プロ格闘家の青木真也選手が、柔道やレスリングにおける「プロ部活」の実態を語ってくれたインタビュー部分を、拙著から抜粋します。当時といまとでは違う部分もあるとは思いますが(そう思いたいですが)。

 

 

 「プロ部活」とは、学校の部活を通してプロやそれに準ずるレベルの選手を育成する構造だ。似たような構造が、レスリング界でも見られるという。どちらもオリンピックにおける日本の「お家芸」。学校という公的なシステムの中に、それぞれの競技のエリートを育てるシステムが不健全に寄生していると青木さんは指摘する 。

 「中学の指導者は、中学生の大会で1番になることをやっぱり求めます。その場で成果を出そうとします。そのためにバカバカやらせるばかりで、高校でどうなるかとかは考えないわけですよ。子供は子供で中学でいい成績を残さないと高校に行けないと思うから必死でやります。どんどん目先にとらわれていく不幸な構造です」

 体罰は当たり前。いつも誰かがターゲットにされてボコボコに痛めつけられ

る。「次は自分じゃないか」と思って常におびえていた 。

 「信じられないことに、女の子でも同じなんです。僕はやっぱり、30代や40代の屈強な男性が、しかも教員という立場の人間が、中高生の女の子をビシバシ殴っているのはおかしいと思う。泣いて逃げ出そうとするのを捕まえて、さらに殴るんです。親もそれを知っているのに止めない。みんな完全に麻痺してしまっているんです 。仮にそれで高校日本一になったとしても、なんの価値があるのかと思ってしまいます 」

 殴られて育てられたからいまの自分があるという人も中にはいるが。

 「それはずるい論理。僕だって殴られて育って、一応いまがあるけれど、そう

やって生き残ったのは全体で見れば1%とかの話であって、それを100%正当化するのはずるいです。僕のことを殴ったりどついたりした先生は、言語で伝える能力がなかっただけ。僕はスポーツ指導においても体罰には反対です」

 練習は毎日、90分から2時間くらい。ただしそのうち30分くらいは殴られる

時間だった。殴られるのが怖くて言われたとおりにやるから、それなりに強くはなる。柔道の道を究めるというよりは、調教である。

 幼いころから学習塾に通わせガンガン鍛えて東大に入れる「受験エリート」育成に対する批判はよくあるが、「部活エリート」「スポーツエリート」育成については美談ばかりが注目される。しかしその裏には、受験エリート育成以上の闇があるというのだ 。

 

※拙著『習い事狂騒曲』(2016年、ポプラ社)より抜粋。