道徳と社会規範は似て非なるもの。社会規範は社会が個人に求めるもの。道徳には、個人の自由の追求と共同体全体の発展を共存させる役割がある。個人と共同体の関係性の中に内在し、動的に変化するものである。

道徳とは普遍的なものではないし、明文化できるものでもない。明文化した時点でそれは個人と共同体の関係性を離れ、外在化し、動的な性質を失ってしまう。それはもはや道徳ではなくなる。

道徳意識を持つことはもちろん大事。でもそれを明文化したり、教科化してしまったりすることは、道徳を外在化して、静的に化石化してしまうことであり、結果としてむしろ個人から、道徳を動的に運用する道徳心を奪ってしまうことになることが問題。

道徳を動的に運用する道徳心を奪われてしまった人は、主体的に道徳的な価値観を創造することができない。個人と共同体との間の折り合いがつけられなくなる。社会から社会的規範を与えられるのを受動的に待つ存在になる。それでは全体主義が横行する。

くり返す。道徳意識を持つことは大切。だが、道徳を明文化したり、教科化したりすることは、社会の全体主義傾向を強める可能性があるので、「危険」である。道徳心とは、誰かに提示されるものではなく、個人と共同体の関係性の中でトライアンドエラーをくり返しながら育てていくものであるはずだ。子どもはもちろん、大人も。