イモニイが子供たちに怒鳴っているところを私は一度も見たことがない

 

 

5月10日に新刊『いま、ここで輝く。〜超進学校を飛び出したカリスマ教師「イモニイ」と奇跡の教室』が全国の書店に並びます。そこで、GWに入る4月27日から5月10日の配本日まで、14日間連続で毎日、本のなかでも特に印象的なページを、チラ見せ的に少しずつこちらのブログで公開します。残り2回となった本日は、イモニイの究極の目標について。

 

 

 ということは、いまイモニイが教室のなかで小言を言ったり怒ったりしなくなったのは、年をとって人間的に丸くなったからでもアンガーマネジメントを身に付けたからでもなく、教師としての技術に自信がもてたからだ。技術的な裏付けなしに、聖人のようには振る舞えないのである。

 そう考えると、わが子を思う親がつい子どもを追いつめてしまうのも仕方がないとわかる。要するに、親としての自信がないのだ。当然だ。ほとんどの親が、親として新米のまま親の役割を終えていくのだから。30年以上をかけて40人以上を育てた、セブ島のナナイのようにはなれない。

 だからといって自分の怒りを正当化してはいけないと、イモニイは自分自身に言い聞かせる。

「自分がイラッとしてしまうということは、そこに自分の中にもある弱さを見いだしているはずなんです。だからイラッとしてしまうんです。その子の中にある未熟な部分、弱い部分を認めてあげることは、結局は自分自身の中にも同じくある未熟な部分、弱い部分を認めてあげることになるんです。だから僕は、『子どもたちのことを承認する』なんて言っていますが、実は、子どもたちを通して自分自身を解放させてもらっているんだと思うんです」

 要するに「情けは人のためならず」である。教師自身が解放されないうわべだけの「承認」ではダメだという意味でもある。

「こんなことを教えたい」とか「こんな授業ができるようになりたい」とか「こんな教育を実現したい」というのではなく、「子どもに対するあらゆる煩悩から解放されたい」すなわち「自分自身があらゆる煩悩から解放されたい」が、イモニイの現在の目標なのだ。

「世の中にはきっといろんな子がいて、僕なんかではまだ受け入れられない子もいると思うんだけど、そういう子を見ても、『本当にかわいいな、最高だな』って心から思えるようになりたい。いろいろな子どもと出会いたい」

 解放されたい。ほとんど解脱みたいな意味だ。教育を通じて悟りの境地を目指しているかのようである。

 

 

 

明日発売!

『いま、ここで輝く。〜超進学校を飛び出したカリスマ教師「イモニイ」と奇跡の教室』

(おおたとしまさ著、エッセンシャル出版社刊)

全国の教員が、 カリスマ塾講師が、 「一目見たい!」と見学に訪れる授業では一体何が行なわれているのか? 独創的な授業で子供たちのやる気を引き出す名物先生の、笑いと涙のルポルタージュ!