相変わらずCMにおける性的表現や性差別的表現についての議論が盛り上がっている。さまざまな意見や観点が提示される中で、「これはOKだけど、これはNG」というような二元論的な議論には矛盾も露呈し始めた。

 

どんな表現でも不快に思う人はいるし、差別的ととらえられる可能性を全く含んでいないことなんてあり得ない。悲しいけれどそれが人間の限界だから。大切なのはその限界を認めること。

 

「不快に思う人がいる」「差別と読み取れなくもない」という理由ですべての表現にNGを出していたら何も表現ができなくなる。そのことに気付く意味ではこういう議論も意味があったのではないかと思う。

 

次に必要なのはまず、自分の違和感を表明するのはいいけれど、攻撃的なメッセージを発することはやめようという雰囲気をつくること。CMの中に突っ込みどころがあっても、それに対する意見表明におかしなところがあっても、叩いたり、切って捨てたりする必要はない。

 

それぞれが自分の意見を発すれば、お互いに気付くことがあるはず。自分の意見を知らしめるために他者を叩いたり批難したりする必要はない。そのうえで、どういう表現なら社会として許容の範囲なのかを社会としてじっくりとすり合わせていく必要がある。

 

そのために必要なのは、どんな意見でも(直接的に人権を脅かしたり尊厳を傷つけたりするようなものでなければ多少偏っていたとしても)安心して発言できる雰囲気をつくること。要するに意見の多様性を認める雰囲気。

 

1つの観点から落ち度を見つけて叩いたり見下したりするムードが強いと、発言しづらい風通しの悪い世の中になる。たとえそれが正論であったとしても。過度に抑圧的になった社会はある瞬間に暴走する可能性だってあるから要注意。

 

自分が「正義」の立場にいると信じて疑わず他者を批判する人は危うい。戦争を始めるのはたいていそういう人たちだから。なんの悪気もなく。テーマが政治であれ世代であれジェンダーであれ。振りかざした「正義」の刃はいつか必ず自分にも向けられることになる。

 

自分が正しいと思う自信があるときこそ、まずはじっくり相手の話を聞く余裕をもつことが必要だろう。