5月6日に東京のフットボールの聖地アミノバイタルフィールドで行われた関西学院大学ファイターズvs日本大学フェニックスのオープン戦で、極めて悪質なタックルがあった件は、アメフトファンならずとも知るところでしょう。今回の件で、何よりもの不幸中の幸いは、被害選手に後遺症が残るような大きな怪我がなかったことです。

 

連日報道が過熱する中、5月22日、ついにタックルをした日大の選手本人が、顔出し・実名出しで、日本記者クラブで会見を行いました。内容については多くのメディアで詳しく報道されていると思うので、ここでは触れません。

 

実は私も学生時代に体育会のアメフト部に所属をしていました(モテたい一心でやっていただけのへなちょこプレーヤーでしたけれど)。だから他人事だとは思えない気持ちで見ていました。

 

また、父親の立場から見ると、文字通り、胸を締め付けられるような気持ちになりました。しかし、ご両親も本人も、公に自分の非を認め謝罪することなしに、一人の人間として、今回のことを乗り越えることはできないだろう、そのような状態のままではいつまでたっても堂々と人生を歩むことはできないだろうと判断したのでしょう。

 

その決断の潔さと、映像から見てとれる本人の真摯さと、言葉の重みは、被害者側にも届いていたのではないでしょうか。会見後、関学の鳥内秀晃監督は、「勇気を出して真実を語ってくれたことには敬意を表したい。立派な態度だった」とコメント。被害者の父親も「勇気をもって真実を話してくれたことに感謝する」とコメントを発表しました。

 

私が個人的に「このひとは本当のことを語っている」と感じたのは、彼がフットボールを好きではなくなっていたと証言したときでした。「フットボールが好きなのに……」というような、同情を誘うような構図にしませんでした。本当に「真実」を語ろうと覚悟を決めているのだと私は感じました。

 

監督・コーチからの命令であっても、自分で善悪を判断できなかった自分の弱さが原因であると、彼は一貫して述べました。現実問題としては、彼にNOという選択肢はほぼなかったといっていいでしょう。

 

上からの命令に逆らえない。社会人であればほとんどのひとが経験したことのある悔しさではないでしょうか。それが社会の現実かもしれません。

 

それでも、今回の件から私たちが学ぶべきことは、監督、先生、上司などからの命令にも「おかしい」と思ったら「おかしい」と言える判断力と勇気をもったひとたちを育てる大切さではないでしょうか。

 

社会は「おかしい」ことを1つ1つ改善することでより良くなっていきます。「おかしい」を言うひとがいなくなったら社会は死んでしまいます。

 

たった1人が「おかしい」と言ってもつぶされてしまうのがいまの世の中かもしれません。でも「おかしい」というひとが、2人になり、3人になり、もっと大勢になれば、世の中はきっと変わります。

 

そのためには、大人たちが、子供たちの「おかしい」を、たとえそれが未熟な「おかしい」であっても、ちゃんと受け止めて、考えを聞いてあげて、それを「反抗的」と受け止めるのではなく、自分の考えを言えたこと自体を認めてあげることが必要だと思います。

 

その点、日本の教育の弱点ではないでしょうか。社会が停滞するわけです。

 

グローバル教育だとかIT教育だとかいいますが、それよりも優先順位の高いのは、おかしいことを「おかしい」と言えるようにする教育ではないかと、アメフトの件以外にも昨今の世相を見るに、感じずにはいられません。

 

今回の事件は、勝利至上主義がもたらした悲劇といえるかもしれません。しかし本来スポーツをする意味は、無我夢中で勝利を目指す中で、勝利よりも大事なものがあることに気付くことにあるのだと思います。

 

そこで最後に、昨年アメリカで実際にあった話を紹介したいと思います。アメフトはこんなにカッコいいスポーツなんです。

 

「君らは今、フットボールよりもはるかに大事なことをやろうとしているんだ」

 

全米大学フットボール界の奇跡 “心眼”で得た渾身の1点

 ※実際の動画はこちら

 

 

※2018年5月24日のJFNラジオ「OH! HAPPY MORNING」でお話しした内容を掲載しています。