時間当たり生産性を基準にして成果実力主義とか言われると、未熟な若者が不利になるのは当然。さらに同一労働同一賃金になれば職務の「部品化」が進み、特に未熟な若者はいつでも取り替え可能な部品になってしまい、不景気のときこそ若者の失業率が上がる。若者の収入が減り、ますます少子化が進む可能性だってある。

 

長時間労働の是正や同一労働同一賃金はもちろん実現したいことであるが、主に既婚者向けの少子化対策の性格が強く、未婚の若者にとっては逆風になる可能性もある。おまけに共働きが増えると、世帯間経済格差は拡大する。収入の高い人同士結婚する傾向があるから。そして経済格差が教育格差に連鎖する……。

 

長時間労働や非正規雇用者冷遇が少子化の一因になっていることはたしかだと思うが、そこを修正しさせすればオールオッケーになるような単純な話であるはずがない。社会は大きな有機システムだから、どこかだけを直せば必ずどこかに不具合が出る。そういう副作用を予言し事前に対処する方法を考えることこそ、正論を声高に叫ぶよりも真に建設的で誠実な議論なのだと思う。

 

「詰め込み教育をやめれば子供の創造力が伸びる」といってその副作用への対処を怠ったのが「ゆとり教育改革」。理念や方向性にはみんな賛成だったのに結局うまくいかず、むしろ揺り戻しを生じさせた。「長時間労働を是正すれば少子化は食い止められる」というあまりに単純化された因果律も同様に危険。この界隈のこと、最近雑な論調が目立つ気がする。

 

さらに長時間労働の原因は常態的な業務過多であるはずなのに、それを労働者自身による業務効率化で切り抜けようとする論調もはびこっている。それではマラソンの自己ベストを縮めろというようなもの。限界があるしいつまでも続かない。「働かせ方コンサル」みたいな人が一時的に儲かるだけ。「だらだらするな!代わりはいくらでもいるんだぞ」と労働者に鞭を振るような社会になってほしくない。

 

そう言うと、「日本の時間当たり労働生産性は低いじゃないか」というつっこみをもらうことがある。しかしその指摘はこの文脈では的外れだ。

 

日本の労働生産性あるいは時間当たり労働生産性がOECD加盟国の中でも下位にあることは有名。ちなみに上位2カ国はルクセンブルク、ノルウェー。さらにOECD加盟国以外の国も含めて「労働生産性」の高い国をランキングすると、上位3位はカタール、クウェート、サウジアラビアと産油国。4位はシンガポールでアジアの金融センター。OECDの優等生ルクセンブルクは5位。実はルクセンブルクもヨーロッパの金融センターであり鉄鉱石を産する資源国でもある。6位のノルウェーも産油国。要するに資源国か金融センターが圧倒的に有利という当たり前の結果になっているわけだ。

 

そのことからもわかるように、もともと「労働生産性」とは労働者の働き方の効率性を表す数字ではなく、どれだけ効率よく稼げる産業構造を有しているか表す数字。それなのに今の日本では「労働者の働き方にまだ無駄が多い証拠」のように使われている(「時間当たり労働生産性」も「労働生産性」と基本的には同様の性格の数字)。それは無知あるいは欺瞞である。

 

「業務過多問題」を「長時間労働問題」と言い換え、労働者のせいにしているうちは、この社会は変わらないだろう。そしてなにより「経済施策として仕事と家庭の両立支援」という理屈をベースに動いている限り、何かの拍子に景気が良くなればそれらの支援の優先順位は下げられる運命である。それでは本質的な社会変革とは言えない。

 

男女が平等に働くためにこそ長時間労働は是正すべきだし、多様な生き方ができるようにするために仕事と家庭の両立支援もされるべき。経済の好調不調は本来関係ない。理想論のように思われるかもしれないけれど、問題の本質をとらえ、みんなで知恵を出し合えば、じわりじわりと社会は変わっていくはず。焦らず粘り強く地道に活動しなければいけない。焦って安易に「答え」を出さない忍耐が必要だと自分自身に言い聞かせる。