男性学の田中俊之先生による久々の単著。久々なのにはわけがある。2016年にご長男が生まれて、育児や家事に時間を費やしているからだ。これは前回の記事で紹介した『僕たちは育児のモヤモヤをもっと語っていいと思う』で常見陽平さんも言っていたことだ。「『以前の自分なら、これだけできていたのにな』と悲しくなる日もあります」と。

 

これについて本書の「おわりに」で田中先生は、「世の中には、効率的に仕事をして成果を落とさずに、家事・育児時間を確保するという『理想』のイクメン像があります。(中略)でも、普通の男、言わば、フツメンである僕には能力的に無理なので、仕事の時間が減った分、成果は落ちると割り切っています」と述べている。これが現実。

 

注意しなければならないのは、この場合の「理想」が企業にとって都合がいいだけの「理想」であるという点。このことからも、「育児も家事もしながら仕事の成果も落とさないのが理想のイクメン」みたいな論調が、仕事中心主義の旧態依然とした社会常識のうえに成り立つイクメンキャンペーンだったことがわかると思う。「絨毯を取り替えるぞ」と言いながら、自分自身がその絨毯の上にどっかり腰を下ろしているようなものだ。

 

そのことについては私も拙著『ルポ父親たちの葛藤』のなかで次のように批判している。

 

「好きなだけ食べてもやせる」とか「お金を預けておくだけで勝手に増える」などは、聞いただけで「あり得ない」とわかる。「労働時間を減らしても業績は下がらない」だって同じだ。詐欺同然の物言いである。もしそんなことがあったら、何かからくりがあり、どこかで誰かが割を食っているはずだと考えるのが当然だ。あるいは今までよほどサボっていたことの証拠でしかない。

 

と、本筋ではないところから書き始めてしまったが、本の内容と関係がないわけではない。「理想のイクメン」と言われると、両手を挙げて「賛成!」と呼応したくなってしまうかもしれないが、それだってまゆにつばをつけて吟味しないと、構造的な落とし穴にはまりこんでしまうかもしれないという事例なのである。

 

たとえば「選択肢を増やすためにいい大学に行っておいたほうがいい」という理屈。実際には選択肢は増えないと田中先生は指摘する。私も保護者向け講演会でこの話はよくする。そういう発想で“いい大学”に行くと、結局そこに行くことで得られた選択肢の中からしか選択できなくなることがよくあるのだ。「東大にまで行って○○として働くなんて学歴の無駄遣いだ」みたいな言い方があることからもわかるだろう。

 

人生で選択肢を増やすために必要なのは学歴ではなく、どんな選択肢にも選ぶべき価値があると理解する能力を身につけることである。

 

本書のメッセージを畢竟すれば「まゆつば」。要するに「身の回りの常識を疑ってみなさい」ということになる。しかし10代という多感な時期の多くを過ごす「学校」という環境には、「そういうものだから」でまかりとおってしまうルールや習慣が多すぎる。そういう環境にいると「これって本当に正しいの?」と疑う感覚が鈍っていく。そのなかで、「男らしさ」や「女らしさ」を押しつけられることへの疑問ももたなくなっていくのだろう。

 

ジェンダーに限らず、10代のうちに、いろんなことを疑え、大人に思いっきり反抗しろと私も伝えたい。それで痛い目に遭うかもしれないけれど、それも学び。無駄にはならない。疑うことを忘れてしまう損失のほうが、人生においては致命的。もうひとつアドバイスするなら、10代を懸命に生きている中高生に反抗されて、「生意気だ」とか「大人をなめるな」とかいってるひとは、所詮その程度のひとだから、気にしなくていい。

 

本書では、男性学の専門家としての立場から、ジェンダーに多くの紙幅を割いてあり、要点がコンパクトにまとまっている。いま、ジェンダーに関する意識の高まりは急速で、私自身も自分の感覚に対して不安になることが多い。かといって、ジェンダー問題の専門書を読むのはなかなかハードルが高い。その意味で本書は、大人がこっそりと、最新のジェンダー感覚を確認する手引きとしても有用であると思う。

 

ちなみに田中先生、第二子が誕生したばかり。次の新著が出るのはまた先になってしまうかもしれないが、田中先生なら本なんていつでも出せる。いましかない時間を大切にしてほしい。