2月2日発売の拙著『なぜ、東大生の3人に1人が公文式なのか?』(祥伝社)に関連した記事が多くの方に読まれています。日経にも広告が載りました。Amazonのランキングは現在(2月2日20:50)27位まで上昇しています。ありがとうございます。
 


●「公文式」学歴社会の勝者を生み出す仕掛け
http://toyokeizai.net/articles/-/156033
●なぜ、東大生の3人に1人が公文式なのか?
http://blogos.com/article/208387/

これらの記事だけを読んで、拙著が公文式の礼讃本ではないかと思われた方も多いようです。ある知人からは「公文信者の妻から、どうだ!とURLが送られてきました」とメッセージがありました(笑)。

しかし、そうではありません。公文式の弱点についてもきちんと考察しました。ここでは、あえてネガティブな表現をほんの一部抜粋します。
 
ちなみに、目次を含めた最初のほうのページについては、こちらで「試し読み」できます。


<以下、拙著より抜粋>

開校当初は公文式の学習を正課の授業の中に組み込んでいたが、期待していたほどの成果が上がらなかった。意欲的に公文式に取り組み、全国でもトップレベルの数学力を誇った子供たちが、公文式へのモチベーションを失っていったのである。
公文式は、学校ではやらないことを、自ら進んでやる学習法だ。しかし公文国際学園では公文式をやらなければいけない。そこに最大の自己矛盾があった。公文式は、学校というある種強制力の働く環境とは食い合わせが悪かったのである。


細かいステップの教材が要求するものは、今までの手持ちとはちょっとだけ形が違ったものを使って解く力であって、ほとんど再現する力の強化にしかなっていません。小学校までは真面目ささえあれば、なんとかなります。点数に表れるのは再現する力止まりだからです。でも中学校や高校での学びはそれでは続きません。
中学校までは数学の点数が良かったのに、高校になった途端できなくなるのは、多くの場合、こういうメカニズムです。高校でできなくなったわけではなく、その前に、とても根深い原因があるのです。


ただしここには注意が必要だ。中学受験勉強の序盤とは、小4のこと。中学受験塾ではこの時期に分数計算を一通り終えてしまう。一方公文式で分数計算を終えるのは小6相当のF教材である。つまり、小3の終わりまでにF教材を終えていないと、中学受験勉強でのメリットも少ないということになる。


公文式が黒表紙の思想を踏襲しているのは明らかだ。公文式の創始者・公文公はまさに黒表紙で算数を学んだ世代。彼が大学を卒業する前年に緑表紙が採用された。
無味無臭な算数から生活感のある算数へという世界的気運に逆行し、算数から論理を漂白し、「計算、知識の訓練と注入」に特化して設計されたものが公文式だと言える。面白いかどうかなどは度外視で、「計算技術と数量の知識の伝授」を目的としたのだ。


「方程式があれば簡単に解ける問題をなぜわざわざつるかめ算で解くのか意味がわからない」と公文公は言うが、私に言わせれば「幼児が方程式を解けることにどんな意味があるのかわからない」。中学生になればみんなできるようになるのである。なぜそれまで待てないのか。


子供たちの計算力だけに着目し、「どれだけ幼くしてどれだけ高度な計算ができるようになるのか」という自己のマニアックな好奇心のために100万人を超える子供たちの一覧表を作成しほくそ笑むのであれば、その姿は「マッドサイエンティスト」と呼ぶのにふさわしい。


公文式に振り回されるのではなく、公文式を子供の成長や学びの体験を支える1つのツールとしてうまく活用できるのなら、害になることは少ないはずだ。


<以上、抜粋>
 
 
どこの街にもある「KUMON」について、良い点も悪い点も正しく踏まえたうえで、「公文式をやる・やらない」を考えることは、「子育てで大切にしたいことは何か」「わが家の教育方針は何か」を考えるきっかけになるのではないかと思います。