特に母親からしてみると、男の子のふるまいが理解できないことも多いだろう。一般に、男の子の発達の仕方は、女の子に比べると不規則的だともいわれている。だからこそ、見守るのはとても難しい。

 また、父親からしてみても、かつて自分が子供だったころとの社会環境の違いから、戸惑うことが多い。かつての「理想の男性像」を押しつけることは、こ

れからの男の子が生きていくうえでは足枷になりかねない。

 そこで、21世紀の男の子の育て方を名門男子校のベテラン教員に聞き、拙著『開成・灘・麻布・東大寺・武蔵は転ばせて伸ばす』(祥伝社新書)にまとめた。

 自分から動くことが苦手ないわゆる「指示待ちっ子」やいわゆる「反抗期」がない子が多いことが、5校の教員の共通見解だった。男子校に限らず、取材で訪れるほとんどの学校で教員たちは口をそろえる。

 中学受験最難関校でもある5校の先生たちの多くは、この原因を、二人三脚で乗り越えた中学受験の成功体験によるものと分析していた。たしかにその面は否めない。しかし視野を広げてみると、必ずしも中学受験の勝ち組ばかりに親子密着が見られるわけでもない。中学受験をしていない親子にも、同様の傾向が多分にあると、公立高校の教員たちも口を揃えるのだ。

 中高生の精神的自立が遅れ、自発性が育たない傾向が、いまの世の中全般に見られるのだとしたら、それは中学受験の影響だけでは説明がつかない。

 だとしたら何が原因か。

 ひとつは少子化によって、親が一人の子にたくさんの手をかけるようになっているからかもしれない。しかし私がもっと気になっているのは、小学校での教育だ。

 先生の意図しない動きを生徒がしたときに、「誰が座っていいと言った?」「誰がしゃべっていいと言った?」などと言う先生が少なくないそうだ。そんなコミュニケーションの仕方では、子供たちは何をするにも先生の許可が必要だと、強烈に刷り込まれてしまう。自発性を削ぐ効果は抜群だ。

 作文の中でまだ学校で習っていない漢字を使うと×にされるという話もよく聞く。「勝手に学ぶな」というメッセージを強烈に突きつけているわけだ。完全に受け身の学習姿勢が刷り込まれる。

 まるで子供たちに「自ら考えるな」と必死に教えているように見える。

 ちなみに公立中学校の式典では、生徒たちが入場するなり、「静かにしろ!」と先生が怒鳴りつける場面も珍しくないようだ。私も目撃したことがある。先生たちも、それをまったく悪びれもせず、保護者の前で普通にやる。学校という権力を盾にして振りかざされる上下関係は、「長いものには巻かれておけ」という服従精神を培うのにもってこいである。

 これを当たり前だと思ってしまえば、ブラック企業にいいように使われる“人材”が育つわけだ。権力者が黒を白だと言えば、それに合わせて公文書も書き換えてしまう“人材”が育つわけだ。

 子供の自発性の低さは、親子密着の問題とは別に、この管理教育的な学校の体質の影響も大きいのではないかと私は思う。

 個人として、学校の先生が悪いわけではない。構造的な問題だ。

 学校現場への社会的要求は高まるばかり。特に公立の学校の先生たちは多忙を極める。文部科学省が2017年4月に公表した教員勤務実態調査の結果によれば、過労死ラインといわれる週60時間以上の勤務をしている教諭が、小学校では約3割、中学では約6割にも上ったとのこと。

 先生たち自身に自発的な挑戦をする心身的な余裕がなく、トラブルを起こさないことを最大の目的にクラス運営をしてしまいがちなのが現状だ。サラリーマンなら「社畜」と呼ばれる状態。

 被管理者に教育される子供たちが被管理者のメンタリティーを受け取るのは当然だ。

 いま教員の長時間労働を見直す運動が起こっているが、これは単なる労働問題ではない。労働者としての教員の立場を守ることは、子供たちの健全な育成を守ることとイコールなのだ。