中学受験で、第1志望ではないけれど、複数の学校に合格した友人のご家庭。どこの学校に行くかで親子の意見が分かれて、散々議論したうえで、結局は娘さんの意思を尊重することに。

そのときはそれで良かったのだと納得していたものの、しばらくしてから「強引にでも誘導したほうが良かったのではないか」と後悔の念が湧いてきたと、友人が相談の連絡をくれました。実は昨年にも似たような相談を受けました。

これにどう答えたか。

この時期、似たような気持ちにあって、参考になる方も多いのではないかと思うので、知人の了承を得て、ここに私から知人へのお返事を公開します。

 

「どっちの学校がいい?」という価値基準ってどこできまるんだろうね。

個人として世間の評判を得るとかいう観点で言えば、世間が評価する学校に行くことがそりゃいいことになる。でも、自分の人生に責任をもって生きることを優先するなら、そんな観点はむしろ邪魔になる。これからの子供には後者の価値観を教えたいと僕は思うけどな。

「これからは世界のどこに行っても通用するグローバルな人間にならなきゃ」と言っている一方で、たかだか東京の中の、偏差値では差があっても大きな視野で見ればどちらも恵まれた環境の中で学べることに変わりはない学校を比べて、「こっちの学校じゃなきゃ人生終わる」とか言うのって、なんかずれてると本気で思う。

とはいえ、親は、自分が生きてきた「生き方」しか知らない。そうではない方向性の決断を子供がするとビビる。でもきっと今、Uさんは、娘さんの人生から、たくさんのことを学ぶ時期にさしかかっているんじゃないかな。Uさんの人生はそれはそれで素晴らしいものだと思うけど、人生にはいろんな形があるんだってこと、子供から学ぶよね。

これから思春期の子育てをするに当たって、子供との距離感の調整が必要。今回の葛藤は、Uさんが親としてワンランク上の視点を得るための課題なのかもね。無理矢理気持ちの整理をする必要はないと思います。せっかくの機会ですから、思い切り葛藤をかみしめればいいと思う。

第1志望に合格して100%満足の中学受験でない限り、受験が終わった後の、親の葛藤は必ずある。第2志望に進学することになり、その学校選択には親子で同意していたとしても、親としては「あのときこっちの塾に行っていれば、第1志望に入れたかも・・・」とか、最終的な第1志望に合格したとしても「最後にこれだけ成績が上がるんだったら、もう1ランク上の学校を第1志望にしても良かったかも・・・」なんて、必ず後悔のポイントを見つけて、暗くなっちゃう。

長く大変だった中学受験の親のストレスを、そうやって消化しているんだろうね。でもそれでいいんだと思う。そこから「前を向く技術」を身に付けるんだよね。

その葛藤を経て、「前を向く技術」を身に付けるまでが、親にとっての中学受験。

だってこれからもっといろいろ娘さんの人生に関する決断を見守らなきゃいけないんだから。いちいち自分の価値観と照らし合わせて一喜一憂していたら、もたないよ。

A中学にするか、B中学にするか、簡単に決めないで、親の価値観も説明したうえで、親子で一生懸命議論したことにも大きな意味がある。十分に議論したからこそ、12歳で、自分の価値軸に気づき、信念をもって、自分の人生を決めることができたんだよ。

世の中の評判に惑わされず、自分の価値軸で自分の道を選択する。それってこれからの世の中を生きるうえでとっても大切な能力だよね。なかなか教えることができない行動規範。それができただけでものすごい成長だよ。中学受験の神様が与えてくれた最後の学びだね。

そういう意味で、今回の親子の一連のやりとりは、ベストプラクティスだったんじゃないかな。あとはUさんが、自分の気持ちの整理をするだけだね。しばらくグチグチしていてください(笑)。ネガティブな感情を出すなら、娘さんじゃなくて、旦那さんに(笑)。

これは僕の信念なんだけど、「人生は決断の連続。でも決断の善し悪しは、決断するときの判断力や情報量が決めるんじゃない。決断した後の過ごし方、努力が決める。どんな決断も、決断した後に疑いをもったり、怠けたりすれば間違った決断になってしまう。どんな決断も、決断をした後に、その決断をしたことを自分自身の責任だと受け止め、努力を怠らなければ正しい決断だったことにできる」。

A中学に行っても、B中学に行っても、どちらに行ってもほぼ間違いなく娘さんは何らかの壁にぶち当たる。それが思春期だから。でもそのとき、親が選んだ学校に行っていたら、娘さんの心の中に、「親のせい」というスキができる。そのスキが致命傷となることもある。でも、娘さんは自分の責任で自分の道を選んだのだから、何が何でもその決断を正しかったことにしようと頑張る。親が選んだ学校に行って後悔するということはあっても、本人が信念をもって選んだ学校に行って本人が後悔するということはまずあり得ない。

予言します。半年後には「良かった!」と言って、この葛藤があったことすら忘れていると思うよ。

おめでとう。お疲れ様でした。




「何でもかんでも子供の意思を尊重しましょう」と言っているわけではありません。ときには親が方向性を示すことも必要でしょう。でも親子で議論する中で子供自身の思考が深まり、子供が自分で決断できるように導くことも必要です。どんなときに親が主導して、どんなときに子供が決めるのか、線引きなんてありません。親は毎回葛藤するのです。

葛藤や後悔や不安を抱えながら、子供をただ見守っていると、それでも子供はなんとかたくましく育ってくれる。ほとんどが取り越し苦労だったと後でわかる。子供の「生きる力」に驚かされる。人生って人それぞれなんだな、どんな人生も素晴らしくかけがえのないものなんだな、自分の人生も捨てたもんじゃないな、などと思えるようになる。そんなことこそが、子育ての醍醐味ではないでしょうか。