社会学者筒井淳也さんの『結婚と家族のこれから 共働き社会の限界』(光文社新書)はおすすめです。前作『仕事と家族』(中公新書)が非常に勉強になったので読んでみたのですが、これもヒット。

昨今のワーク・ライフ・バランスや男女共同参画の文脈における短絡的すぎる議論への警鐘と読める箇所もたくさんあります。たくさんあるのですが、ごく一部だけ引用します。

「短絡的」とは、たとえば、おなかをすかしている野良猫がいるからと、見かけるたびにエサをあげる「やさしさ」が、かえっておなかをすかせた野良猫を増やすことになってしまうみたいなことです。全体最適化の視野がないまま、部分最適化だけの施策が講じられるみたいなことです。昨今のワーク・ライフ・バランスや男女共同参画の文脈にはそういうことが多いように感じます。

P93
しかし、シングルマザーの貧困の問題はシングルマザーであることから生じるのだ、という議論は、いかにもピント外れです。シングルマザーや同棲が貧困問題の原因なのではなく、貧困がこれらを問題化しているのです。

P106
性別分業態度と家事分担の関係に関しては、アメリカの研究にはもうちょっとややこしい説明もあります。ひとつは、対等に働いていても、女性が家事を「手放さない」ケースに対する説明です。簡単にいえば、女性が「家庭の責任者」としてのアイデンティティを維持したいがために、容易には夫の参画を認めない、ということです。
もうひとつは、妻よりも稼ぎの少ない経済力のない男性が、あえて家事をしないというケースに対する説明です。これは、「稼ぎ」によって男らしさ・男性の権威を表現することができない夫が、あえて家事をしないことによって男性役割を維持しようとするという、ちょっと情けない状態を指しています。

P184
政府のワーク・ライフ・バランス政策、企業のファミリー・フレンドリー制度は、私たちの結婚や家族についての自由で自主的な決定をサポートしてくれます。こういうと聞こえは良いのですが、私たちの自由な決定が、必ずしも社会全体にとって望ましい状態をもたらすわけではありません。

P210
家族の負担を減らすこと、つまりある意味での家族主義から脱することによって、人々は進んで家族を形成できるようになるのです。

P213
「仕事でも家庭でもマネジメントでリスクヘッジ」みたいな生き方は、ビジネスライクでかっこ良いのかもしれませんが、なんとも息が詰まります。(中略)
家族でも同じことです。失敗できないから一生懸命家族生活をマネジメントすること自体は決して悪いことではないでしょう。しかし、失敗してももう一回、という環境があれば、人々は気軽に「一歩」を踏み出すのではないでしょうか。

そのほか主旨としてはこんなことも書かれています。

・共働き夫婦が増えているのは、自立した男女が増えているのではなく、むしろ自立できない男女が増えているために、共働きを余儀なくされているのであり、本来リベラルが求めていた男女平等の社会とは意味合いが違う。
・北欧では、女性でも働いている割合は多いが、実はその多くはケア労働従事者である。もともと家庭内で女性が無償で行っていたケア労働を、社会全体で有償労働として買い上げている状態であり、社会全体として性別職域分離になっている。
・アメリカでは外国人労働者との賃金格差を利用してケア労働を安価にアウトソーシングすることで社会が成り立っている。
・共働き社会では世帯間経済格差が広がりやすい。共働き社会では、男性が、女性の学歴を気にするようになるとも考えられる。

男性学の田中俊之先生しかり、筒井さんしかり、男女の積年の感情的な怨みつらみで語られがちな話題を、非常にクリアな解像度で冷静に語ってくれる学者さんたちが注目されていることはとてもいいことだと感じます。

社会学者さんたちの良著と合わせて、実地的な話に心理学的な解決策を提案している『ルポ父親たちの葛藤』(PHPビジネス新書)も、「資料集」的にお読みいただけると「理論」と「リアル」が結びつくのではないかと思います。


以下はおおたの考察です。『結婚の家族とこれから』に触発されてはいますが、本の内容とは直接関係ありません。

日本の正社員の1日の平均労働時間は約8時間40分だと聞いたことがあります。いろいろな計算の仕方があるでしょう。面倒なので、約9時間としてしまいましょうか。

ということはこれまで日本の社会は、1つの家族から約9時間の労働時間を社会に提供すれば一家がなんとか生きていくための糧が得られる社会だったということです。でも、男性が約9時間外で働いてへとへとになって帰ってきても大丈夫だったのは、女性が家庭の中を切り盛りしてくれていたからです。家事や育児を一切合切やってくれていたからです。

