本書を読んで、「こんな先生たちに見守られていたら、男の子たちはかけがえのない時間をのびのびと過ごし、自分を見つめ、将来を見据えることができるだろう」と感じた読者も多かったのではないでしょうか。

 生徒に生意気な態度をとられても、権力を振りかざしたり、高圧的に押さえつけたりはしないというスタンスが共通していました。

 「生徒たちに好き勝手言わせていたら教師としての威厳に関わる」などと考えるひともいるのかもしれませんが、そんな飾り物のような威厳なら、特に生きる力が旺盛な優秀な子供たちにはすぐに見透かされてしまうだろうと私は思います。表面的には生徒たちを鎮圧できても、生徒たちの心の中はやさぐれ、学校は見る見るうちにすさんでいくはずです。

 ひとは正しいことをやり抜く強さをもったひとに威厳を感じるものです。間違えたら素直に謝る、感謝の気持ちをもつ、思いやりを発揮するなどができるひとです。

 「子供になめられてはいけない」と、つい怒鳴ってしまったりするのは、大人自身に自信がないからにほかなりません。子供を恐れているからです。それでは、子供も不幸です。

 他人から暴言を吐かれたとき、真っ赤な顔をして怒る大人になってほしいか、暴言を華麗にかわして本当の威厳を見せられる大人になってほしいか。どちらを手本として子供たちに示すべきなのか、ちょっと考えれば、答えは明白です。

 大人が子供を見ている以上に、子供は大人を見ているのです。子供は大人の言ったとおりにはしないが、大人のしたことをするのです。

 

※拙著『開成・灘・麻布・東大寺・武蔵は転ばせて伸ばす』より。