約10年間、イクメンは実は増えていない

 

「イクメンなんて言葉がおかしい。育児をする男性は普通に父親と言えばいい」というまったく正論すぎて目が点になってしまうようなツイートが「ドヤ顔」で出回っている。

 

もともと「イクメン」という言葉には、「この言葉自体が死語になることが社会としての目標」として広まったという逆説的な背景がある。今、こういうツイートに対し、「そうだ!そうだ!」と賛同が集まるということは、「男性だって育児も家事もするのが当たり前」という認識が社会に広まり、「イクメン」という言葉がその使命を終える段階にさしかかりつつえるととらえていいのかもしれない。それ自体はいい兆候だ。

 

実際、男性の育児・家事を後押しするしくみや制度は、この数年で少しずつではあるが、拡充されてきている。

 

しかし、「男性だって育児も家事もするのが当たり前」という認識が広まった一方で、男性の育児・家事を取り巻く現実はあまり変わってはいないようだ。

 

ベネッセ教育総合研究所が「第3回 乳幼児の父親についての調査」を実施し、その第一報がリリースされた。第1回は2005年、第2回は2009年に実施されており、9年間の経年変化がわかる。が、あんまり変わり映えはしていないのだ。

(参照:http://berd.benesse.jp/up_images/research/BERD_press_20150616.pdf)

 

家事分野では若干の好転が見られるが、子どもとの関わりにおいてはむしろ後退している。「子どもにとってのいい父親」というより「妻にとってのいい夫」であることを優先する傾向ととらえることができる。男性の育児・家事の必要性が、女性の活躍の支援という文脈で流布したからだろう。

 

「家事・育児に今まで以上に関わりたい」と思う父親の割合は増加しているのに、「実際に父親が関わっている家事・育児」の実態に関しては、状況はほとんど改善していないどころか後退すらしている。ますます理想と現実のギャップが開いているということ。「男がつらいよ」的な文脈が広がるわけだ。

 

男性の育休取得率もほとんど増えていないことは既報の通り。

 

これでは「イクメンブーム」が、本当に単なるブームだったといわれてもしかたない。正論や理想が大々的に掲げられた一方で、現実は変わっていなかった。この事実をどう受け止め、今後につなげていけばいいのか。

 

父親への動機付けの方法に注意

 

これまでのイクメンブームの盛り上げ方に短絡的な部分があったと、認めざるを得ないのではないかと私は思う。

 

良かれと思って設定したインセンティブが真逆の効果をもたらすことが、人間の行動にはよくある。たとえばアメリカで、保育園のお迎えの時間を守ってもらうように、お迎えが遅れたら罰金を払うというしくみを導入したところ、ますますお迎えに遅れてくる人が増えたという事例があった。「お金を払えば遅れていいのね」と、遅れることを正当化する理屈を成り立たせてしまったのだ。

 

私たちは、自分たちの「ややこしさ」にもっと自覚的にならなければならない。もっと慎重に、もっとしたたかに考えなければいけない。

 

そこで、これまで多数の父親の相談に乗ってきた経験から、改めて以下の3つを提案したい。今までも繰り返し提案してきたことではあるのだが。

 

1. 忙しい父親は「家族時間は量より質」と考える

 

まず今ある家族との時間を濃密にすることに意識を向ける。質を高めていこうとすると、無意識が家族との時間に向かい、自分でも無自覚のうちに行動が変容する。すると、量は後からついてくる。「仕事を効率化して早く家に帰ろう」と意識を仕事に向けてしまうと、結局仕事中心のパターンから抜け出せない。

 

家族時間の量を追い求めると、どうやって仕事を早く終えるかばかりに意識がいってしまう。仕事を早く終えること自体が自己目的化する。結局頭の中は仕事のことで占領されてしまう。ひとまず量は後回しにして、質を追い求めるようになると、父親の意識が直接家族との時間に向けられる。すると仕事優先の価値観に乗っ取られていた無意識が、家族との時間に向けられるようになる。

 

無意識が家族との時間に向かえば、言動が変化をはじめる。家族との時間を一番に考えてライフスタイルを調整しはじめる。無意識の作用で、ほとんど自動的にそうなる。特に強く意識しなくても、じわりじわりと家族との時間が増えていく。つまり質を追い求めれば、量は後から付いてくるのだ。

 

2. 新米パパは「仕事の成果を維持しながら・・・・・・」なんて思わない

 

これから育児をはじめるということは、新規事業の立ち上げをするようなもの。今までの業務と併行して新規事業を立ち上げるなど至難の業。今までの業務については多少業績が悪化してもいいからと割り切り、新規事業のほうに軸足を移さないと、新規事業をうまくスタートできない。

 

だからいきなり「両立」を目指すのではなく、一度、育児もしくは家庭に軸足を置くという勇気が必要。いったん軸足を家庭において、そっちの足場をしっかり固めてからまた仕事に軸足を移せばいい。そうやって早く新規事業の足場を固めてから既存事業に戻れば、両立はしやすい。

 

ジャグリングのように、一度手放して、落ちてしまう前にキャッチすればいい。それを繰り返すことで、長い時間軸の中でバランスをとればいい。実際にそうしてみると、心配していたほどには仕事の成果も落ちないもの。「仕事での成果を落とさずに……」なんて手品みたいなことを言っているうちは、何も変わらないどころか虻蜂取らずになる可能性がある。

 

3. 「仕事にも役に立つから育児しよう」という理屈をやめる

 

「仕事に役立つから育児しよう」というセリフを聞くことが時々あるが、それも危険。仕事と家庭のことを対等に考えて判断できるようにならなければいけないのに、仕事に帰結する功利的動機付けでは、『仕事>家庭』という潜在意識からいつまでたっても抜け出せない。結果仕事にも活かせることがたくさんあるというのはわかるけど、そういうインセンティブ提示は逆効果を招く。

 

仕事での成果をダシにして、男性を育児・家事へと誘えば、たしかに即効性がありそうだ。しかしそれは「やっぱり男は仕事で成果を出してなんぼなんだ」という意識を強化しかねないし、仕事の成果にもっと直結しやすい別の方法が出てくれば、男性の意識はそちらに向かってしまうだろう。それこそ景気が良くなれば、育児や家事が不要となってしまう。

 

このような理屈は、単なる一時的な利益誘導であって、根本的に社会が変わったことにはならない。

 

以上。

 

これまでよく言われてきたこれらのかけ声はすべて、表面的には「もっと育児や家事しよう!」という正論でありながら、実は「仕事のほうが大事」という潜在意識の上に成り立っていたのである。言えば言うほど仕事優先の無意識をさらに強化する効果がある。アクセルを踏みながら同時にブレーキを踏んでいるようなもの。これ、もう、やめよう。

 

FQ JAPAN ONLINEへの寄稿を転載しています。