実は今年2019年は、1989年に「子どもの権利条約」を国連が採択してからちょうど30周年。日本は1994年に批准した。

 

子どもの権利は大きく分けて4つ。

・生きる権利・・・すべての子どもの命が守られること

・育つ権利・・・もって生まれた能力を十分に伸ばして成長できるよう、医療や教育、生活への支援などを受け、友達と遊んだりすること

・守られる権利・・・暴力や搾取、有害な労働などから守られること

・参加する権利・・・自由に意見を表したり、団体を作ったりできること

 

児童虐待がダメということはだいぶ認知されてきているように感じる。一方で、「学校」のなかでは生徒は制限を受けて当然、場合によっては体罰も必要というような意見をときどき聞く。

 

日本は、過去3回にわたって、国連子どもの権利委員会から勧告を受けている。教育システムが過度に競争的であることやカリキュラムや校則に柔軟性がないことが指摘される一方で、学校のなかに暴力がはびこっていることも指摘された。体罰といじめをなくすために、包括的な対策をとるように勧告された。しかしそのことはあまり認知されていない。

 

子どもの権利条約(日本ユニセフ協会抄訳)

 

第28条

教育を受ける権利

子どもは教育を受ける権利をもっています。国は、すべての子どもが小学校に行けるようにしなければなりません。さらに上の学校に進みたいときには、みんなにそのチャンスが与えられなければなりません。学校のきまりは、子どもの尊厳が守られるという考え方からはずれるものであってはなりません。

 

第29条

教育の目的

教育は、子どもが自分のもっている能力を最大限のばし、人権や平和、環境を守ることなどを学ぶためのものです。

 

※日本ユニセフ協会のサイトより日本ユニセフ協会抄訳を引用。下線は著者

https://www.unicef.or.jp/crc/

 

人権問題に関心が集まってきて、セクハラやパワハラなどに対しても社会として厳しい目が向けられるようになってきた。いい傾向だと思う。一方で、子供は未熟であり、大人に管理される存在であるという考えはまだまだ根強い。

 

たしかに社会においては子供は未熟だ。しかし子供にだって大人と同等の人権がある。子供の人権についても意識を高めるべきではないか。

 

男尊女卑の時代には「妻を甘やかすとつけあがる」みたいなナンセンスがまかりといっていたように、かつては「当たり前」と思われていたことも、振り返ると「なんであんなことが当たり前だと思われていたのだろう」と不思議に見えることがある。そうやって時代は変わっていく。「当たり前」を変えるのはとっても大変なことではあるが。

 

子供の人権が十分に守られていない学校で教育を受けたひとたちが未熟な人権意識のまま社会に出れば、自分の人権に鈍感なだけでなく、他人の人権を守ることにも鈍感な社会になるのは当然である。子供の人権を守るというのも、日本においては大きな#MeToo案件だろうと思う。

 

1990年にはさらに国連は、「少年非行予防のための国連ガイドライン(リヤド・ガイドライン)」を定めた。そこに重要な指摘があるので、紹介する。

 

Consideration that youthful behaviour or conduct that does not conform to overall social norms and values is often part of the maturation and growth process and tends to disappear spontaneously in most individuals with the transition to adulthood;

 

全般的な社会規範や価値観に適応しないふるまいや行為は、成熟と成長のプロセスの一部である場合が多く、大人になる過程においてほとんどのひとのなかから自然に消えてなくなっていく傾向があることを考慮すること。

 

Awareness that, in the predominant opinion of experts, labelling a young person as "deviant", "delinquent" or "pre-delinquent" often contributes to the development of a consistent pattern of undesirable behaviour by young persons. 

 

多くの専門家の見解によれば、若者に対する「逸脱」「非行」「非行予備軍」というラベリングは、若者の望ましくない行動パターンの固定化を促進することが多いことに配慮すること。

 

Due respect should be given to the proper personal development of children and young persons, and they should be accepted as full and equal partners in socialization and integration processes.

 

子供と若者の適正な人格の発達が正当に尊重され、社会化と融合のプロセスにおいて、彼らは完全で対等なパートナーとして受け入れられなければならない。

 

※国連のサイトより引用。日本語訳、下線は著者

http://www.un.org/documents/ga/res/45/a45r112.htm

 

子供が犯す未熟さゆえの過ちを過度に責め立てて尊厳を傷つけると、その子は社会一般の利益に反する存在として固定化されてしまいやすいのでそうならないように気をつけなさいという指摘。

 

インターネットの普及によって、子供が犯す未熟さゆえの過ちが、地域社会のなかだけのことではおさまらなくなっている。青少年が社会的制裁を受けやすくなっている点にも考慮が必要。

 

自分がティーンエイジャーだったころのことを思い出してほしい。どんなに無分別であったことか。その無分別にさまざまな条件が重なって大きなトラブルになってしまい、そこで「あいつはアウト!」とレッテルを貼られてしまい、ネットにさらされでもしたら、自分の人生がいったいどうなっていたことか、想像してみてほしい。「うちの子はちゃんとしつけているから関係ない」というひとがいるかもしれないが、それこそ「うちの子に限って」の考え方である。

 

ダメなものはダメ。しかし未熟なものへの寛容さが足りなければ、自ら「敵」をつくり出す社会になってしまう。