それがそのひとに力を与え、そのひと自身になっていく、玄米とか肉とかのリアルな食料みたいなものにたとえられます。

 

 清涼飲料水のような文章ばかりをガブガブ飲み込むだけの生活をしていたら、玄米や肉のような歯ごたえのあるものは食べられなくなってしまうでしょう。それでは知的栄養失調に陥るのも時間の問題です。

 

 それでいうととても気になっているのが、大学入試改革にともないセンター試験の後釜として実施される予定の「共通テスト」の国語です。思想が練り込まれた文章ではなくて、電化製品の取扱説明書を読むときみたいに、どこにどんな情報があるかを探す能力を見ているだけのような気がします。あれが「読解力」だとされてしまったら、日本人の読解力は崩壊するのではないでしょうか。

 

 小説はいわずもがな、論述文であっても、思想家がすごく抽象度の高いことを、たとえ話を多用しながら論理展開していくとか、そういう立体的な文章の読み方ができなくなるのではないかと危機感を覚えます。

 

 ましてや「共通テスト」で、たった数十字程度の記述式問題を出したところで、何がわかるというのでしょうか。

 

 一度に50万人以上が受験するテストの国語の問題に3題だけ記述式問題が出されることが決まっています。従来のセンター試験ではマーク式の問題しかありませんでしたが、今後は表現力も試そうという主旨です。その主旨には賛同できます。しかしいちばん長いものでも解答欄は80字から120字です。その他2題は30字以内と40字以内です。

 

 たったそれだけの記述式問題を採点するために、採点を受託した業者は大量のアルバイトを雇わなければなりません。採点者によって採点基準がずれてはいけませんから、採点基準を明確化しなければいけません。採点基準を明確にするためには、解答の仕方がある程度限定されるような出題の仕方をしなければいけなくなります。

 

 解答の自由度をなくすのなら、何のための記述式問題でしょうか。大量のアルバイトでもブレが生じないような機械的な採点をするのなら、いっそAIに採点させるほうがよいということになります。でもちょっと待ってください。「これからはAIにはできない言語運用能力をもつひとたちを育てなければいけない」といわれている時代に、AIに採点できるような記述式問題を出して何の意味があるのでしょうか。矛盾だらけです。

 

 大学進学も大切ですが、大学入試改革に振り回されているようではもっと大切なものを見失う危険性があります。人間にとって本来必要な言語運用能力は、万葉集、いや、論語の時代から変わっていません。この点については、目先の時代の変化に惑わされず、本来身に付けるべき普遍的な力を身に付けるように、学校の先生方はもちろん、親御さんたちも意識をしなければなりません。