10歳になったら父子旅行

 

どんな時代になっても、どんなところにいても、たくましく生きていける人になって欲しい。そのために、子供が10歳になったら国も時代も関係ないところに連れて行き、「これが地球だ。ここで生きていければ、どこに行っても生きていける」と語るのが、まだ父親になるずっと前、学生時代からの目標だった。教職課程において、人のアイデンティティは10歳の時に属していた文化に大きな影響を受けると聞いたからだ。
 

 今から3年前、息子が10歳になった時には、舞台として、アフリカのタンザニアを選んだ。2人で見たアフリカの大地に沈む夕陽を僕は一生忘れない。
 

 昨年、娘が10歳になった。息子に比べて体力がない娘にはアフリカはちょっときついかなと考え、オーストラリアの自然を選んだ。広大なアウトバックにそびえるエアーズロックを見に行こうと思っていたのだけど、真夏のエアーズロックは灼熱で危険とのアドバイスを受け、断念。結局タスマニア島に行くことにした。アフリカのサバンナやオーストラリア中央部のような広大な風景はないが、豊かで優しい自然がある。娘にはそっちのほうがなんとなく合っている気もした。
 

 樹齢数百年と思しき巨木の森を歩き、途中野生のワラビー(小さなカンガルーみたいな動物)にも出会い、それなりに自然と触れ合うことはできたけれど、計画段階で下調べを怠ったため、街中滞在スタイルの旅行となってしまい、正直に言うと、タンザニア旅行に比べたらかなりしょぼかった。「これが地球だ」と言えるような風景には出会えなかった。そのセリフはまたの機会にとっておくことにした。
 

 それにしても、同じ10歳で旅行をしても、きょうだいでスタイルが違う。息子と旅をしていた時には、男2人で「相棒」のような感覚を味わえた。こいつと2人ならどこへでも行けると感じた。しかし、娘との旅行では、僕はまるで尻に敷かれたカレシであった。「あ、あのお店見てみたい」「これ買って!」「もう疲れた。歩けない…」に振り回されっぱなしの8日間。とほほ。

 

国も時代も超える強烈体験
 

 帰りの飛行機は深夜便。離陸前から娘は僕にもたれかかるように眠りについた。起こしてはいけないので僕は姿勢を変えられない。だんだん腕がしびれてくる。もぞもぞしている僕を見て、隣の若いオーストラリア人の兄ちゃんが、不思議そうな顔をする。僕は微笑みながら心の中でこうつぶやいた。”This is what your father did.(キミのお父さんもこうしてたんだよ)”。そのとき、僕の中で何かが繋がった。
 

 幼い頃、父に連れられ、深夜の旅客船に揺られて伊豆七島の新島に旅したことを思い出した。「僕の父さんもこうしてくれたんだよな。国にも時代にも関係なく、これってずーっと繰り返されてきたんだよな」。消灯され、真っ暗なエコノミークラスの機内で、僕は壮大な宇宙を漂っていた。文明が始まる前の猿か人間かわからないようなころの父親とも、今まさに地球のどこかで我が子に腕枕をしてあげているであろう父親とも、数百年後の未来の父親とも、時空を超えて一つに繋がっているような強烈な感覚に見舞われた。しばらく涙が止まらなくなった。
 

 父と母、2人の「親」から僕が生まれた。たった10世代遡るだけでも千人の「親」が必要だ。30世代遡ると僕の直系の「親」の数は1億人を超える。無数の「親」が、腕のしびれはなんのその、冬の寒さにも飢えにも耐えて、子供を守ってきた。だから僕は今ここにいる。隣のオーストラリア人の兄ちゃんにも全く同じことが言える。自分自身がとてつもなく大きな命のネットワークの一部であることが実感として体の中を突き抜けた。ほとばしる「ありがとう」の思いを、小さな声にして、娘の寝顔に唱えた。

 

だって僕は父親だから
 

 親であることを噛み締めるごとに、僕は強くなる。どんな苦難にも立ち向かう勇気が湧いてくる。キミが望むなら、腕枕なんていつでもしよう。寒さにも飢えにも耐えてみせよう。たとえキミが世界中を敵に回しても、僕は最後までキミの味方であるだろう。必要ならばキミの盾になろう。”Just because I am a father.(だって僕は父親だから)”。それ以上の理由はいらない。
 

 国も時代も関係ないところに子供を連れて行きたい。僕はそう考えていた。しかし気づけば自分自身が、国も時代も関係ない時空を超えたところに連れてこられていた。結局のところ10歳の父子旅行で僕が伝えたかったことは、きっとこの感覚だったのだ。
 

 20年後、30年後、息子や娘が親になった時、この旅を思い出し、今僕が感じているのと同じことを感じて欲しい。僕の願いはそれだけだ。この感覚があれば、国も時代も関係なく、きっと幸せな人生を生きていけるから。今の僕がそうであるように。
 

 子供が小さなときは、親として、あれもしてやりたい、これもしてやりたいと考える。しかし親をやればやるほどに、どれも瑣末なことに思えてくる。つくづく親は無力であり、にもかかわらず無敵であることに気づけるようになる。それでいいのだと今は確信している。

 

※「FQ JAPAN」2016年春号に寄稿した文章を転載しています。