人生は「動的な問い」の連続

 

 「男は外で稼ぐもの。たくさん稼いだやつが偉い」というシンプルな原則に従う社会では、余計なことは考えず、常にゴールに向けてアクセル全開にしておけばよかった。

 しかし現在においては、あるときは仕事上の成果を落とす覚悟を決めて、育児や家事に軸足を置くことが必要だ。状況に応じて夫婦の役割を入れ替えたり、育児・家事の負担を調整したりすることも必要だ。首尾一貫した「男らしさ」にこだわるのではなく、ときにはマッチョに、ときには中性的に振る舞う状況判断も必要だ。状況に応じて進む方向を変えたり、アクセルとブレーキを使い分けたりしなければならない。普遍的な「正解」は存在しない。

 「最適解」は状況によって変化する。そのような「問い」のことを、私は「動的な問い」と呼ぶことにしている。人生はまさに「動的な問い」の連続だ。子育て中の仕事と家庭の両立も「動的な問い」の連続だ。昨日まで正しかったことが、今日には通用しないということがよくある。

 

必要なのは「問いを問いとして抱え続ける力」

 

「動的な問い」に対しては、状況に応じて仮の答えを出し、それを常にアップデートし続けなければいけない。「どうやったら仕事と家庭の両立ができるんですか?」なんて聞いても誰も答えを教えてくれない。勝利の方程式なんてあり得ない。常に考え、答えを出し続けなければいけないので休む暇がない。しかも、一生懸命考えたのに、間違えてしまうことも多い。でもそこでくじけてあきらめてしまってはいけない。問いを問いとして抱え続ける力が必要だ。

 海外のホテルでは、シャワーの温度が不安定なことがある。ちょっとの加減で熱すぎたり、冷たすぎたりしてしまう。ようやく適温に設定できたと思ったら、別の部屋でも誰かがシャワーを使い始めたのか突然水圧が変わり、また温度調節をしなければいけなくなる。それのくり返し。

 仕事と家庭の両立も、そんなものではないだろうか。ぴたっと適温になることなんてない。常に調整し続ける。でも実はそれこそが面白い。

 かっこつけず、がまんせず、ああでもないこうでもないと試行錯誤をくり返す。ちょっとダメな夫、ちょっとダメな父親として、家族から笑われるくらいでちょうどいい。

 あまり難しく考えず、そんな程度に考えればいいのではないだろうか。

 

※拙著『ルポ父親たちの葛藤』(2016年、PHP研究所)より抜粋。