私の大好きな本の一つに、『できそこないの男たち』というのがあります。著者は生物学者の福岡伸一博士。ほかにも『生物と無生物のあいだ』などのベストセラーがあります。どちらも科学的なことが書かれた本なのに、文学的な表現がたくさん出てきて、物語性があって、いつまでも読んでいたいと思わせる本です。

 

『できそこないの男たち』という男性にとってはなんだか小馬鹿にされているようなタイトルの本なんですが、どういう意味なのか、想像してみてください。

 

ろくに家事ができないとか、いわれなきゃやらないとか、最後まで話を聞かないとか、目を離すとすぐサボるとか、赤ちゃんのうんちのおむつ替えを嫌がるとか・・・いろいろ思いつきそうですけど、全部当たってます。そういうことなんです。

 

たとえば、その本の中には次のようなフレーズが出てきます。

 

「地球が誕生したのが46億年前。そこから最初の生命が発生するまでにおよそ

10億年が経過した。そして生命が現れてからさらに10億年、この間、生物の性は単一で、すべてがメスだった」

 

「生物の基本仕様としての女性を無理矢理作りかえたものが男であり、そこにはカスタマイズにつきものの不整合や不具合がある。つまり生物学的には、男は女のできそこないだといってよい」

 

その本によると、生物学的に考えれば、アダムからイブができたのではなく、イブからアダムができたらしいのです。つまりメスが先にありき。もっといえばメスこそが種の源であり、オスはメスを補助する役割として創造されたというのです。「ママの遺伝子を別の娘に届ける」運び屋として!

 

しかし、ただ運び屋として利用するだけではもったいないということで、メスはオスにいくつかの付加価値を求めました。外敵から身を守ることだったり、食料を取ってくることだったり、前人未踏の危険な土地を冒険させてもっと住みやすいところがないかを探させたり……。邪魔にならない程度に子育ても「手伝う」ようになりました。要するに、オスはメスのパシリとして創造されたわけです。

 

種として見れば、メスがいかに上手にオスを使いこなすかが、その繁栄に大きく関わるということです。そのために、そもそもオスは、メスにとって「扱いやすい」ように設計されているようなのです。そもそも設計段階からして、男性は女性にかなわない。

 

男女平等とか、男女が対等にとか、いまそれは社会として当然目指すべきことなんですけれど、そもそも女性のほうが生物学的には圧倒的に優位な存在なんですね。それなのに、男性はそれを理解していないから、得てして女性からバカにされるんですね。「男たちはわかってない」と。おっしゃるとおりなわけです。

 

男性諸氏は、そこで卑屈になるのではなく、「できそこないの割にはオレもがんばってるじゃん!」と前向きにとらえてほしい。

 

今日は「いい夫婦の日」ですけれども、「頼りになるカッコいいオレ様」を気取るんじゃなくて、オスとしての原点に帰り、「ご主人様、今日もお仕えいたします!」くらいの感じで奥さんと接するときっと「いい夫婦の日」になるんじゃないかと思います。

 

※2018年11月22日放送のFMラジオJFN系列「OH! HAPPY MORNING」でお話しした内容の書き起こしです。