昔は習い事といえば、習字、そろばん、ピアノ、水泳、英会話くらしかなくて、どれもわりと訓練的な意味合いが強かった。でもいまは楽しい習い事がたくさんある。選択肢が多すぎて、「どんな習い事をやるのがいいでしょう?」ということもよく聞かれる。

 

 結論から言えば、「大事なのはどんな習い事をやるかではなく、どうやるか」。ピアノが弾けるようになるとか暗算が得意になるとかいうスキルの獲得以上に大切なのは、夢中になって取り組む経験、少々つらくてもあきらめない経験、挫折を味わいそれを乗り越える経験などの心理的な側面。その経験はどんな習い事を通してでも得ることができて、人生のさまざまな局面で役に立つ。習い事はそういう経験を積むためにやるもの。

 

 そして、習い事をより良い経験とするためのコツが、始めるときにやめどきをイメージしておくこと。どんな習い事もいつかはやめる。これは避けられない。でも、どんなにいい習い事を選んで、どんなにいい教室を見つけても、やめ方を間違えるとその習い事経験全体が悪い思い出になってしまう。「どうなったらやめるのか」について事前に親子で話し合っておくことが大切だ。

 

 少なくとも半年は続けようと期間を決めておくのもいい。あらかじめ目標を定め、それをクリアしたらその時点 でやめるのか、さらに高い目標を掲げて継

続するのかを判断しようと決めておくのもいい。区切りが来たらその都度、やめるのか、いつまでやるのかを更新すればいい。

 

 ときどき区切りを設けて、やめるか否かの前向きな判断をしないと、結局惰性 で続けることになる。惰性で続けていると、最終的には、飽きた、やる気がなくなった、行き詰まったというネガティブな要因でしかやめどきがやってこない。 どのみち悪い形で習い事から退場することになってしまうのだ。

 

 たとえば中学受験をすると決めているなら、そこから逆算し、塾での勉強が本格的になる前にやめるというのもよくあるパターン。それがわかっているのなら、そこまでに達成できるであろう目標を最初から決めて、そのために頑張り、やりきれば、それはそれで十分な達成感が味わえる。

 

 最悪なのは、受験勉強との両立に行き詰まり、どちらも中途半端になってしまうこと。両立に失敗したという敗北感の中で習い事を去るのはみじめだし、受験勉強にもやる気が感じられなくなるのでいいことがない。

 

 中学受験を理由に習い事をやめるなら、「本当はもうちょっと続けたかった」というくらいで習い事を「中断」し、「中学受験が終わってまだやりたいようなら、中学生になって再開しよう」となるくらいがちょうどいい。結局中学校では再開しなかったとしても、「いい思い出」で終わることができて、大人になってからその習い事を再開する可能性だって残される。

 

 区切りまで到達して、やめるという決断をしたのなら、「よくここまで頑張ったね」「よく目標を達成したね」として、ポジティブな形で習い事経験の幕を閉じる。これが肝心。

 
※2018年2月1日にJFN系列「OH! HAPPY MORNING」でお話しした内容の書き起こしです。