女性は24時間365日休みなしで家事や育児をしていたわけです。特に子供が小さなうちは。子供がある程度大きくなって手間がかからなくなると、少しだけできた時間でパートに出かけて家計を助けたりしていたわけです。

つまり男女どちらもそれだけで手一杯。それだけがんばってようやくときどきとれる余暇の時間を家族で過ごすために、渋滞や大混雑を百も承知で家族旅行に出かけるわけです。

しかし人口減少で、社会全体の労働力が足りなくなってきました。そこで女性にも外で働いてもらわなければいけなくなりました。でも、夫婦そろって9時間労働するというのでは家の中が回るはずもありません。

アメリカの場合は足りなくなった家事・育児時間を、外国人労働者のメイドさんを雇うことで埋め合わせしています。北欧の場合は、ケア労働を有償化することで、経済活動に組み込むことに成功したというわけです。そのいずれでもない日本においてはどうやって不足する家事・育児時間を埋めるのでしょうか。

そこで長時間労働を抑制して夫婦でともに家のこともしようという話になっているのですが、36協定の見直しで、残業時間の上限が月80時間に規制されたところで、過労死を防ぐという効果はあっても、共働き家庭のライフスタイルを改善する効果はほとんどないでしょう。

単純な話です。残業時間の上限が月80時間に規制されたところで、1日約4時間の残業はOKということです。1日9時間だった労働時間が短くなるわけではないのです。9時から17時が定時の仕事であっても、退社時間は21時ということ。そこから育児なんて間に合いません。皿洗いや風呂掃除くらいはできるでしょうけれど、できることは限られてしまいます。

第一そんな生活、体力がもちません。会社での労働時間が減った分、家での労働時間が増えるのであれば、過労死を防ぐという効果についても疑わしいものです。ただし、仕事と家庭の両立で心身を壊したとしても、会社は「労働時間は法定時間内である」の一言で免責です。

もちろんワーキングマザーの中には今までそういう生活をしてきた人も多いわけです。シングルペアレントならなおさらでしょう。でもそれを全国民が強いられることが正しいことだと思いますか。私はそうは思いません。これまでそういう経験をされてきて、それがいかに大変だったかを知っている人こそ、そんな無茶な生活をしちゃいけないと、声を上げてほしいと思います。

家庭を回すために必要な時間を一定だと仮定して、夫婦が外で同じだけ働くというのなら、1人あたりの労働時間を4時間30分にまで削減しなければ理屈に合いません。夫婦2人合わせて9時間の労働時間を社会に提供するのです。それであれば、生活の質を変えずに、男女が平等に仕事も家のこともする社会が実現します。

ところが、社会の総労働時間を増やすために、夫婦ともに働けということは、夫婦合わせて9時間以上の時間を社会に提供しろということです。その分、家事労働や育児に当てられる時間は少なくなります。なけなしの余暇の時間もさらに少なくなります。要するに家族の時間を削って経済活動に参加しなさいということです。

そのことはちゃんと押さえておかないと、「あれ? 何だか前よりも忙しくて、生活が苦しくて、毎日が殺伐としているぞ」なんてことになりかねません。そんな国で、子供がたくさん生まれて、幸せに育つわけがないでしょう。当たり前です。

それのどこが男女共同参画社会でしょうか、何が男性の育児推進で女性の活躍なのでしょうか。

経済状況が良くないのでしょうがないといえばそれまでですが、その状況で人口の多い高齢者の年金を支えるという役割まで担うわけですからそりゃ苦しいわけですよ、今の現役世代は。どう考えたって。

それなのに、もっと無駄を省けば労働生産性はもっと上げられるだなんて、四六時中卵を産み続けさせられる鶏みたいな話です。1分1秒を惜しむ受験生みたいな生活を、夫婦そろって40年間も続けられるわけがないでしょう。

しかしこれが今盛んにいわれている「成長戦略」としての「経済発展のための長時間労働是正」のシナリオです。働く側にとっての「働き方改革」ではなく、企業にとって都合の良い「雇用改革」にすぎません。

労働者の命を守るために長時間労働に規制をかけることには賛成です。そんなことは危険ドラッグを禁止するのと同じように国の力ですぐにやらなきゃいけないことです。でもそれと、女性が働きやすく、男性も家事や育児ができるライフスタイルを実現するということは、まったく別次元の話でありまったく別の戦略が必要です。そこをごちゃまぜにしている人が多いように思います。