いま「高プロ」を含む働き方改革関連法案の強行採決を阻止しようというムーブメントが起こっている。阻止したいと私も思う。一方で「だから言ったじゃん。なんでもっと早く阻止しようとしないの?」というもどかしさもある。

 

共著書『「働き方改革」の不都合な真実』ではこう書いている。「今までは36協定に抜け道があったけど、その道を塞いで、別の法律で抜け道を作ろう、堂々と知的労働者を使い放題、残業させ放題にしよう、ということですよね」。我ながら「予言の書」である。

 

本が出たのは2017年11月だが、それまでもことあるごとに、「働き方改革」に潜むリスクを指摘してきた。でも、「せっかく残業減らそうという会議をしているんだから批判しなくてもいいじゃないか」という社会的協調圧力を感じることもあった。危険な圧力だと思う。

 

「副作用」の存在をたしかめもせず、ものごとの「良い面」だけを見て賛意を表明するのは軽率だ。そんなことがいろいろなところで起きているように感じる。社会の「批判力」が弱まっているのではないか。

 

「批判」はネガティブな文脈で使われやすいが、「批判」は決してネガティブなことではない。主観的には気付けない欠点・弱点・盲点を客観的に指摘して、補強するための前向きなプロセスの1つだ。

 

はじめから完璧なアイディアなどない。新しいことをしようというとき、なんらかの「批判」が出るのは当然だ。「批判」することも、されることも、何にも悪いことじゃない。

 

しかしそこで、「批判」をいわせなかったり、「批判」を無視したりすると、そのアイディアは、未熟でひ弱で社会を変える力をもち得ない。「批判」を受け入れ、それを糧にできたアイディアだけが、本当に成熟し、社会を変える力をもつ。

 

「批判」なき「仲良しクラブ」では、社会を変える力は生まれない。